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「母子ともに健康」のリアル〈子育ての記録:はじめての出産編〉

このnoteを書こうと思ったのは2022年の年末。年末というのはただでさえ一年を振り返りたくなるものだが、それに加えて、子どもが1歳を迎えたものだから、総おさらいをしたい気持ちがすごかった。
というか、当時すでにおぼろげになりかけていた記憶たち。今きちんと振り返っておかないと何もかも忘れてしまうんじゃないか。たった3年前に行った楽しすぎた海外旅行さえ、ボロボロと記憶が落ちてしまっていて、帰ってきてすぐに記録しなかったことを後悔した。
はじめての出産、子育て……あまりにも特殊で貴重なそれらのできごとを、なんとなくの記憶にしてしまうのは悲しい。思い出補正や周りの人の体験談と混ざるなどして、記憶が塗り替えられてしまうのは嫌だった。わたし自身のはじめてだらけの体験を、その大変さを、絶対に戻れない愛おしい瞬間瞬間を、何十年後もちゃんと覚えていたい。
だから、膨大な量になるだろうけれど、出産から今までのことを記録しよう――そう思って書き始めて約9ヶ月。年末年始で書き上げる予定が全然終わらず、育休中には終わらせようと思い全然進まず、仕事復帰してからたまの通勤時間にちまちま書いたりして、やっと一応形になった。
これまでの子育てについて「出産編」「0歳前半編」「0歳後半〜1歳ちょっと編」に分けて記録したので、よかったらお付き合いください。

陣痛から出産まで

結論から言うと、母子ともに健康な安産だった。それは、当然と思ってはいけないくらい本当に本当にありがたいことなのだけど、どれだけ医学的に何の問題もないお産だったとしても、一個人の経験からしたら「壮絶」としかいえないような、とんでもないできごとだった。痛みには強いほうだと思っていたわたしだけど、正直あれはトラウマである。

陣痛はもっとわかりやすく「う、痛い、陣痛始まったわ」とわかるのかと思っていたが、全然違った。深夜2時頃から続く、生理痛のような鈍い痛み。痛くなったり治ったりをくり返していて、あぁこれが前駆陣痛というやつかなあ……と思っていた。いよいよなのか……と思ったらとても眠れず、陣痛の間隔を記録するアプリを一晩中開いていた。
朝6時頃、痛みの間隔が10分くらいで定着してきたかな?これが本陣痛なのかな?と思っているのも束の間、その1時間後くらいには5~6分間隔になっていた。

陣痛というのは、お腹がずっと痛いのではない。「痛い」と「痛くない」の波があるのだ。「痛い」と「痛くない」の間隔が一定になり、特に10分間隔になると「本陣痛」といわれ、いわゆる陣痛が始まった状態になる。
そして、わたしも妊婦後半になるまで知らなかったのだが、この10分間隔というのは、「痛くない時間が10分間ある」のではない。1~2分間痛くて、残りの約8分は痛くないという、合計して10分のサイクルなのである。
つまり、午前7時頃すでに5分間隔だったわたしは、1~2分間痛くて、痛みがないのは3分程度だったわけだ。「陣痛が始まったからといってすぐに産院に行くのは早すぎる。8分間隔くらいになったころに行くのがいい」というのをよく見聞きしていたことから、たいていは10分間隔がもっと長いのだと思う。陣痛が来たぞ~と構える時間があるはずだ。
それなのに、わたしは気付いたら5~6分間隔になっていて、え、もう産院に連絡しなきゃじゃん!8分間隔なんてときあった???という感じだった。朝7時に電話をかけて、5~6分間隔なんですと伝えるも、ふつうに会話ができる程度の痛みだったことと、もともとその日の午前中が妊婦健診だったことから(予定日より数日早い陣痛だった)、産院からは「もう少し待って、妊婦健診で見てもらいます?」と言われた。まあどうせあと2時間くらいだしそうするか……と思ってそのときは電話を切った。

