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産後、寝られないよりもつらいこと〈子育ての記録:0歳前半編〉

最初の3ヶ月の何がつらいかって

今振り返ると、もっと周りに大変なことを伝えて、甘えて、頼ればよかったと思う。最初の1ヶ月は、母に毎日、わが家に通ってもらい、だいたい12時〜18時の間滞在してもらっていた。
母は、家事は全部やってくれたのだけど、わたしに気を遣っていたのか、赤ちゃんのお世話はノータッチだったので、わたしもなんとなく「さすがに赤ちゃんのことは全部やるべきだよなぁ」と思っていた。オムツ替えなんて即効で飽きていたし、沐浴は身体があちこち痛くて、本当はそのへんも全部やってもらいたかったのが本音。でも、そんなことを言ったら、やる気なさすぎ、甘ったれてる、これから大丈夫?などと言われそうor思われそうな気がして、口には出せなかった。

また、母がよく言っていたのが「旦那くんは夜ちゃんと寝られてるのかな?移動が車だから寝不足になると危ないし心配だよね」。わたしも基本的にそれには同意だったけれど、母の言葉にとらわれるかのように、夫にはちゃんと寝てもらわなきゃ……と、軽い宗教のように心のなかで何度も言い聞かせていた。
今思えば、馬鹿げてる。もちろん、車移動で運転しなくちゃだから寝不足が続くのは危険。でも、赤ちゃんが産まれる前だって、「昨日は夜更かししちゃった、眠すぎる〜」って日はふつうにあったわけで、どうしてわたしはあんなに毎晩7時間しっかり夫を寝かせようと躍起になっていたのか。赤ちゃんが誕生したのなら、多少の寝不足なんて当たり前。新生児期ならではの大変な毎晩をもっともっと共有するべきだったんじゃないか、などと今は思ったりもする。
実際、7ヶ月頃から始まった夜泣きは、物理的にも精神的にもわたしひとりでは対応できず、何度となく夫を巻き添えにしたが、夫はわたしの想像以上に体力があるようで、睡眠不足でもわりと元気だった(ように見えた)。
とはいえ、昼夜関係なく生きてる赤ちゃんとの夜を過ごすのは、日中働いている人間にはさすがに無理なわけで、もう一度やり直せたとしても、(多少は巻き添えにするだろうが)やはり夫には寝てもらったと思う。
だって、この時期の赤ちゃんは、きれいに「起きた」「寝た」が分かれているわけじゃない。抱えて授乳しながら寝てしまったけれど、いざ布団に置くと泣く、みたいなことの繰り返し。そんなのがずっと続く。これに付き合ってると、自分は全く寝られないわけで、夜に一睡もできないまま朝を迎えた日も何度かあった。

とはいえ、寝られないのが一番つらかったかといえば、わたしの場合はちょっと違った。もちろん寝られないのはしんどい。ただ個人的には、ほんの数年前、鬱で寝られなかった日々があったので、それに比べればマシ、という感じだった。
メンタルを崩して、夜寝られない日が続いていたあの時期の、あの地獄のような長くて暗くて惨めで孤独で絶望的な夜に比べれば、育児で寝られない夜はまだ「マシ」ではある。鬱のときは、何のために起きているのかもわからないし、その時間は何も生み出さないどころか、常に自分の無価値感につきまとわれて、死にたくなる。
もちろん、育児で寝られない夜も孤独ではある。ひとりでなんとかしなくちゃならないのだから。Twitterなどのママ垢界隈では、夜の赤ちゃん対応のことを「夜勤」なんていうのだが、長い長い夜のトンネルの中で夜勤の孤独をつぶやいている人は多かった。
だけど、わたし的には、育児で寝られない夜には「意味」があった。赤子がわたしを必要としてる、赤子を生かすために起きている。それは鬱で寝られない夜とは全然違った。もちろん体力的にはきつい。でも、「意味がある」というのは、それだけで強いことだった。
これに限らず、子どもができて、わたしの命がわたしだけの命じゃなくなったことは、個人的にはとてもよかったように思う。少なくとも、死にたいなんて思ってる場合じゃなくなった。こればかりは、子どもに感謝しなきゃなと思う。

