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物理的向上心の高い息子と、はじめての愛を知るわたし〈子育ての記録:0歳後半~1歳ちょっと編〉

タイトルに「0歳後半」と書いているものの、子どもが6〜9ヶ月くらいの頃の話はざっと飛ばさせていただく。というのも、この時期は、おそらく女性ホルモンのせいなのだけど、終始イライラが止まらず、まるで別人格になったかのようでとにかく生きづらく、思い出したくないからできるだけ思い出さずに過ごしていたら、わりと本当に思い出せなくなった……。
「育児のあれこれを忘れたくないから」という理由で書き始めたnoteなのに矛盾しているけど、人間なんてみんな矛盾だらけよね、うん。でも、子どもの成長や可愛かったエピソードを忘れたのではなく、その当時の自分の感情と向き合うのが精神衛生的によくないなあ……と思うので、やめておくという次第。
あの時期のイライラは、今でも何だったのかよくわからない。あれがいわゆるガルガル期だったのか?と思うも、ガルガル期はふつう産後直後だし、イライラする内容もネットで見かけるようなものとはちょっと違っていて、わたしはただただ夫に対してイライラしていて、常に怒りまくっていた(本当ごめん)。
まあ、正直今でも自分の言っていたことは9割以上間違ってないと思ってるけど(笑)、あそこまでイライラしたのは今振り返れば女性ホルモンが原因としか思えない。引越して家が変わったこととか、ワンオペ育児に飽き飽きしていたとか、そういうストレスももちろんあったはずだけど、わたしは昔からPMSが酷く、女性ホルモンに翻弄されまくってきたので、たぶんそれが一番の原因。そういえば、夫以外にも、わりと男性全般にイライラしていた気がするなあ。完全に女性ホルモンのせいね。
荒れに荒れまくっていたこの時期、いっぱい話聞いてくれたり、協力してくれた方々が数名いるけど、みなさま本当にありがとうございました……。

子どもの成長、超ダイジェスト

というわけで、がんばって詳細な思い出を振り返ったとこで、きっとドス黒いものしか出てこなくて、あまりよろしくないのでやめる。
子どもの成長フェーズとしては、寝返りの次は、うつ伏せのまま両手を横に伸ばして、足もちょっと上げる「飛行機ぶーん」。この姿勢は本人もかなり気に入っていて、本当にしょっちゅうやっていたけど、めちゃくちゃ可愛かった、可愛すぎた……。うちに遊びに来てくれたいろんな人に披露していて、そのちょっと得意げな顔がまた最高だったな。
それから、ずり這い。家中の床をスイスイ泳ぐみたいに移動しては、ありとあらゆる壁の材質を触ってチェックしていた(笑) 飛行機ぶーんとずり這いは、赤ちゃんの2大可愛い動きじゃないかと個人的に思う。
そのあと、徐々にお座りができるように。ぬいぐるみのような3頭身がちょこんと座って、ガラガラを持って遊んでる姿は激カワで、よく少し遠くからそのフォルムを眺めてニヤニヤしていた。写真や動画もわざとちょっと引きで撮ってたなあ。このフォルムを見ると、ようやく「赤ちゃん」になったって感じだった。それより前は、なんかもう小さすぎて赤ちゃんというより「謎の生命体」と形容するほうが合っている気がする……。

そして、髪の毛フサフサで生まれてきた息子は、生後半年にはもう目に前髪がかかるくらい、サイドは耳が隠れるくらい髪が伸びていて、ハーフバースデーのときに自宅で初断髪式をやった。まあこのカットが難しかったもんで、次は高くてもキッズ美容室でやろう……と心に誓い、そこから4ヶ月置きくらいに息子の美容室代4,400円が家計に追加させれることになった。いや、最近の値上げに次ぐ値上げで今度から5,000円になるので、今後はだいぶ厳しい……どうしよ……。

その後、7ヶ月の頃にははじめての風邪。息子は鼻水ダラダラの顔をわたしの体にこすりつけ、抱っこしてれば目の前で大量の飛沫を浴びせられ、風邪は一瞬にしてわたしに移った。
子どもから貰う風邪はなぜか症状が強烈すぎる。子の咳で寝られないのが3日続き、今度は自分の咳で寝られないのが2日続き、最終的に夜泣きで寝られないのが2日続き、1週間まともに寝られず地獄だった……。
ここらへんのことをもっと詳しく書こうとすると、まあつらすぎたせいで、これまたドス黒い感情になるのでカットさせていただく。とりあえず言えるのは、地獄の日々ってこと。
ただ、仕事復帰してからもこんなことはしょっちゅうある……。なんなら、この頃より全然寝られない日々のなか仕事しなくちゃだったりする。ただ保育園に預けられるというのは、それだけでどういうわけか圧倒的にマシに感じるから不思議。まあ眠いし仕事しなきゃなんだけど。