しかし、身支度をしているうちに結構本当に痛くなってきて、痛みの波が来ているときは動作を止めざるを得なくなっていた。これは妊婦健診の時間に産院に行けたとしても、待合室で他の人と並んで平然と順番を待っていられる気がしなかった。明らかに痛そうにしてうずくまっている人間がいたらさすがに迷惑だろう。うん、無理だな、と思った。しかも、「今家を出るなら産院まで送っていけるよ」という夫の言葉もあり、もう一度産院に電話をかけた。「妊婦健診を待たずに今から行ってもいいですか」

入院バッグを持って家の外に出た。暖冬でぽかぽか陽気の日々が続いていたなか、突然冷え込んだ雨の日の朝だった。夫が運転する車の助手席に乗って、痛みから「うー」とか「あー」とか言いながら雨粒に濡れるフロントガラスを見ていた。
産院へと向かう大通りのイチョウ並木。暖冬で紅葉も遅かったから、12月上旬だというのに地面には黄色い葉がめいっぱい敷かれていた。ただそれは、雨に濡れて、車に踏まれて、正直「きれい」とは程遠く、出産の日の思い出として脳裏に焼きつけるには、あまりにも平凡な風景だった。

産院に到着して、日中の担当についてくれたのは天海祐希ふうの超サバサバ系助産師さんだった。陣痛の痛みと緊張で精神的に弱っているときにサバサバ系の人か……。ふだんからわりとのんびりしていてハキハキ話せない自分は、このタイプには初対面であまり好かれないんだよな……。
世の中には、出産時に体育会系な声掛けをする助産師さんもいるらしいので、わたしはバースプランに「出産の際には優しくしてほしい」と書いたのだけれど、叶わなさそう……と軽く絶望した。

さっそくお腹に機械をつなぎ、お腹の張り具合を計測した。天海祐希はモニターで波形と数値を見ながら、「お腹が張ったときの数値これ、今30とか40でも痛いでしょ?でもこれ産む頃には100くらいになるから」とさらっと言う。え???おっしゃるとおり、すでにだいぶ痛い。100なんて内臓ぶっ壊れるんじゃないか?と思った。がしかし、後に分娩台に乗る頃には130をバンバン叩き出すことになる……。
次に、内診で子宮口がどれだけ開いているかをチェック。天海祐希はわたしの足に触れると、「足冷たいよ、冷え過ぎ」を連呼。そんなこと言われても……。もともと冷えやすいのはたしかにそうだけど、決して足冷やすような格好していたわけでもないし、というか今日急激に寒くなって、しかも雨なんだから、そりゃ冷えるよ!と心の中でぶつぶつ言い返した。
そして、そんなことよりショックだったのが、この時点でまだ子宮口が1.5cmしか開いていなかったことだ。子宮口は10cmが全開で、全開になるといよいよ赤ちゃんが出てこれる。つまり、生まれるまでの道のりが長すぎるのだ。というか、2週間前の妊婦健診のときに「子宮口1cmちょっとですね」と言われてから全然変わってない。
わたしはこの瞬間まで、陣痛と子宮口の開きは、ある程度は連動していると思っていて、つまり、これだけ陣痛の間隔が短くなってきてるということは、子宮口は5cmくらい開いている気になっていた。だから、1.5cmと聞いて、わりと絶望的な気持ちになったわけである。

陣痛のほうは痛みがまだ強くないし(天海祐希的にはね)、子宮口もまだまだだったので、天海祐希には「一旦家に帰ったらどうか?」と言われた。わたし的には「え???」である。こんなに痛いのに???せっかく出勤前の夫に車で病院まで送ってもらったのに???というのが本音。
ただ、いざ助産師さんにそうやって言われると、家で耐えるべきなのかな?と思ってしまうわたし。「まあステイしてもいいし、選んでいいよ」と言われたが、「え、それ暗に帰れって言ってない?わたしのこと試してない?」とかいろいろ考えてしまうわたし。
そこで夫に電話で相談すると、「さっきすでにすごく痛そうだったし、そのまま病院にいたほうがいい」と言われ(きっとその言葉を言ってほしかったわたし)、それに押されるようにわたしは心を強くしてステイを希望をした。
天海祐希は了承してくれたものの、「このままベッドに横になってるだけじゃお産は全然進まないから、あとで院内を散歩して、足が冷たすぎるからお風呂に浸かって体を温めましょう」と言う。え?ベッドで休んでいられない???この痛みで、散歩とかお風呂とか何言ってるんだこの人は???と思ったものの、向こうはお産のプロ。プロが言うなら、そういうものなのか……と飲み込むしかなかった。