じゃあこの時期の何が一番つらかったかというと、わたしの場合はありとあらゆる体の痛みだった。
それらは、あるとき、目が覚めたら左手の小指がカクカクしてることに気づいたところから始まった。スムーズに曲げ伸ばしができず、関節を動かすたびにカクッカクッと、壊れたおもちゃみたいになってしまった。
調べたら「バネ指」というらしい。ふつうはスポーツ選手などが指を酷使したときになるのだが、産後のホルモンバランスの乱れで発症する人も多いらしい。幸い痛みはなかったけれど、ただでさえ浮腫みでパンパンに腫れてる手指に、さらなる不自由が加わって不快だった。

でも、こんなの序の口だった。本当の地獄は「腱鞘炎」。左手首から始まって、息子が4ヶ月の頃には右手首も痛くなった。腱鞘炎は、慣れない赤ちゃんの抱っこで手首を酷使するのに加えて、やっぱり産後の女性ホルモンが関係しているらしい。
首のすわっていない赤ちゃんを抱っこするのって本当に大変。まず首の下に手を入れて、反対の手は股の下からお尻の下に入れて、ぐいっと持ち上げる。この、首を支えているほうの手首が、まぁ不自然な角度になりやすい。しかも、絶対に手を離せないから、多少無茶な角度になってでも、体制を維持しなくちゃならない。
わが子は、授乳の途中で飲み足りていないのに寝てしまうことが多かった。揺すったり軽く叩いたりするくらいじゃ起きなかったので、助産師さんに相談したら、「寝ちゃったら向きを変えて、もう片方も授乳してみましょう」と言われた。たしかに、向きを変えたら目を覚ましてまた飲み始めるのだけれど、これを一度の授乳で何度もやっていたら、あっという間に手首がやられたのである。

一番ひどいときは、スマホの電源を入れる動作でさえ痛んだ。ちょっと大きめの食器になると、左手で持ち上げることができず、置いたまま食べるしかなかった。サポーターを買ってつけて、それだけじゃやっぱり痛くて途中からテーピングもして……当時の写真を見返すと、わたしの手首はとても痛々しい。
でも、どんなに手首が痛くても、抱っこはしないといけないし、授乳もしないといけない。日常に常に痛みがつきまとい、休むことができないのは本当に本当にしんどくて、途中からは「もう痛いから生きるのやだ」と思うくらいであった。(あれ、さっき「死にたいなんて思ってる場合じゃなくなった」って言ってたのにね。でも「死にたい」と「生きるのやだ」は全然違うよね。)
サポーターやテーピングが意味をなしていなかったので、鍼に行って超音波をやってみたりもしたけど即効性はなかった。結局、友人に勧められて整形外科で痛み止めの注射を打つまで、3ヶ月半ほどずっと痛かった。でも注射をしたら一発で痛みが消えて、その後再び痛くなることもなかったので、注射ってすごい!!!これまで、フィギュアスケート選手が、「数日前に脚を痛め、痛み止めを打って試合に出て4回転を跳ぶ」のを見るたびに、「いくら注射打ったとて、こんなふつうに跳べるの全然意味わかんない」と思っていたが、今なら全然意味わかる。だって数日したら痛みはまじで「無」になるのだから。
以降、この一年でわたしは他の箇所にあと2回痛み止めの注射を打つことになるのだが、その効果ゆえに回を重ねるごとに注射ラブになった。