高みを目指す息子と病みかけるわたし

そんなこんなで、次はハイハイかな〜と思っていたけど、ずりばいが移動手段として快適なのか一向にハイハイしない。気づいたら先につかまり立ちをしていた。
このあたりから、息子は本領発揮し始める。つかまり立ちできるようになった途端、とにかく上へ上へと高みを目指して、ありとあらゆるものを登るようになった。物理的な向上心が高すぎる。
10ヶ月の頃には自宅の階段を一人で最後まで登れるようになり、11ヶ月の頃にはリビングのソファに登り、さらに背もたれの部分もよじ登っていた。とにかく登りたい欲がすごく、一度味をしめると一日中ソファを登ったり、階段を登っている。

この10〜11ヶ月頃が、これまでの育児で一番大変で、わたしが病みかけたしんどい時期だった。
これまでは、息子のどんないたずらも本人にとっては学びだと思って、基本的に「ダメ」と言わずにやってきた。ティッシュやおしりふきを何枚出されても、お茶をわざとこぼして遊んでても、特に止めずに見守った。多くの家庭がキッチン前にゲートを設置するなか、キッチン大好きな息子のためにわが家はキッチンも開放していた。キッチンのフライ返しやオタマ、泡だて器などを取り出して遊んでても、冷蔵庫の野菜室から白菜をちぎって生で食べてても、そのまま野菜をどかして野菜室の中に入っても(!?)、本当に危ないこと以外はぜんぶ自由にやらせていた。とにかく好奇心旺盛だったから、それを潰さないように、何でもやってくれ!の精神で好きにさせていたのである。その分、安全管理はめちゃくちゃ大変だったけど……(笑)
それだけずっと、危ないこと以外は「ダメ」と言わないよう意識して、少し離れたところから見守るスタイルをとってきたが、ここにきてついに、やることなすことが危ないことだらけになってしまった。離れて見守っている場合じゃない。そんなことしたら大怪我になりかねないし、最悪命にかかわる。だから、息子が起きている間はずっと息子にへばりついていなくちゃになった。

ソファに登りたいブームのときは――登ること自体はやたら上手でそこまで危なくなかったのだが――ソファの上からしょっちゅう頭をだらんと下げて、そのまま頭から降りようとした。まだ危険や怖さを理解していない子どもは、平気で笑顔で自ら死ににいく。大げさじゃなく本当に。勘弁してほしい。だから、息子がソファ登りを始めると、すぐに支えられるようにソファの下に座って、ただひたすら息子を見続けるしかなかった。
「ずっと子どもを見ていなきゃ」とはいえ、スマホでTwitterくらい見てるんでしょ?と思うかもしれないが、この時期に関してはまじで文字どおりずっと息子を見ていた。スマホなんて見てたらその隙に息子がソファから落ちるから。(この時期は、スマホを開くと息子が興味を持ってわたしから奪い取るので、スマホがあったところで何もできなかったのだけど)
そうしてずーっと息子を見ていたのに、ある日ほんの一瞬、自分が座りなおすときに視線を落としたら、その瞬間に息子がソファから落ちた。ソファ中央にいたにもかかわらず、ものすごい俊敏さで端に移動し、そのままロケット発射のごとく勢いよく頭から飛び出して落ちた。高速移動したのに気づいてわたしはパッと手を伸ばしたけれど間に合わなかった。どんだけ速いの……。
フローリングに頭を打ちつけるゴツンという大きすぎる音。お座りやつかまり立ちなどの過程で、後ろにひっくり返り頭をフローリングに打つことは度々あったので、頭を打ったこと自体はそこまで心配ではなかった。ただ、でんぐり返ししながら頭から落ちたので、首を痛めていないか不安でならなかった。