午後になって、いざ院内散歩に向かう。しかし、痛みの波は定期的にやってくる。その間はとても歩けず、ただ手すりにつかまって体を丸くして堪えるしかなかった。通りすがりの助産師さんたちに「大丈夫?無理しすぎずにね」と心配されるたび、同じ「助産師」のはずなのに、みんなが天使に見えて、天海祐希が鬼に思えてならなかった。
散歩から帰ると、天海祐希は「あら、がんばったね」とやや驚いた様子。ちょっとは根性があるやつだと思われたようで、それ以降は少し口調が優しくなった。気がする。
そして次はお風呂。産院にシャワー室があるのはわかるが、まさか湯船があるとは思わなかったから驚いた。この頃には、陣痛は5分間隔を切っていたと思う。すぐに次の波が来るから、服を脱ぐのに何分もかかった。
以前読んだ、小川糸の小説『つるかめ助産院』でも、お産を進めるために、妊婦にお風呂に入るよう言うシーンがあった。あの時あの妊婦さんは、こんな這いつくばるようにしてお風呂に入っていたっけ?なんか違くない?などと考えながら、わたしはなんとか湯船に浸かった。
あぁ、痛い。痛い痛い痛い。こんな痛い状態で、日本中にいるどのおばあさんよりも腰を丸め、見ず知らずのバスタブに裸で浸かって、わたしは一体何をやってるんだ、という気持ちだった。
でも……体の奥のほうの緊張がじわじわほぐれていくような感覚。「どう?」とドアの向こうから声をかけられ、「痛いけど、お湯気持ちいいです」と答えた。どちらも本音だった。

お風呂効果なのか、夕方の内診では子宮口5cmまできた。が、正直、まだ5cm?という気持ちだった。だって、いよいよ痛みが本格化してきて、思わず声が出てしまう。絶対に部屋の外に丸聞こえだと思いつつも我慢のしようがなかった。
何度か助産師さんが覗きにきたものの、「痛いよねー」と言っては出て行ってしまう。え、こういうときって腰を押してくれたりするんじゃないの?なんで部屋にひとり放っておかれてるのわたし?どのタイミングになったら助産師さんついてくれるの?もしや分娩室移るまで何もしてもらえない?と、これからの流れが全くわからず、いつまで耐えればいいのかもわからないことは、精神的にかなり参った。
だって仕事だったら、タスクの量と期限を先に洗い出すでしょ?ミーティングならアジェンダがあるでしょ?それらがないまま、闇雲に残業したり、会議を続けているような苛立ちだ。しかもスーパーデューパー痛い。
「もう夫に来てもらってもいいんですか?」と助産師さんに聞いたら、「これから夕食だからそのあとに連絡しましょう」と言われた。ここで最大級の「え???」である。こんなに痛いのに、ご飯なんぞ食べられるわけないし、助産師さんからのサポートなしなら、わたしは呼ぶぞ!夫を呼ぶぞ!とスマホをつかんだ。

そして夫は夕飯の前に到着した。テニスボールで腰を押してもらいたかったのだけど、その時はどういうわけか、体を横向きにすると痛みが強まってしまい、仰向けでしかいられない。となると、テニスボールも夫も何の役にも立たなかった。
夕食は、なんとかがんばってスープを3口飲み終了。めちゃくちゃおいしそうな魚介のドリアみたいなのがメインだったから、本当はそれを食べたかった。わたしは食べるの大好きマンで、豪華な食事はこの産院を選んだ理由の一つでもあったから、本来であれば、かなり痛かったとしてもメインだけは頑張って食べたはずなんだ。それがスープ3口しか無理だったんだから、前代未聞にやばい痛みというわけ。って、知らんよね(笑)