次につらかったのは膝の痛み。当時1LDKのマンションに暮らしていて、ベビーベッドを置くスペースがなかったので、赤ちゃんはずっと布団で寝かせていた。そうすると、オムツ替え、抱っこ、授乳、着替えなど、全作業のために毎回床に膝をつかなければならない。おそらく毎日何百回と、膝を曲げ伸ばししていた。ただでさえ膝にくる動作を、産後のあらゆる靭帯がゆるんでいる状態で行うのだから、わたしの膝はあっという間に痛くなった。
この痛みもなかなか手強く、完全に痛くなくなるまで半年近くかかった。階段の下りは特に膝にくるので、いつも体を斜めにしながら、すごく変な降り方をしていた。
そんなわけで、わたしの産後一番の後悔は、ベビーベッドを導入しなかったことだろう。もちろんスペース的に厳しかったのは事実だけど、こんなに膝を痛めることになるのであれば、何がなんでもスペースを作った。もしくは、このあと、産後4ヶ月の頃に戸建てに引越すことになるのだけど、その引越しは何がなんでも産前に済ませておいたかもしれない。

腱鞘炎と膝の痛みに加えて、しょっちゅう痔にもなった。授乳をしてると、体内から大量の水分が出ていくので、かなり意識的に水分摂取しなければならないのだけど、赤ちゃんのお世話に翻弄していると、お茶を飲むのも忘れてしまう。そうして水分不足だったこと、そしてとにかく座ってる時間が長かったことが、痔の要因だったと思う。
特に、産後最初の1ヶ月は外出もできないし(そもそも身体のために動き回っちゃだめ)、ひたすら授乳してるから座りっぱなし。また、必ずしも横になって眠れるわけではなく、置いたら泣くわが子を抱え、自分は座りながら寝るしかないこと多々あり。そりゃお尻もやられるわけだ。

それから授乳もきつかった。あるときから、授乳の体勢をとると、背中の筋がぴーんとつったみたいに痛くなった。あれこれ体勢を変えてみたりするものの、やっぱり痛む。この頃、授乳の時間はだいたい20分くらいかかり(子が途中で寝ちゃうともっとかかる)、時期にもよるけど新生児期には一日10回、その後も3ヶ月頃までは5〜8回くらいは授乳するわけだから、そりゃあ苦痛である。もともと母乳育児に憧れもなかったし、「授乳の時間が幸せ」なんてちっとも思わなかったなあ。

というわけで、産後の数ヶ月間は常に身体の痛みにつきまとわれた。その一つひとつは、出産の瞬間の痛みに比べればマシだけど、あの痛みを3ヶ月間に振り分けたとしたら、それ以上になる。産んでからもなお、こんなに痛い思いをしなきゃならないなんて、全く知らなかったし、本当に勘弁してほしい。しかも、産む瞬間のように見た目にも壮絶なタイプの苦痛ではないので、その大変さやつらさが周りに伝わりにくいのもやるせなかった。

そういうわけで、産後の大変だったこと・つらかったことを円グラフにしたら、身体の痛み(40%)、寝られない(20%)、授乳(20%)、その他(20%)という感じだ。つまり、夫がどれだけ育児を協力的にやってくれたとしても、上位3項目は物理的に代わってもらえないものなのだ。
冒頭で、もっと周りに甘えて頼ればよかったと言ったが、実際問題、本当につらいことは他人に頼れない。
夫は、わたしが深夜に使った哺乳瓶を洗っておいてくれたし、オムツのゴミをまとめて捨てておいてくれたし、休みの日は沐浴もやってくれたし、それらは本当に感謝しているのだけど、申し訳ないが、どんなに「俺だって色々やってる」と言われても、本当につらい上位3項目が和らがない限り、わたしは永遠につらく、夫には、「わたしじゃなくてもできることは全てやってくれ」と思ってしまうのだ。
男性からしたら、物理的に無理なことで責められても……という感じかもしれないけど、男性でもできることを本当に全てやっても、この時期の育児に関しては、平等とはほど遠いくらい母になった人間は大変なのだ。どうかわかってほしい。

