見出し画像

倫理的消費(エシカル消費)ってなんだろう?

「倫理的消費」について卒業論文を書いている。

サステナビリティやエシカルをテーマに取り組みながらも、「それは本当にエシカルなのだろうか?」と違和感を持つようになった。

たくさん作って売って買って捨てる、そんな仕組みに違和感を持ってて、そうではなく大切にものを使ったり、愛着を持つものを増やしたいと思ってきて、喜ばしいことに、社会全体で環境問題への関心が高まっている。以前は「フードロスに取り組むのはいいことだけどお金にならない」なんてなおざりにされてた風潮を感じるけど、今や「エシカル」や「サステナブル」と言う言葉を見聞きするのも当たり前となって、配慮すべきこととして捉えられている。

周りでも本当に想いを持って取り組む人たちがいて、そんなプロダクトが作られて食料品店や公共の場所など至る所で見かけるようになったのはとても素晴らしいことだと思いつつ、言葉や広告が先行して「果たしてそれは本当にエシカルなのだろうか?」と思わされるものもある。「環境に配慮」とか「フードロス削減」に取り組んでいるはずなのに、そう謳っているだけに感じてしまう瞬間があった。(例えば、セブンイレブンの「フードロス削減プロジェクト」)当時は、コンビニ(業界だけの話ではないが)ではたくさん廃棄している現状があるのに、フードロス削減に取り組んでいても、それって社会にとっていいことをしてると見せてるだけなのでは?と感じてしまい説得力が感じられなかった。今思うと、コンビニという日本各地に店を構えていてインフラとしての機能を兼ね備えている利点があるし、全くゴミを出さない仕組みも難しい中で、少しでも捨てられる食材を減らそうとする啓蒙活動がされた意味は大きい。

少し脱線したけど、そんなエシカルでサステナブルな取り組みが増える中で、「環境に配慮すれば良いのか?」「環境に配慮していてもイイと思えないものがある」「環境に配慮していなくてもいいと思うものも世の中いっぱいありそうだ」と思うようになり、じゃあ「倫理的な消費」って一体なんだろう?と考えるようになった。

(「エシカル」という言葉が持つ意味の幅が広がって、エシカルの定義がよく分からなくなったので、積極的には使わず、よりしっくりくる「倫理的」という言葉を使ってる)

今のエシカル消費には、「地球環境に配慮する」という誰もが正しいと思う普遍的で合理的な面が強くあって、反対に、”好き嫌い”で判断するような変動的で個人の感情的な要素が欠けているのでは?

そんなことで、エシカル消費の今のあり方への批判をしつつ、改めてどんな消費の仕方だと倫理的だと言えるのか、少しでも見えるよう探求してみることにした。その先に心地よく消費に関われるようになりたい。

論文書き始めるの遅いしまだまだ終わらないけど、頑張ります。ただ「何をどう食べる(消費する?)べきか」はずっと探求していくだろうし、これまでも探求してきたことの延長線上だから、卒論と関係なくこれからも考えることだろうなと思う。


いただいたサポートは「食」を発信する活動に使わせていただきます^^