その後の内診でようやく子宮口8cm!助産師さんが「今日はお産が立て込んでいるので、ちょっと早いけどもう分娩室に移動しましょう」と言う。気づけば、担当は天海祐希から、小柄で優しい雰囲気の助産師さんに代わっていた。どうもここから夜勤らしい。わたしのバースプラン「優しくしてほしい」は叶うかもしれない……。

分娩台に上がった頃には、いきみたい間隔が強くなり、破壊しそうな腰の痛みと、猛烈なお尻の痛みが交互にやってくるようになった。
え、お尻!?!?お尻が痛くなるなんて聞いてないぞ!?!?新種の痛みに堪え方が全くわからないでいると、明らかにベテランっぽい年配の助産師さんがやってきて、わたしのお尻の的確な位置を押してくれた。
これが最高だった。この人がついていてくれれば大丈夫だ!と思った。それなのに、「お産が立て込んでいてね……また来るからね」と言って出て行ってしまう。そんなのが何回も繰り返された。そのたびに「ホントにホントに行かないで、ホントに」と、痛みと寂しさと恐怖で泣きそうだった。
その間、夫が見様見真似で押してくれて、わたしは「お尻ー!」「腰ー!」と交互に叫び続けた。なぜか夫のお尻押しはうまかった。やったことあるのか?というくらいうまくて、かなり頼もしかった。ただ腰は、どれだけ押してもらっても、何も感じないくらい痛くて、夫が時々たずねてくる「どう?少しはマシ?」を全部無視してしまった……。だって、少しもマシではないし、かといってもっと強くとお願いしても多分それ以上は無理で、下手したら夫の指が折れてしまいそうだし、たとえ折れてもわたしの腰は少しもマシにならず痛いのだ。

一体いつ産むのよ、いつ助産師さんはここにステイしてくれるのよ、今なんの時間なのよ!!!そう思っていると、またやってきたベテラン助産師さんに「この人は横向きのほうがいきむのやりやすそう」と言われ、分娩台の上で横向きになった(「この人」という言い方はちょっと変だけど、ベテラン助産師さんは常にその言い方だった)。たしかにそのほうがいいような気もしたが、こんな向きで産めるわけないんだから、産むのはまだ先なんだ……と察し、絶望。とにかく産まれるまでの工程の今どこにいるのかが全くわからないんだよね。

絶望している間に、外から産声が2回聞こえてきて、お産、本当に立て込んでるんだな……と感じた。それと同時に、赤ちゃんの声以外に、わたしみたいに叫びまくってる人の声が一切聞こえなかったことに気づいた。え、なぜ?わたし叫びすぎなの?と、急に恥ずかしくなった。けど、こんなの我慢できる代物じゃない。きっとわたし以外みんな無痛分娩なんだ!と思い込むことにした。いや、でもそんなにみんな無痛分娩なのか?そもそも、無痛分娩でも産むときはさすがに痛みがあるって聞いたよなぁ……。なんでみんなこんなサイレントを貫いてるの???意味わかんない意味わかんない。

再びベテラン助産師さんが来て内診すると、いよいよ子宮口はほぼ全開まできた。「ここまできてるのに、なかなか破水しないね」と言われ、そうか、破水しないことには産めないのか!と知る。妊婦のくせに知らないこと多すぎる。
陣痛の前に破水から始まる人だっているのに……。陣痛5分間隔でも子宮口1.5cmだったし、わたし痛い時間が長過ぎない?破水させることってできないの?いつまで待つの?と思っていたとき、ベテラン助産師さんがふと言った。「この人はすごいよ〜。これまで一回も弱音言ったりしてないからね」
分娩台では、他の人たちが立て続けにサイレント出産していくなかで、わたしだけが叫びまくっているのを恥ずかしく思っていたから、この言葉はわたしに自信をくれた。そうなの、そうなんです!わたし、今回で痛みには決して強くないとわかったけど、忍耐強さは人一倍あるんです!――ベテラン助産師さんのこの言葉は今でも嬉しい。