結局、翌日に小児科で診てもらい何も問題なかったが、ソファから落ちたその日は、もう自分の精神が限界に来てしまった。夫の帰宅後に「ひとりで一日中息子を見てるのはもう無理だ。危ないことしかしない。何時間もずっと目を離さずにいたって、一瞬の隙で落ちるんだからもう無理」と泣いたのを覚えている。
ワンオペでのお世話はこれまでももちろん大変でストレスはたくさんあったけど、ちゃんとミルクをあげて、安全な場所に寝かせていれば命にかかわる問題は特になかった。でもこの時期になって、「自分の監督の仕方によっては、この子は大怪我もしくは死に至る」という、とんでもない緊張感が加わった。責任重すぎないか???
とはいえ、「ソファに登りたい息子の気持ちを抑えて登らせないようにするのは違うよね」というのは夫婦共通の考えだった。自由を阻害されるのが嫌すぎる息子は、ベビーサークルに入れたとて数秒で「出せ〜!!!」とギャン泣きである。そもそも、ずり這いを始めた頃から放牧スタイルで、とにかく家中を自由に移動できるようにしていたし、好奇心の強い子だったから何でも触わって、開けて、分解して……というのをやらせてきた。
そこで、「息子がソファに登るのは止められないんだから、ひとりで降りられるように降り方を教えよう」というのが夫の提案だった。おぉぉ、そういう考え方する人なんだ、その考え好きだな。当時、夫に対してどす黒い感情だらけだったわたしなのだが、これを聞いてちょっと夫を見直した。いいこと言うね。たしかにそうだ。今すぐこの緊張感を解決することはできないけれど、1日でも早く息子がひとりでソファから降りられるようになることが一番の近道だ。
そこからは、息子がソファの上から頭を出して降りようとするたびに、体の向きを変え、「こうやって足から降りるの。わかった?」というのを何十回とやった。幸い、物分かりがいいのと、運動能力がいいのとで、想像していたより早くひとりで足から降りられるようになった。正直、何百回とやらないとできるようにならないと思っていたから……。
今思えば、実際にソファから落ちたのも経験としてはよかったのかもしれない。ソファに限らず、はじめは無鉄砲にやっていたいろんな行動が、一度転んだり落ちたりして痛い経験をすると、それ以降、改善するような行動を見せることが度々あったのだ。

次に息子がハマったのは、家の階段登りだ。さすがに階段は危ないのでゲートを置いていたのだけど、それは壁にがっつり固定するタイプではなく、置くだけで塞げるというタイプのものだった。なんで置くだけのゲートにしていたかというと、東京都の施策「赤ちゃんファースト」のポイントで貰える商品のなかにそれがあり、ポイントで貰えるなら……と、あまり深いことは考えずに頼んだのだ。はじめは効果があったものの、知恵がついてくると、自分で上手にゲートをずらして隙間を作り、そこから階段に侵入するようになった。
ゲートをどかしてからでないと登れないため、ソファに比べれば、息子に駆け寄るまでにわずかながらバッファがあった。たとえばキッチンで作業しているときに、息子が必死にゲートを動かしてる姿を見て、そろそろ行くか……というテンポ感でも間に合う。
ただし、ソファに比べて圧倒的に危険度が高いのは階段のほうだ。一度、わたしがほんの一瞬うたた寝をしてしまい、はっと気づくと息子が消えていた。急いで階段のほうを覗くと、一番上の段からこちらを見下ろしていて、その瞬間まじで心臓が飛び出てくるかと思うくらいびびって、自分でも聞いたことのないような声が出た。子どもが起きてるときに自分が寝てしまったのは、たぶんこのときが初めてだったと思う。しかも5分も寝てないと思う。ほんの数分でも、その隙に死ぬかもしれないというのをリアルに体感した。猛省したと同時に「夜泣きでどんなに寝不足でも絶対寝るな!一瞬でも寝たら子ども死ぬぞ!そしたら全部お前の責任な!一生後悔して生きろ!……って、どんなブラック企業だよ!いつから自宅がブラック企業になったんだ!ワンオペ無理ゲーだろ!」とも本気で思った。
置くだけのゲートではなく、壁に固定するタイプのゲートを導入しようかとも考えたが、当時の息子の「何でも登りたい」感じを見ていると、どかせないとわかったら固定ゲートさえも登ってしまいそうで、そうしたらそっちのほうが危ないので、このときは導入をやめたのだ。(後に、1歳過ぎに固定ゲートを導入したら、登るどころか大人のマネをして律儀に毎回ゲートを閉めていたので、これなら最初から導入しておいてもよかったかも……と思ったが、大人のマネをするようになったのが1歳過ぎてからだったので、当時に導入したところでどうだったかはわからない……。)

