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エッセイvol.2

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2019年2月の記事一覧

あんがい悪くない

ここ最近、noteを書くときに1年前の記事を見返している。

正確に言うと記事ではなく、ぼくのEvernoteの下書きだ。あぁ1年前はこんなことを考えていたのか、と記憶を呼び戻すのである。と言っても呼び戻されることなんてまるでなく、「そういえばそうだったな」で終わってしまう。

日々上書きされていく人生のなかで、すべての日のことを覚えていることなど不可能だ。noteに書いていたって忘れるのである。

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楽しいとき

旅は計画しているときが一番楽しい。よく聞く言葉だ。ぼくもそう思う。

旅にに限らずだけれども、なにかを決めているその瞬間というのは、脳になにかの液が流れ出てるのではないだろうか。アドレナリンかもしれないし、違うかもしれない。とにかく、なんらかの刺激物が脳に作用しているとしか考えられないような感覚に陥っている。

ここ最近がそうだ。月末を迎え〆切が迫るなか、こうも楽しいのは3月の計画を立てているから

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なにもなかった

今日はなにもなかった、と残念がる人がいる。

どれくらいかはわからないが、少しSNSで検索するだけ多くの投稿がヒットすることから、それ相応の人数がそう思っているのだろう。

現実的になにもなかった日というのは存在しない。3度は食べないにしても1食くらいはご飯を食べるだろうし、スマホをいじるなり、テレビを見るなり生産性の有無は置いておき、なにか活動はしているはずだ。病気で寝込んでいたら、苦しんでいる

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自信をつけるための2月

気がつけば2月もあとわずか、と言うけれども仮に気がつかなかったら、もう少し2月が残っているのだろうか。いや、残っていない。

どちらにせよ、終わりなものは終わりなのだ。1月よりも3日間短い。これは由々しき事態である。

それはなぜか。

ぼくは「月に◎◎本」といった受注の仕方が多い。本数は何月だろうと変わらない。安定しているところは大きなメリットである。一方で、28日しかない2月でも同じように数を

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ちょっと思ったこと

誰かのことを考えて文章を書くことはあまりない。

でも、その「あまりない」そんなことを書いてみたい気分になった。酔っ払っているわけでもなく、なにか特別なことがあったわけでもない。今日だっていつものように起きて、いつものようにご飯を食べて、いつものように仕事をしていた。

春はもすぐそこまで来ている、と感じさせてくれる多摩川の辺りを歩いていたとき、風が強く消防車のサイレンが鳴り響いていた。少しだけい

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なじまない表現

3月は別れの季節、と形容されることがある。

学生であれば卒業式、社会人であれば多くの企業が決算期。それに伴う異動や転勤、退職もあるだろう。さまざまな事情のなかで人と人の別れがあり、そう呼ばれている。

ぼくも学生の頃にお別れはあった。小学校、高校の卒業式だ。ちなみに中高一貫だったこともあり、中学でのお別れはなかった。

今となってみればなんてこともなく、卒業式であったり、その周辺の出来事に思い入

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今日も平和です

思わず膝を打った。

簡単に言うと「あぁそういうことか」と納得することだと理解している。生きていれば、毎日のように──というのはちょっと言い過ぎかもしれないけど──発見や新しいものに触れる機会はある。そんなときにそう思うわけだ。

今日もあった。出かけるために部屋着から着替えていたその最中。何も考えずに、片足立ちで靴下を履いていたそのときだ。

大きくヨロけたわけではない。ヤジロベエが最後の最後、

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バランスを考えるのは少し先

乗るしかないこのビッグウェーブに!

というフレーズが流行ったのは10年ほど前だった。それだけの時が流れても鮮明に覚えている。流行語などすぐ忘れてしまいそうなものだが、あんがい覚えているものなのだ。まぁインターネット上では、しばしばネタにされているのもひとつの要因なのだろう。

ぼく自身にビッグウェーブがきたかどうかは定かではない。でも時として「あぁこれは乗るべきだな。このビッグウェーブに」という

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はちみつ

冬眠から明けた熊はきっとこんな感じなんだろう。

そう思えるほど寒さがなくなり、暖かいとまでは言わないが、寒いというにはちょっと苦しい風が吹いている。

家の外に一歩出ても凍えることはなく、気持ちよさそう。それでいて少し寝ぼけているからか、その風を受けると、また眠りにつきたくなってしまう。それが今日のハイライトだ。

ぼくは野球のオフシーズン(11月から3月末)も毎日のように外へ出かけている。仕事

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アライさんとの付き合い

3年ほどの付き合いがある女性がいる。

ぼくの身体のことをよくわかっている。会うのは月に1回、ないしは2回だけど関係は順調だ。

雨が降りそうな、それでいて風は少しだけ南から、といった困惑する天候のなか電話をかけ会いに行った。

ベッドの上ではぼくはなにも出来ない。身をあずけるだけの1時間。会話らしい会話などなく、リラックスしていれば身体から毒素が消える。そんな気さえする。ぼくにとっては無くてはな

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ちょっとしたマイナス

マイナスかけるマイナスはプラスとなる。

小学校だか中学校だかは覚えていないけれども、たしかに習った覚えがある。当時はよくわからなかったし、なんとなく公式を覚えていただけだった。かといって、おとなになった今、理路整然とそしてスラスラとその論理を説明できるかというと少し怪しい。いや、けっこう怪しい。

それはさておき、人生というものを人並みに過ごしていれば、マイナスな場面に割と遭遇する。たとえば、財

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温かいコーヒー

いつなんどきも最初の一文を意識することとコーヒー豆を挽くことは似ている。どちらも簡単なようでむつかしい。

漫才でいうところの、いわゆる「つかみ」。そこで失敗するとすべてが終わってしまう。それくらい重要な部分である。それは文章においても同じことが言える、と思っている。

なんの気なしに書いた文章よりも、最初を意識してなんとか引き込もうとした文章のほうが反応はいい。もちろん絶対ではない。だか

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わからないこと

なんでだろう? と考えてもこたえがわからない、生きていればそんなことの連続だ。

たとえば仕事。ぼくの場合は、ライターなので原稿を書いてクライアントに提出をする。会心の出来(のはず)なのに、見渡す限り赤で埋め尽くされた無慈悲なファイルが戻ってくることがある。一方で、これはどうだろうな? と半信半疑のものが、うけたりもする。

たとえばSNS。笑いを取ろうと、興味をひこうと、楽しませようとネタを繰り

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水で流せないこと

水で流すことができないことがある。

なにかの拍子で喧嘩別れになったり、ちょっとしたボタンのかけ違いで音信不通になることもあれば、身に覚えがないなかで疎遠になってしまうこともある。

取引先との関係、友人との関係、SNSでの関係……。さまざまなところにそれは潜んでいる。

もしかしたらどちらかが、あるいは両者が水に流すことさえできれば元通りに戻ることができる。きっとそんなことばかり。

それでもそ

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