便秘息子の激レアオムツ替え

息子自身のことで、最初に悩むことになったのは、まさかの便秘だった。この子は、産まれてはじめての排便も自力でしなかったので、助産師さんに綿棒つんつんしてもらい出したのだけど、そんな感じで生まれつき便秘体質なのかもしれない。
最初のうちは、一日に3〜5回は出ていたのだけど、生後3週間頃から便秘がちになり、丸一日出ないことがたびたびあり、わたしはめちゃくちゃ心配になり、心配になっているから余計に息子の元気がなさそうに見えてさらに心配になり、大晦日の夜にはすき焼きを食べながら「便秘大丈夫かなぁ」とボロボロ泣いた。産後のメンタルはどうかしている。まさか便秘が心配で泣くことがあるなんて。
その後も便秘に拍車がかかり、2日出ない、3日出ない……と記録を更新しつづけ、最長記録は4日間だった。こうなってくると、便秘も心配だが、出すときに3日分、4日分をまとめて一気に出すことになるので恐ろしい。

ある日、息子をハイローラックに寝かせ、わたしもその横でお昼寝をしていたとき、息子の泣き声で起きたわたしは、オムツを替えようとしてギョッとした。
息子の下半身が真っ黄色に染まっていて、漏れちゃったかと思って抱えたら、その下に敷いていたおくるみも、そのさらに下に敷いていたラックの布団もキレイな黄色になっており、まじかああああ。
こんなに黄色まみれの子を抱えてどうしたらいいのかわからず、ふつうにオムツ替えができるような状態でもなく、仕方なくわたしは息子を浴室に連れていき、マットの上に置いてシャワーで下半身を流すことした。まさかのシャワーデビューだった。息子の下からも、脱がせた肌着からも、黄色の水が出てくるわ出てくるわ。
そのときちょうど母が到着し(まだ定期的に手伝いに来てもらっていた)、浴室で一部始終を説明した後、母とふたり笑った。テンパっているときに誰かいて、一緒に笑い飛ばしてくれるだけで、大変なこともあっという間に面白エピソードに昇華できるから、ひとりじゃないってすごい。
そして、母が慣れた手つきで、洋服やらおくるみやらを漂白してくれた。そのときの息子は、わたしのお気に入りの洋服を着ていたのと、おくるみは妊娠中に鍵編みで手作りしたものだったので、汚れがきちんと落ちて助かった。わたしひとりだったら、それらのアイテムに永遠の黄色を残してしまったかもしれない。

それ以降は、便秘が続くと、いつまたあの黄色大爆発が起こるかとヒヤヒヤして眠るのが怖かった(笑) 幸い、同じことは起きなかったけれど、オムツ替えは一秒を争う競技のようになった。
子どものお尻から前触れの音がすると(この頃は固形じゃないから音がすることが多かったなあ)、「出てる!」と即反応。全ての行動をストップし、オムツ替えに徹底する。なお、2人必要。
まずは、オムツ替えシートをお尻の下に敷く。新しいオムツを3枚ほど用意(え?3枚もなぜ?とふつうは思うだろうけど、まぁそのまま読んでほしい)。今しているオムツを外すと、すでに溢れんばかりの黄色。そうしてる間にも次の波がやってくるので、新しいオムツで受け止める。チューブの絵の具が出てくるみたいにどんどん出てくるのが面白い。
そのオムツもすぐにいっぱいになるので2枚目をセット。ここでようやく出切ったら、3枚目のきれいなオムツを履かせてようやくオムツ替え終了。そういうわけで便秘開けのオムツは3枚必要なのである。

ちなみに、絵の具がにゅにゅにゅっと出てくるのを1波ととらえると、オムツ1枚で受け止められるのは2〜3波程度。だからとにかく初動が大事で、それを怠ると黄色の大洪水になるわけだ。
ある日このオムツ替えをひとりで対応していたとき、全部で6波くらい出てきて、出るわ出るわで、もはや感動さえ覚えた。このときは夫にラインで「今日は第6波まであった!コロナか!」と、ひとりツッコミをしたのを覚えている。
そんなこんなで、便秘が続くたびにヒヤヒヤして、ひとりで対応しなくちゃならないときはパニックだったけど、こんなオムツ替えはなかなかレアだろうから、体験させてくれてありがとうと今なら思う。心の余裕ってすごいね。

