デュシャンの「泉」は美といえるのか? 佐々木健一『美学への招待』

一時期センター現代文に「近代芸術論」の分野から何度か出題されたことがあって、たまに生徒さんに、「評論の勉強に役立てたいので近代芸術論の本を教えてください」とリクエストを受けることがあります。

本を読んだから成績がすぐに上がる、などということはまずないのですが、とくにこういう近代芸術論(美学と言い換えてもいいと思います)のように哲学の流れをくんだ抽象度の高い評論の場合、多少でも読み慣れておくということは重要です。
読んだからといって好きになる人は稀でしょうし、すらすらと読めるようになるわけでもありません。
それでも、そのジャンルの文章をちょっとでも読んだことがある、という経験はかなり役に立つことになります。

さて、今日おすすめする『美学への招待』という本は美学を扱ったものとしては、もっとも平易な入門書の一つといえるでしょう。
ただし、美学そのものがお世辞にも簡単とはいえないので、楽しくすらすら読めるとは期待しないでください。
もともと美学や芸術に興味があって、芸術系の大学を志望しています、みたいな人にとっては平易と感じられるかもしれませんが(そういう生徒さんもいます)、大抵の人はそんな興味は持っていないので、すらすら読めなくても気にしなくていいです。
というか、次に書くことを頭の隅に留めておいてもらえたら、無理にこの本を読む必要さえないくらいです。
本というのは、最後まで気持ちよく読めるもの方が、私たちにいろいろなものを与えてくれますからね。

この本には、現代文でよく出されるマルセル・デュシャンやアンディ・ウォーホールについての記述がかなりたっぷりあります。
ここではデュシャンの紹介をしておきましょう。

デュシャンというと、『泉』という作品が過激なまでに有名です。
彼は市販の便器(うんちやおしっこをするアレです)に『泉』というタイトルをつけて、展示会に出品しました(使用済みでなかったことを祈りましょう)。

「展示会に並べられたら、それは便器であっても芸術といえるのか」
デュシャンの行為はそのような大論争を生んだそうです。

この一件の示していることは、美というものが概念で決定されるようになった、ということです。
もちろんデュシャンの便器は少しも「美的」ではなく、ただの便器にすぎません。(現代なら美的なフォルムの便器もあるかもしれませんが、当時は便器は便器にすぐなかったはずです)
しかし、それが美であると定義されるならば、それは「芸術」となりうるのか。

これが美学上の大事件といわれるデュシャンの『泉』のお話です。

ちなみに、現代文では、モネやセザンヌのこともときどき出てきます。
受験科目じゃないから美術は勉強しなくていい、なーんて視野の狭い事はいわずに、学校で習うことはどれも真面目に取り組みましょう。

「休校中だから無理ぽ」という人、学校が休みなら自分で教科書を読めばいい。
「受験の年に今さら美術とか無理ぽ」という人、モネやセザンヌくらい、ネットで検索をかければ5分で済む。

勉強は自分でするのもだゾ(がんばれ)

付記:個人の好みで作品を選んでいます。図書館が再開されたら、たぶん図書館でも読めると思うのですが、Kindle版はないのでサンプルを読むのは難しいですね…。それとプレミアがついているみたいで、こういうマスクの転売みたいなものは買うのをやめましょう。上記に目を通しておけばOKです。

https://www.amazon.co.jp/美学への招待-中公新書-佐々木-健一/dp/4121017412/ref=pd_aw_sbs_14_1/357-9946156-2383349?_encoding=UTF8&pd_rd_i=4121017412&pd_rd_r=e40d048e-40f6-42c6-b08b-2c416f10e097&pd_rd_w=CIAZe&pd_rd_wg=fQQZJ&pf_rd_p=bff3a3a6-0f6e-4187-bd60-25e75d4c1c8f&pf_rd_r=Q6GXMJWPR1A74H40262F&psc=1&refRID=Q6GXMJWPR1A74H40262F

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