ソファ登り同様に、階段を登りたい息子を止める気はなかったので、息子が階段のほうに向かったら、息子の後ろについて自分も一緒に階段を登った。ふつうに用事があって2階に上がることもあるから、多い日では1日20回くらい階段を上り降りしたのではないか……。
一緒におもちゃで遊んだりするのはまだ楽しさがあるが、ただひたすら階段を登るのはこちらとしては何も面白くなく、だんだん心が「無」になってくる。しかもこの時期は11月で、階段は寒い。せっかく部屋を暖めているのに、なぜ冷え冷えの階段に行かなきゃならないんだ……。
当時の息子は、自分で登れるけどまだ降りられなかったので、毎回わたしが抱っこして階段を降りた。当時9キロを抱えて。そうしたら、膝に負荷がかかったのか、齢31にして右膝に水が溜まってしまい、床に膝をつけないくらいの激痛に襲われ、整形外科で痛み止めの注射を打つことになった。はい、その年2回目の整形外科。
階段以外にも、日々の育児による屈伸運動や膝を床につく動作も原因だったと思う。この時期は、育児の中でオムツ替えと着替えが一番大変なくらい、替えようとするといつも動き回って逃げられて、その度に立って膝をついて、立って膝をついてを繰り返していた。育児がこんなにも体張るなんて知らなかった……。
というか、どれだけ体を張る必要があるかは完全に子による。というか、育児の全ては「子による」の一言に尽きる。それがときどき悲しくなる。もちろん、大変じゃない育児なんてあるわけがないし、みんな何かしら苦労しながら育ててるんだけど、比較的おとなしい子を育ててる人のもっと穏やかな生活を想像したら、なんでわたしはこんな……という気持ちになってしまったのは事実だ。(今では、この体張りまくり育児を、大変さも含めて楽しめるようになったのだけど、当時はまだそうは思えなかった。)

「なんでも登りたい欲」に加えて、息子がなんでも噛みちぎってしまうことも、わたしにとって大きなストレスだった。なんでも口に入れてしまう時期は生後5ヶ月くらいから始まるものだけれど、この時点ではまだ歯が生えていないので、ひたすらなめるだけ。誤飲が心配だから、赤ちゃんの手の届く範囲に小さいものを置かないように気をつけなければならないが、それは親がちゃんとすれば済む話である。
ただ、ある程度歯が生えてくると、いろんなものを噛めるようになってくる。息子は、歯の生え始める時期こそ平均的だったが、その後はどんどん生えてきて、1歳頃に生え揃う前歯8本が10〜11ヶ月頃には揃っていた。
それに加えて、本人に「噛みたい」という強い意志があった(笑) 絵本なんかは、ページが薄いペラペラしたものは、なめただけでも紙が溶けちゃうし、手でも破けやすかったので、この時期には全部撤去していたが、ページの厚いいわゆるボードブックはリビングに置いていた。
ボードブックも赤ちゃんはなめるが、「ボードブックなら破けないのがいい」と言われている。にもかかわらず、わが息子はボードブックも噛みちぎっていた……。さすがに一回では無理だったけど、なめて柔らかくなってきた部分を、明らかな意志を持って噛みちぎる。
他にも、かなりしっかりしたつくりのプレゼント用の箱なども同様にやられた。一番驚いたのはビニールも噛みちぎっていたことだ。未開封だったオムツの袋を噛みちぎり、中身を出していたときはぎょっとした。

そういうわけで、この時期は、息子が口をもぐもぐしているのを見つけるたびに、口の中に指を突っ込んで、食べてる紙を取り出していた。それに対して、息子はやたら抵抗するし、指を全力で噛まれるし、この作業は苦痛でしかなかった。
できるだけ気をつけていても、わたしがダイニングテーブルの上に置いたいろんなものにまで手を伸ばしては、新しい獲物をゲットし、噛み噛みもぐもぐ……。完全に阻止することはできず。息子の口から紙を取り出す作業が憂鬱すぎて、後半はほぼあきらめた。もう、印字されたありとあらゆる文字たちを文字どおり消化して、博識ベビーになってくれって感じ!!!