感慨深さのカケラもなかった卒乳

わたしはもともと完ミ(完全ミルク)で育てたいくらい母乳育児に全然興味がなかったが、最初から助産師さんに「完ミでやりたいです」という勇気はなかった。だから、入院中はやってみるけど結局母乳出なかったから仕方ないねっていう体で、退院したらミルクオンリーで育てる算段だった。
だって、自分しか赤子の栄養補給できないってしんどくない?わたしは、夫、自分の両親、友人などにもミルクをあげてほしいと思っていたのと、自分自身が完ミで育ったというのもあり、母乳神話を全く信じていなかった。
がしかし、わりと母乳押しの産院だったのもあるし、泣き止まない赤ちゃんを落ち着かせるには乳をくわえさせるしか手段がなかったのもあるしで、まあそれなりにやっていたら、入院最後の夜にビタビタ止まらないくらい出るようになってしまった。これは困った、母乳育児が始まってしまうぞ?と焦るも、入院中にそこまでたくさん出るのはすごいほうだったらしく、産師さんに驚かれ、褒められ、それだけでちょっと誇らしい気分にはなっていた(単純)。

というわけで、退院後も母乳を継続した。出がよかったのと、合間でミルクも挟んでいたので、最初はそこまで苦労しなかった。ただ、頻繁な授乳はけっこう大変で、さっきも書いたが、授乳のときの姿勢が悪いのか背中の筋が痛くてつらかったし、飲みながら寝ちゃうことが多くて、ミルクに比べてとにかく時間がかかるし、左右の向きを変える動作などが腱鞘炎の手首には負担が大きかった。だから、あぁ授乳しんどいな……完ミにしたいな……とずっと思っていた。
でも、母乳が出て、息子も上手に飲めるのに、親の都合でやめてしまうのは、なんだかすごくすごく抵抗があった。気づけばわたしも母乳神話に片足突っ込んでる?って感じで、でも、出るならあげたほうがいいよな…っていうのは今でも思う。

ちなみに、母乳育児が大変なのは、授乳している間だけじゃない。前回の授乳からある程度時間が空くと、母乳が溜まってきて、胸が岩のようにガチガチになる。これがもうほんとびっくり。まじで岩。
だからね、「今日はリフレッシュで一日遊んできなよ~。ミルクあげとくから!」っていう夫の心優しい提案で遊びに行っても、後半は、あぁぁぁ胸がガチガチだ……うぅぅ……となって、どんなに赤子と物理的に離れて過ごしていたとしても、胸の不快感が、完全には赤子と離れさせてくれないというか。
このガチガチの感覚はなんとも例えようがない。痛いのとも苦しいのともちょっと違うんだけれど、授乳したらスーッと楽になるから、やっぱり苦しいっていうのが一番近い表現なのかな……?とにかく、わたしにとってはすごく不快な感覚で、自由になれない感じもすごく嫌で、そういう意味でも母乳育児は苦手だな……と思っていた。