その後もベテラン助産師さんは二往復ほどして、また戻ってきてくれたときに「赤ちゃんちょっと右のほう寄ってるみたいね。だから破水しないのかも」と言い、わたしのお腹をくいっと押した。その瞬間、破水。あぁようやくだ。やっぱりベテランは違うな、よくわかってる。と感心しつつも、それがわかるならもっと早く押してくれる???と心のなかで愚痴る。夫が隣で、破水したね!と励ましてくれていたが、喜ぶ元気もなく、早くどうにかしてくれ、という気持ちだった。

まもなくして、優しい助産師さんとベテラン助産師さんのふたりがやってきて、分娩台の周りであらゆる道具を用意し始めたことで、ここから本格的に「産む」段階に差し掛かるんだということを察した。わたしも仰向けに戻された。
ここからは、正直記憶があいまいだけれど、赤ちゃんの頭が見えてから全部産まれるまでにかなり時間がかかった。途中、ベテラン助産師さんが何度も「頭見えてるからね、赤ちゃん髪の毛ふさふさだよ!」と言って励ましてくれた(?)が、痛みでそれどころじゃなく、髪の毛とかどうでもよかった。(産まれてみたら、ただ励ますための言葉じゃなくて、本当に他の子に見ないくらい髪の毛ふさふさだった。)
いきむたびに、助産師さんたちが「上手だよ」「いいよ」と言ってくれるのだけど、その場の雰囲気と夫の雰囲気でなんとなく「進んでいないんだな」とわかった。でもこれ以上何をどうすればいいのかわからない。
妊娠中は、産むところを想像するだけでこわすぎて、ましてや他人の出産動画を見て予習するなんてできなかった。けど、このときばかりは、事前にいきみ方をちゃんと調べておかなかったことを後悔した。

ただ、調べておけばスムーズにいったかといえば、そうでもなさそうだ。ふつうは、どんなに産まれる直前でも陣痛には波があり、弱まったときには痛みをも去るので、「いきむ」「休む」のリズムが大事らしい。だから、助産師さんたちにも「はい、力抜いて〜」とリラックスを促す声かけを何度もされた。
しかし!!!わたしの場合どういうわけか、陣痛の波が引いたあとの「余波」みたいなものが、とんでもなくこの上なく痛かった。余波どころかこっちが本チャンでは?というくらい、超ド級の痛みだ。今までは「あーあー」「うーうー」叫んでいたわたしも、この本チャン余波には思わず「痛い痛い痛い痛い!!!」と怒鳴ってしまった。
わたしが然るべきときに力を抜けずにいるのを見て、ベテラン助産師さんに「この人は余波が痛いみたいね。赤ちゃんの頭が骨盤に挟まってる状態だから、そりゃ痛いよねえ」と言われる。「赤ちゃんの頭が骨盤に挟まってる」!!!これってすごいパワーワードならぬパワーセンテンスじゃない!?そりゃ骨盤無理やり開かれて頭挟まってりゃ死ぬほど痛いに決まってる。
「赤ちゃんの出たいタイミングと、いきみたいタイミングがちょっとずれてるんだね」と、ベテラン助産師さんが続けて言う。陣痛の波が去ろうとした頃に赤ちゃんが出ようとしてくるから、わたしの場合余波がめっちゃ痛いってこと?よくわからないけど、とりあえず、出産とは母と子が呼吸を合わせて初めてできるものなんだ、とちょっと感動したり、その呼吸が合ってないのか……とちょっと凹んだりした。
ちなみに、さっきからベテラン助産師さんの言葉ばかり並べているが、分娩のメイン担当で実際に赤ちゃんを取り上げるのは優しい助産師さんのほう。このあとも、わたしがいきんだときにベテラン助産師さんが横で「この人は〇〇だから、もっと△△」などとアドバイスしているのが伺えて、「いや、もう気づいてるならベテランさんが全部やってくれよ!!」と思った。そっちからしたら、アドバイスを受けて、よし、次の陣痛の波でやってみよう、という感じかもしれないが、こっちにとってはそのワンターンがどれほど死にものぐるいか。