はじめての感情

と、こんな感じで恐怖の10〜11ヶ月を乗り切り、息子は相変わらず好奇心旺盛、物理的向上心高めの登りたがりだったが、ソファも階段も狂ったように登りたいブームは去った。
そして、1歳1ヶ月を過ぎた頃、わたしの心に急激に大きな変化が訪れた。子どもと一緒に過ごしていて、「あれ?楽しいかも……」という感情が湧き、息子のことを「え、好き!好き好き、めっちゃ好き!」と思うようになった。今までずっと育児してきたのに、何だこの感情は!?!?という感じで、かなり新鮮な感覚だった。同時に、今までこうした感情なしに、「可愛い」と「変な生き物おもしろw」と責任感だけで育児してきたことに気づき、え、自分えらすぎるだろ、と自画自賛した。
この気持ちの変化はたぶん、1歳1ヶ月頃からの息子の急成長に心底驚き、すごく嬉しかったんだと思う。寝返りやハイハイができるようになったときとは違う、なんというかとても人間らしい行動をするようになってきたのだ。

ある日、ご飯を食べさせていると、突然自分でスプーンを持ってご飯をすくって口に入れたがった。これまでもスプーンが好きで、よく持ちたがったり、なめたりはしていたが、このときは明らかに自分ですくって食べようとしていた。「自分でやりたい!!!」という意志が強く、途中であーんしようとすると、首をぶんぶん振って嫌がるようにもなった。
そういうわけで、自分で食べたがるようになってから1週間ちょっとくらいで、補助は必要なもののスプーンと手づかみで一食全て食べられるようになった。
そして、子どもが自分でご飯を食べている姿というのが、これまたとっっっても可愛いのである。スプーンをつかんでいる小さな手も、スプーンのサイズ以上に大きく開けた口も、ご飯をスプーンですくう真剣な眼差しも、これまでのどんな姿よりわたしは好きで、ずっと見ていられると思った。
そういうわけで、この頃の「みてね」は、ご飯を食べている写真がめちゃくちゃ多い。だってほんと可愛いんだもん。

他には、誕生日プレゼントに買ったタッチペン付き図鑑をすぐに扱えるようになった。タッチペンで図鑑に載っている写真をタッチすると、たとえば「犬」とか「にんじん」とか読み上げてくれるものだ。
タッチの仕方は、わたしたち親が何度かやっていたらやり方を覚えた。さらに、タッチペンと図鑑が別の場所に置いてあっても、それぞれ取ってきて遊んでいるのを見たときは感動した。これまでの遊び方といえば、そこにあるおもちゃを使うだけだったので、自分の頭で必要なものを取ってきて組み合わせて遊ぶという高度なことをしているのに驚いたのだ。

それから、記憶力もついてることに気づいた。息子のお気に入りでいつも見せていたネトフリのアニメでは、キャラクターが鼻眼鏡をかけて踊るという変なシーンがあり、あるときから息子はこれを怖がっていた。それがこの頃には、そのシーンが始まる少し前から、急に怯えたようにわたしのほうに飛んでくるようになった。「もうすぐ鼻眼鏡が出てくる」とわかってるんだなと思うと、これまたすごい!と感動した。

そして、「真似っ子期」とでも名付けたいくらい、とにかく親の真似をしたがって、いろんなことをするようになった。食べ終わったベビーチェアを自分で拭いたり、ゴミをゴミ箱のところまで持って行って捨てたいアピールをしたり(息子がいじっちゃうので、ゴミ箱は高いところに置いていた)、親がキッチンでくくったゴミ袋を玄関まで運んだり、お風呂上がりの保湿クリームを自分で出してぬりぬりしたり、積み木を積んで自分でパチパチ拍手したり、スプーンですくったご飯をわたしに「あーん」してくれたり、わたしの頭をなでなでしてくれたり、自分より小さい赤ちゃんを見たときもなでなでしたり、わたしがドライヤーをかけているの見て自分の頭をわちゃわちゃ触ったり、ハイハインをキューピーの瓶のフルーツミックスにディップして食べたり、炊飯器のスイッチとお風呂のお湯張りスイッチを押す担当になってくれたり。
こういう感じで、息子が急成長を遂げ、どんどん人間らしい行動を見せるようになっていくので、この時期は驚きのオンパレードだった。え!そんなことできるのー!?!凄いー!!!可愛いー!!!の連続。だからきっと、毎日とまではいかなくても、日々新しい驚きがどんどん更新されていって、わたしも楽しくなってきたのだと思う。
これがしたい、あれがしたい、自分もやってみたい!という息子の意志と、それを実際に行動に移せる知能と器用さが身について、「できた!嬉しい!」という感情が結びついて、一気に、立派に「ひとりの人間」というように思えた。変な生き物から、ようやく、あぁわたし人間と一緒に暮らしてるわ!と感じるようになった。
書き忘れていたが、歩き出したのもこの1歳1ヶ月の頃で、ビジュアル的にも二足歩行でいるのは圧倒的に人間らしかった。二足歩行と道具の使用……歴史の教科書の最初のページに書いてあるとおり、まさにこれらが揃って初めて「人間」らしくなるのだねえ……。(火の使用は危険だからもう少し先ね。)