そんななか、息子が3ヶ月になる頃、突然母乳の飲みが悪くなった。少しくわえてもすぐに離したり、ギャン泣きしたりするようになってしまった。ミルクに切り替えてあげると飲む。母乳の出が悪くなったのかな?と思ったものの、張っているときに搾乳すると100mlくらいは出ていたので、足りないわけではなさそうだった。というか、くわえただけで嫌がるのだから量の問題ではない。
これを機にもう母乳やめる!?とは思ったものの、いきなりやめて乳腺炎になっても怖いし、何か他に原因があっても困るので、母乳外来に相談しに行くことにした。
助産師さんの前で授乳させてみたものの、「たしかに飲まないですね」と。母乳にこだわりがないことを伝えると、「それなら、このまま卒乳に向かってもいいかもしれませんね」と、乳腺炎にならないように徐々にやめていくコツを教えてくれた。
母乳外来からの帰り道。それはもうとても晴れやかで清々しい気分だった。「母乳やめたいけど、出るのにやめるのはもったいないし、ただのわたしのワガママだし……」と、やめることに罪悪感があったこの約3ヶ月間。でもこの日、客観的な立場かつプロである助産師さんに「卒乳していい」と言ってもらえ、あぁこれで自分のエゴじゃなく卒乳に向かえる!とすごくスッキリした気持ちだったのだ。
助産師さんのアドバイスは、いきなり授乳をやめるのではなく、「最後まであげないようにする」ということだった。搾乳でも同様。母乳は出した分だけ作られるわけだから、出す量を減らして、作られる量も減らしていけばいいと。

産院から帰宅して、胸が張っていたので、「とりあえず授乳してみよう。飲まないなら量に気をつけつつ搾乳しよう」と思い、わが子に乳を差し出すと……。え、めっちゃしっかり飲む(笑)ここ数日、ついさっきまで全然飲まなかったじゃないか(笑)もしかして、卒乳の空気を察して、「いやたしかに最近は母乳の気分じゃなかったけど〜、卒乳ってのは違うのよ!それはやめてよね〜」って感じで焦って飲み始めたのだろうか……?
えぇぇぇ。こんなにふつうに飲んでくれるなら、またやめるの迷うじゃん!!せっかく清々しい気持ちで卒乳に向かっていけると思ったのに!!あぁ、母乳外来行ったのはなんだったんだ……。
ただ、一生懸命に飲んでいる姿を見ると、それはそれは可愛くて、「そっか〜飲んでくれるならやっぱりあげちゃう!可愛い!」といった感じで、別れたいと思ってるのに別れられずダメンズとダラダラ付き合ってる女みたいな気持ちになるのであった(笑)
わが子にはモテる男になってほしいと思いつつ、この手の男にだけはなってほしくないんだが……と悩みながら授乳する日々がもう少し続いた。

とはいえ、やはりだんだん飲まなくなっていき、最後のほうは「これが最後の授乳かも……」とちょっぴり寂しい気持ちにもなったりした。が、いざ乳を差し出し感傷に浸ろうとすると、当の息子は「ミルクにしろよぉぉぉ、うぎゃあぁぁぁ」とギャン泣き。こちらも、「ミルクがいいのはわかってるわぁぁぁ、でも胸張っちゃってるから、こっちも少しは飲めやぁぁぁ」と攻防戦になり、感傷どころではない。ついには、いつが最後の授乳だったかもわからずに、わたしの母乳育児は終了。数々の感動的な卒乳エピソードをネットで見ていたわたしにとって、あまりにも思ってたのと違う卒乳でありました……。

新居が先か寝返りが先か

息子が4ヶ月になった頃、わが家は新築戸建に引っ越した。はじめて内見に行ったのは息子が2ヶ月になる直前で、生後1ヶ月の子を不動産屋の車のチャイルドシートに乗せて家を見て回るなんて、出産したときは思いもしていなかったし、なかなかにハチャメチャだ。
当時まだ車を持っていなかったわたしたちは、チャイルドシートのこともよくわからず、不動産屋さん(歳下独身男性)に装着の仕方を教わった(笑) しかし、不動産屋のほうも、さすがに生後1ヶ月に対応したチャイルドシート(シートが完全に倒れて、赤ちゃんが寝姿勢になれるタイプ)は用意がなく、腰どころか首も座っていない赤ちゃんを、座るタイプのチャイルドシートに乗せるのは、なかなかに体勢が心配で、乗車中ずっと首の後ろに手を当てて支えていた記憶がある。