そうこうしているうちに、助産師さんから連絡を受けた男性医師が分娩室に入ってきた。よくわからないけど、医者が来たってことは、もうまもなく産まれるってこと???もう流れが全くわかんねー!!!こっちはずっと、今にも産むぞという気持ちでいきんでいたのに、助産師さんたちはまだまだ産まれないってわかってたわけ?あんなに「いいよいいよ」って応援してくれてたのに?もう何を信じたらいいんだ、いつまで続くんだこれは、頼むからもうやめてくれ。
「はい、来たよ~、いきんで!」と言われて必死にいきむ。いきみ方ももうよくわからないけど。すると、「いきむとき目閉じないで、開けて!こっち見てね!」と聞こえる。でも、目開けてこんなにいきんだら眼球破裂するんじゃないの???というくらい目を見開いて、人生で一度も見せたことがないような化け物みたいな顔をして、死ぬ気でいきんだけど産まれねぇ。……ということは、次にくるのは本チャン余波だ。地獄タイム突入。無理無理無理無理。助産師さん手放さないでよ!!!休憩するなよ!!!こっちはまだ痛いんだってば!!!これが一番痛いって言っとるがな!!!
少し痛みが弱まった数秒間も、次にまた陣痛→本チャン余波が来ると思うと、気持ちは休まるどころか恐怖でいっぱいで、無理です、耐えられない。いつ終わるかもわからない。まじ拷問。こんなん拷問でしかないわ!!!!日本で、しかも令和という時代に、拷問受けてるわたしって何!?!?と、赤ちゃんには申し訳ないが、本気でそう思ってました(ゴメンネ)。

最後はついに限界が来て、本チャン余波の途中で「もう無理だよおおおお」と叫んでしまったのを覚えてる。それを聞いた助産師さんが「そうだよね」と言い、次の陣痛のタイミングで、わたしのいきみに合わせてお腹を押した。え、物理的に出す感じ?と思った瞬間、

「はい、産まれたよ!!」

産声は、自分の叫び声で全く聞こえなかった。何かが体から出た感覚も全くなかった。もっと、ぬるっとか、すぽっとか感じると思っていたのに。
助産師さんが大きな紙のようなもので赤ちゃんを包むと、すぐにわたしの胸の上にうつ伏せで乗せてくれた。それを見て、「本当に人間が入ってたんだ……」というのが最初の感想だった。小さい小さい生き物だけど、自分の体の中に入っていたと思うとあまりにも大きかった。

それから、これはとても驚いたのだけど、産まれたての赤ちゃんは大して泣かないのだ。ドラマや映画のシーンでは、めちゃくちゃ泣いてるじゃない。あれを見てるから、こんなに泣かなくて大丈夫なの?と思ったけれど、助産師さんいわくそういうものなんだと。産まれた瞬間、肺呼吸に切り替わるときに、おぎゃあとひと泣きすれば問題ないそうで、わが子はちゃんと泣いたらしい。(聞きたかったな……TT)
あともうひとつ。産まれたての赤ちゃんの目が、けっこうしっかり開いていたのも驚いた。分娩台の上で初めて撮った家族写真は、ぱっちりお目めでカメラ目線だった。これは最高の一枚だと思う。
産んだあとは、さっきまでの地獄の痛みは何だったのかというほど、体のどこも全く痛くなくなっていた。余韻とかもない。あの一瞬で、どうやら地獄から地上に舞い戻ってきたようだ。よかった。

その後

分娩室で産後の処置などが済んで、赤ちゃんは新生児室へ行き、夫も帰り、わたしは最初のトイレに行くことになった(なおトイレに行っても尿意はゼロで、分娩台に戻ってチューブで出されることになる)。優しい助産師さんに支えられながら便座に座ったのだが、床についた両足がいきなり異常なほど震え出した。自分の意志では止められない。何これ!?
優しい助産師さんに「陣痛で長い間身体に力が入っていたり、普段使わない筋肉を使ったからね」と言われ納得したものの、自分の身体が自分のものじゃないような感覚で、なんだかこわくなった。そういう気持ちになるのは、入院中にあと何回かあった。

