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直観はささやかに訪れる

引き寄せ界隈で良く言われること。「直観を受けたらそれに従い、何も考えず動いてみるといい。一体これが何になるの?わたしの夢と何も関係ないしっと思っても、動いてみたらいい。」って。そしたら幸運の連鎖で、夢のところへ自分を連れて行ってくれるって。

先日、ある映画を見た。その中で、直観に従うリアルさがよく表現されていると思ったところがあったので、そのことを書いてみたい。

それは「未知との遭遇」
内容はあまりにも有名で、ご存じの方も多いと思うので超簡単に書くと、発電所につとめるロイが、町の停電の修復のため車を走らせていたところ、UFOに遭遇し、その衝撃が忘れられず、UFOに呼ばれるようにデビルス・タワー(山)にたどり着いた。そこでは政府、科学者、軍と、異星人との間で初めての会見が行われるところだった。というもの。監督はスピルバーグ。

わたしが今回、とても注目して見入ってしまったのは、ロイが心の求めるままにデビルス・タワーを作りあげるシーンだった。
わたしは恐らくこの映画を見るのは3回目だが、過去にはド派手なUFOやラストの異星人との交信シーンばかりが記憶に残っていた。
なのに、今回わたしが注目して、とても興味を引かれたのは、主人公ロイのふわっとしたインスピレーションから、その直観を追うに従いどんどん熱中して自分の内面にある形の造形に執着するシーンだった。
あれほどの執着はよろしくないだろうが、直観を見過ごさずに追うこと、そして行動したら強くなるという感じがリアルな気がして、とてもわくわくしてしまった。

映画のシーンとしては、衝撃のUFO接近遭遇後のある日、ロイが自宅でひげそりのシェービングローションを手のひらの上に盛った時に、何か「あれ?」って違和感を感じるシーンがある。
そして、夕食のマッシュポテトを大皿から自分の皿に取り分ける時に、こんもりと山になった形状を見て、「なんだろう?」って不思議そうに皿を見るシーンが入る。
この段階では、ちょっとした違和感。デ・ジャヴ?みたいな感覚だったのだろうと想像する。なんだろう?気になるな、というところ。

その後もロイは、その引っかかりが気になり忘れられない。心の中の形を現実の形として表現したい。粘土で山を作って見る。でも、形がはっきり見えているわけではない。むしろ幻のような形を手で探りながら追っていく感じ。何かが違う。形をつかめなくてフラストレーションがたまる。家族もロイの様子がおかしいことを心配し始める。
やがて粘土の山の上をいら立ち紛れにたまたまふっとばしたことで、デビルス・タワーの形状が突然目の前に現れる!あっ!これだ!と感じる。
更にエンジンがかかり、家の中に土を放り入れてリビングに小山を築いてしまう狂いよう。こうなればもう、家族はロイを見放して出て行ってしまった。

だが、ちょうどその頃、ワイオミング州のデビルス・タワーでは政府がUFOとの会見場にするため、有毒ガスが発生していて危険だからと嘘の情報を流して近隣住民の緊急避難を求めていた。TVでニュースを見たロンは、自分が作った山が実在することを知る!つながった!でも、この段階でまだUFOに呼ばれてるという認識はない。それは現地に行ってからの話。


前にこの映画を見たときは、心にはっきりとしたインスピレーションがあって、つまりUFOに「ここに来い」という意味でメッセージを送られてるんだと思っていた。けど、そうじゃなかった。
呼ばれる感覚は、もっと微細であやふやで、呼ばれてるという自覚さえ無い。ただ、「気になる」だけ。

なんだか、とてもリアルだなと思った。いや、同じ経験もないのにリアルというのはおかしな話だが、内的なインスピレーションって、こうやって小さなきっかけがあり、気にしなければ忘れそうな微かなものなのに、キャッチして気にかけて、そっちに向かって動き出すとよりいっそう強くなる。でもだからと言って確証はない感じ。
直観と言うより予兆に近いのかもしれない。

最近、自分を信じること、直観を信じることなどについて、考えることが多く、自分でも実験中だったので、たまたま(?)見た未知との遭遇で、こういう事かって教えてもらえた気がした。

それにしても、巨大UFOの美しさと、5音の音階の不思議きれいさは色あせない。

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