それから、まだまだ便秘ちゃんだった息子は、ある日の内見中、数日ぶりにもよおした。早くオムツを替えないとオムツから漏れてしまうかもしれない。
でもどこで替える???内見中の床に寝転がして替えるわけにはいかないし、不動産屋さんの車で替えるわけにもいかない。じゃあ外?誰も見てないところで……と思ったけど、道徳的にどうなんだろうという気持ちが拭えず、結果、不動産屋さんに「子どものオムツを替えたいので、いったん家に帰りたいです!!!」と行って、途中帰宅したのも笑える思い出だ。(同じ市内での引っ越しだったのでできた。)

そんな調子で、1ヶ月ちょっと毎週のように内見をした。子をチャイルドシートに乗せ、着いたら抱っこ紐or横抱きで内見し、戸建てなので1階と2階を行ったり来たり。膝痛いから階段を降りるときは変な姿勢になる。
1日で4件くらい見た日もあった。正直めちゃくちゃ大変だった。産後の体でやることじゃない(だからその後も体の回復に時間がかかったのかも……)。でも、家の中で赤ちゃんのお世話というルーティンをしているだけの毎日にはすでに飽きていたので、内見は楽しかったし、ふつうなら面倒くさそうな不動産屋さんとのメールのやりとりでさえいい気晴らしになった。

そんなこんなで、子が寝返りをマスターして動き回る前に、広い家に引っ越すことができた。
引っ越して1週間ほど経ったある日、はじめての寝返りを見たときは心から感動した。だって、めちゃくちゃがんばってたから。何日間も、体をひねる動作を繰り返し、でもなかなか寝返れないでいた姿を見ていた。
その日もすごいツイスト具合だったので、思わず動画を撮っていた。ものすごく必死で、半泣きになりながら体をひねり、ひねり、ひねりまくり、寝返りそうなんだけどまだ寝返らない。まだ先なのかなあと思ったら、すぐにワン モア トライ。
教えてないのに、「もっかいやって」とも言っていないのに、何度も寝返りにトライしている姿は健気で仕方ない。すごいよなあ、人間って本来こんなに純粋な向上心が備わっているんだなあ……なんて妙に感心した。
また体をひねって、半泣きになって。ひねって、ひねって。あ、寝返りそう、寝返りそうだぞ!そして、ついに……ごろん。彼の世界が反転した。まだ表情のバリエーションに乏しい顔に、嬉しそうなニコッとした笑顔を見て、わたしは泣いた。寝返りできてよかったね。

あとからこの動画を見た母に言われたのは、「ぴょん吉すごいね、息子くん鍛えられそうだ。わたしだったら手伝ってあげてたと思う」。暗に「手伝ってあげないなんて、なかなかスパルタだね」と言われているようで唖然とした。
え、こんなに自分でやりたがってるのに手伝うなんて……!わたしは、手伝わないことが優しさであり愛だと思っていた。まあ、今に始まったことじゃないが、正直あまり母とは価値観が合わないのだ。
わたしは今後も、ありとあらゆることについて、こちらから過度に手は出さずに、うまくいかなくても失敗しても、見守り、応援し、成功した時にめちゃくちゃ喜び褒めてあげる子育てがしたい。

赤ちゃん期のわかりやすい成長過程には、寝返りの他に、ハイハイ、つかまり立ち、歩くなどがあるが、寝返りほど「できた」瞬間がわかりやすいものはなかった。他の動作はどれも、「今少しそれっぽいことできたけど、これが『はじめて』と言っていいのか?」というように、徐々にできるようになっていく感じだった。だから、1歳半を過ぎて歩いたり走ったりしている今でも、はじめての寝返りの瞬間はこれまでで一番大きな「できた」であり、特別感がすごい。何より、寝返った直後の嬉しそうに笑った顔は一生忘れない。

◆次は、「物理的向上心の高い息子と、はじめての愛を知るわたし〈子育ての記録:0歳後半~1歳ちょっと編〉」です。

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