そのひとつが、化け物級の筋肉痛だ。出産が夜だったので、翌日はまだ産後24時間も経っておらず、日中は、身体の痛みなどはなかった。しかし夜中、つまり出産の翌深夜、ふと目覚めたときに、身体が全く動かないことに気づいた。金縛りとも違う。意識は明らかになのに、腕や脚がベッドにくっついてしまったかのように重く動かない。首から下が別の人間になったのかと思った。なんとかして腕を動かしたときに、ギシギシと痛いことに気づき、これは筋肉痛なんだと理解した。
そういえば、産んだ直後に、会陰の痛み止めとしてロキソニンを分娩台で飲まされたのを思い出した。あれ、また貰えるのかな……。でも「筋肉痛で」なんて言うのも恥ずかしいし、そんな理由じゃくれないかもしれないな……とか、うだうだ考えていた。
しかし、やはりもう一度眠るなんてとてもできず、痛み止めを頼もうと決意。したものの、痛みで腕が上がらないので、頭上のナースコールまで手が届かない。なぜ、ナースコールはこの位置にある!?と恨みながら、かなりの時間をかけてボタンを押した。翌日は、貰ったロキソニンを飲んでいてもなお、これまでのどんなひどい筋肉痛とも比べ物にならないくらい、全身がギシギシ痛んだ。

そういえば、産んだ翌日は、また天海祐希が担当の助産師さんだった。「昨日中に産まれたんだね〜!おめでとう!頑張ったよ!よく頑張った!」
昨日よりツートーンくらい高い声でめちゃくちゃ褒めてくれる。驚き。呆気にとられてしまい、「わたしだけずっと叫びっぱなしで恥ずかしかったです」なんて、センスのない返しをしてしまう。すると、「そんなことないよ~。だって無痛分娩でもなかったし、促進剤も使わなかったんでしょ?今どきすごいことだよ~!自信持って!」(出産時のベテラン助産師さんも同様のことを言っていたと、後に夫から聞いた。)
そうなのか。わたしすごかったのか!別にスーパーナチュラルなお産を希望していたわけでは全くなく、むしろ、早く産ませてくれるならあらゆる医療処置してくれて全然構わないよ!っていう気持ちだったけれど、わたしが何も言い出さないから「The元祖ナチュラルなお産」になったのかもしれない。
どんなお産だって全部大変だと心底思っているけれど、このときばかりは「わたしってすごいんだ!めっちゃ頑張ってたんだ!医療の力に頼らず自力で産んでえらすぎ!」と心のなかで全人類にマウントをとった。そうでもしないと、絶叫しまくった昨夜の恥ずかしさから立ち直れそうになかったのだ。実際、産んだ翌日は喉が枯れていて、面会に来る母に「何か欲しいものある?」と聞かれて、のど飴を買ってきてもらったのだから。

そういうわけで、本陣痛から約16時間での出産。初産にしては平均的な時間のお産が終了した。そういえば、産まれてすぐベテラン助産師さんに「二人目はこんなに時間かからないからね~」と言われた。もともと漠然と「子どもは二人かな」と思っていたわたしだが、このときは心のなかで「は???二人目なんて絶対ないわ!!!出産なんて二度とするか!!!」と悪態をついた。
あれから1年半以上経った今なら二人目を考えられるか……というと、やっぱり嫌だなあ(笑) まあ、二人目を考えるにはいろんな要素があるわけだけど、単純に痛みがトラウマで二人目産むのを控えたくなってしまう可能性があることを知った。だから過去の自分に伝えたい。「怖いものみたさ(経験してみたさ)で自然分娩を選ぶのは絶対にやめたほうがいいよ」と。

◆次は、「産後、寝られないよりもつらいこと〈子育ての記録:0歳前半編〉」です。


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