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クリスマスケーキの思い出

昭和の思い出。
私は兄弟がその昭和時代でも多くて、クラスメイトが二人兄弟が定番の時代に六人兄弟の一番上の姉だったりする。
それが自分では当たり前だったので、子供時代は特に何も思わず。
クラスメイトと同じようにお小遣い貰ったり、遊べたりしたらいいなと思うくらいで。
弟達の面倒や家事を担ったりしたので、今ならヤングケアラーと言われるかも知れない。
当然、誕生日のプレゼントもクリスマスプレゼントもお年玉もクラスメイトより少なかった。
そんなもんだーって受け止めてた。

ある時、母が内職を始めた。
母は子ども達には、お友達から頼まれたからと明るく言っていた。
母と子ども達みんな内職をやった。
私も弟達も楽しく手伝った。
アメリカのメーカーのガムを梱包すると言う単純なもの。
兄弟みんなでわいわい楽しく手伝った。
もしかしたら子ども達がやったものは不良品だったかも知れない。
でも、母からそんなことは言われたことが無かった。

ある日、母が美味しいもの食べに行こうと私と兄弟に言った。
古い喫茶店に皆行った。
母も私も弟もみんなフルーツパフェを頼んだ。
美味しかった。
パフェを食べられるなんて夢のようなことだった。

その年のクリスマス。
母はお友達のパン屋さんから頼まれているからと、クリスマスケーキがアイスクリームケーキになった。
ハーゲンダッツもサーティワンも無かった時代。
母から見せられたカタログの、アイスクリームケーキの美味しそうなこと!
バタークリームケーキが定番だった時代にアイスクリームのケーキ!
私も弟達も皆楽しみにしていた。

クリスマス当日。
アイスクリームケーキが来た。
夜までに解凍し、我が家のクリスマスケーキになった。

美味しかった。
本当に美味しかった。

今でもサーティワンやハーゲンダッツより美味しかったと思う。
サーティワンやハーゲンダッツが美味しくないのではない。
あれは、母の思い、私達兄弟の思い、そして、クラスメイトとは違うケーキを食べた思い。
色んな思いが混ざった甘い甘い思い。

私が結婚し、娘が生まれた年。
父も母も兄弟皆、クリスマスケーキを娘に送ってきた。
まだ乳児でケーキなんて先も先。
元夫の両親も兄弟も娘宛にケーキとプレゼントを送ってきた。
私が


「そんなに食えるかあーーー!」

とブチ切れたけど、有難くいただいた。
みんな、子どもには美味しいクリスマスケーキを送りたかったのだろうと。
ケーキを食べて嬉しい顔が見たかったのだろうと。
甘くて美味しいもの、凄く幸せな記憶がある、昭和生まれの人たち。

今年もクリスマスがやってくる。
今は娘も美味しいケーキを食べるのだろう。
でもね。
でもね、私は、あなたのお母さんである私は、あの時食べたアイスクリームケーキより美味しかったケーキをこれから体験出来ないと思うの。

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