もう話せないパパとママへ

ラランドニシダのモラハラについて という動画をなんの気無しに見て、こんなに刺されると思わなかった。この動画きっかけで鏡の中のアクトレス事件を知った。胸が苦しくなった。ここまででは無かったけど、完全にうちの両親もこうだった。めちゃめちゃいいようにいえば論理的、そのままいえばねちっこくて執念深いパパと情緒不安定スーパーヒステリックなママ。完全にそう。まあ正論言ってるパパが正しいのかもしれないけど、子供ながらパパの脅迫性はビンビンに感じていた。けどギャーギャー騒ぐママも本当にうるっさくて、本当にアクトレス事件の娘とおんなじ状況だった。「うるさーーーーーーーーーーーいどうでもいい!!」みたいな。



この両親はアンジャッシュしちゃったねってニシダは言ってるけど、うちの両親の会話は間違いなくアンジャッシュだった。噛み合わなすぎ。聞いてるこっち(小学生〜中学生)がイライラしてきちゃうくらいに馬鹿馬鹿しい会話ばっかりだった。
何で喧嘩してたとかは全く覚えてなくて、唯一覚えてるのは自分の部屋のドアを指一本分くらい開けて、聞きたくないのに内容は気になっちゃうパパの大声とママの金切り声をこっそり聞いてたことだけ。プルプル震えてる小型犬を抱きしめてたな。

記憶にあるほとんどのパパとママは、仲が悪くていつでもうっすらお互いのことが嫌いで、憎み合ってた。

だけど、三人でキャンプに行った時のこととか、パパがお笑い芸人の真似をしてママが「ねー似てないー(笑)」っていったときのこととか、韓国行った時のパパの足がくさかった話とか、パパがママの妊娠中にバレーボールして足骨折した話とか、新婚旅行で行ったオーストラリアでパパがどうしてもトイレに行きたくなっちゃった話とか。いい思い出とか、仲良かったときの記憶もちゃんとある。ママが、パパってほんとダメなんだよーって嬉しそうに話すときの顔も知ってる。だから苦しかった。笑ってるパパとママの顔を覚えてるから、ほんとはずっと仲良くして欲しかった。

パパは割とハンサムであんまり背は高くないけどムードメーカー。一発芸も進んでやるし、私が小さい時は夜遅くに帰ってきたと思ったら「本日の主役」の襷をかけてることもあった。ママは高身長ですらっとしてて、目がくりっとしてて鼻が高い。底抜けに明るくて、友達には「〇〇のお母さんって絶対怒んなくて羨ましいなー」ってよく言われてた。そんな2人が大学で出会って、付き合って、結婚して、って眩しすぎるくらいキラキラしてたんだろうな。ちなみにママはパパが一年生のときの三年生。え、ママ、今の私と同い年か。

ママは日記を書くのが好きで、特に旅日記をよく書いてたみたい。あるとき、30冊くらいの旅日記を見つけた。そこにはパパといった旅行の記録がたーーくさん残されてた。別に泣けるようなことは書いてなかったはずだっけど気づいたら泣いてて、それがだんだん生まれてきてごめんねっていう気持ちに変わってった。
2人は本当は今は離れた方が幸せなのに、私が生まれてきちゃったから離れられなくて苦しいんだって思うようになった。私がいなくなってもいいから、2人が仲良くできますようにってお願いしたのも覚えてる。世界で1番好きだった2人だもん。どっちの悪口も聞きたくなかったよ。

大学受験の時になって、また私の養育費のことで揉めて、裁判所に連れてかれたときのことも覚えてる。ママの黄色い車の中で私は一生懸命左を向いて泣いてた。どっちの味方もしたくなかったし、どっちが嘘ついてるのかもわからなかった。どっちも私を味方にしようと、お互いの悪口を吹き込みあって、私を取り込もうとしてくることだけわかった。全部を包み隠さずに教えて欲しくて、誰かに全部をジャッジして欲しくて、ママの弁護士のところに行ったけど、「私はあなたのお母さんの弁護人だから、お母さんに有利なことしか言えないの」と言われたとき、悔しくて泣いた。
誰も真実を知らない嘘つき合戦の中で、私の味方はどこにいるんだろうってもう探す気にもならなかった。私は私の進学のためのお金を出してくれさえすれば、どっちが親でも、もはやどっちも親じゃなくても、どうでもいいって思うようになった。っていうかいっそのこと私が実は養子だったりしないかな、とか思った。養子だから、こんなに現実的で経済的で冷酷な話し合いが本人の前でできるんだと、思い込みたかった。血が繋がってたらこんなふうにはならないはずだって、受け入れたくなかったんだと思う。

こんな家庭で育ったから家族とか、血のつながりとか、期待してない。
って言いたいところだけど、本当は、すごくすごーく期待してる。多分円満な家庭で育った人の何倍も家族というものに憧れがあるし、一生私はこれを追い求めるんだろうという予感がする。両親は仲が悪いものとして育ったから、小学校で友達の家に行ってお父さんとお母さんがずっとニコニコしていたときの衝撃といったら。希望の道の開け方といったらもうそれはすごかった、モーセもびっくりだと思う。最悪の夫婦を見て育った娘の将来の夢がずっと「およめさんになること」なの、笑っちゃうよね。いい例を見ていないし、なんならモラハラとヒステリックのハイブリッドな訳だから、幸せな結婚ができるとは思ってない。けど、だけど諦めきれない。結婚=幸せになることもあるって、家族がいちばんの味方になることがあるって、きっと私は誰よりも信じてるんだな、悲しいね。


パパとママはもう今は弁護士を通さないとやり取りできない。

もう話せないパパとママへ
生まれてきてごめんね。これは皮肉とかじゃなくて。
もし来世があったら、2人だけで笑い合って、たまに喧嘩して、必要なときは離れて、
いろんなところに旅行に行ってね。
生まれてこなくても、2人が幸せならそれでいいって、心の底から思えるよ。
2人の娘より

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