温かい気持ちで見守るということ
(日差しが熱い)と思いかけて(あ、日差しは強い)だなと思い直してしまう。文字を扱う身としては当然かもしれないが、そんなことはどうでもよくなるほど暑かった。
いつもの、銀杏並木を歩く。ニューヨークで買ったお気に入りのTシャツも球場へ着く前から汗でにじんでいる。ぼくは、痩せ形ということもあり、汗はあまりかかない。にもかかわらずTシャツの色がにじむ。
銀杏並木の隙間からこぼれる、いや、照りつける太陽光は全てを焼き尽くすのではないか?
(焼き尽くすなら、いっそのこと、ぼくのよこしまな気持ちを焼いてくれ)
そんなことを考えながら、SHAKE SHACKにならぶ若者達を複雑な気持ちで眺めながら道を進む。
17時開始ということもあり、スタジアム内は当然まだまだ暑い。ドーム球場ではないが故の苦難でもある。ビールを飲み、練習を眺めながら物思いにふける。
(今日は勝つといいな)
といった勝敗に関することを考えることはなく、自分の気持ちの整理をしていた。
試合が始まれば、twitteでの実況と観戦ノートの往復でぼくは忙しい。球場で考えることができるのは試合前と試合後の帰り路だけだ。考えても考えても、たくさんのことが起きる。人生ってそういうことなんだろう。
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この日も土壇場で同点に追いつかれ、ヤクルトは勝つことができなかったが、その中でちょっといいシーンがあった。
2日前の夜に大逆転負けを喫した投手が、この日も大事な場面で試合に送り出される。そのとき、ファンからは大きな拍手が送られ、「今日は頼むぞ」「がんばれ」といった前向きな声援が多く飛んでいたのだ。
例えると自分の原稿で重大なミスが発覚。大炎上を起こしてしまい、迷惑を掛けた2日後にチャンスをもらったようなものだ。そのときに、ファンから「がんばれ」といった言葉をもらえたら、どれだけ嬉しいことだろうか。
ヤクルトファンって暖かいなということを再認識した瞬間でもあった。
球場やチームによっては怒号や罵声がとぶことも珍しくない。だけれども、ヤクルトは基本的にそういうことがない。だから「ぬるい」と揶揄されることもある。辛い負け方をしても温かい気持ちで見守る。それがヤクルトファンの姿なのだ。
しかし、大事な場面で送り出された投手は1点を失い、あと一歩のところで勝利を逃した。2試合連続での大失敗。それでも、ファンは次の登板機会に温かい声援を送るのだろう。たとえ、「ぬるい」と言われたとしても。
と同時にもう一つのことが頭をよぎった。
仕事で2度も続けて重大なミスを犯したとき、ぼくらは応援の言葉をもらえるのだろうか。
そんなことをふと思いながら、渋谷までの道のりを歩いていた。風はあまり吹いていなかったけれども、心は穏やかだったと思う。月が綺麗だったから。
満月ということを教えてもらっていてよかった。どうもありがとう。
7月9日:ヤクルト(3-3)広島
こちらサポートにコメントをつけられるようになっていたのですね。サポートを頂いた暁には歌集なりエッセイを購入しレビューさせて頂きます。