よく、男性は「すぐには父親になれない」とか、「子どもを可愛いと思えるまでに時間がかかる」とか言われるけど、わたしも心底子どもを好きになるのに一年以上かかったわけだ。0歳の間はやっぱりお世話がめちゃくちゃ大変だし、そのわりに赤ちゃんからの反応は少ないし、どうしても義務感が強くなるんだと思う。
生まれた最初から、自分の子好き好きめっちゃ好きー!!!っていう人ももちろん大勢いるだろうけど(そういう人のほうが多いのかなあ……わからない)、わたしはそんな感じじゃなかった。他の人の感情と比較することなんてできないから当時は自覚がなかったけれど、自分の子めっちゃ好き!の感情を知ってから振り返ると、当時はさほど「好き」という感情はなかった。
「可愛いね~」は生まれてすぐから数え切れないほど口にしてきたけど、「好きだよ〜」という言葉を0歳のときに言った記憶はほとんどない。そもそも新生児の間は、息子が「わが子」だという感覚も薄く、息子の名前を呼ぶのもなんだか気恥ずかしくて、息子のことを「〇〇さん」「〇〇先生」なんて呼んでいた。どんだけ距離感あるんだ(笑)

まあそんな感じで、息子のことを「好き!」になってからは、義務感だけじゃなく息子といられるようになった。「自分が面倒みなきゃだから」じゃなくて、息子と一緒にいるのが楽しいから一緒にいる、と心から思えるようになってきて、育児が一気に楽になった。
この頃、特に好きだったのは、寝かしつけのときに一緒に窓の外を眺める時間だった。なかなか寝てくれない夜に、「一緒に夜景見よっか」と言って、ベッド上の小窓から外を眺めるのだ。
「夜景」なんて言ってるけど、見えるのは小さな交差点にある信号機と通り過ぎる車だけ。それでも、赤や青の点滅がキラキラしてとてもきれいに見えた。「車来たよ」「自転車もいるね」「赤になった!」「青になったよ!」わたしはそう言いながら、真剣なまなざしで外を眺める息子の横顔を見るのが好きだった。
本当に全然寝ない時は、「ちょっと開けてみよっか」と言って、小窓を少し開ける。冬の夜の冷たい風がつーんと顔に当たる。息子のちょっとびっくりしたような顔。「寒いね。でも冬の夜の空気美味しいねえ。」前までは、早く寝かせないとと焦ったり、寝てくれないことにイライラしていた気がするが、気づけば、寝れない夜の夜更かしを楽しめるようになっていた。

そんな心の余裕が生まれたのは、わたしの気持ちの変化ゆえでもあるだろうが、単純に息子が「抱っこ」じゃなくて「添い寝」で寝られるようになったことも大きいと思う。抱っこはやっぱり重くて大変だから、早く寝てくれないとしんどいけれど、添い寝なら一緒にごろごろしていればいいので心身ともに楽である。わたしの身体の一部が息子にくっついていれば寝ついてくれたのだ。「くっついていれば」っていうところが可愛い……くう……。
しかもこの時期、息子は夜中に少し泣いたとしても、すぐに寝ているわたしのお腹の上にうつ伏せで乗せて、背中をトントンしてあげるとそのまま寝ついてくれたのである。(一般的にはそれがふつうなのかもしれないが、わが子はスーパー激やば夜泣きマンで、こんなことですんなり泣き止んでくれるなんてことは、後にも先にもこの時期だけだった……という感じなのだ。)
そうして、息子をお腹に乗せているとき、息子の体温でわたしはじんわり温かくて、わたしの胸で安心して眠った小さい存在が愛おしすぎて……幸せだった。これまでの人生で幾度となく「あ~幸せ」と言ってきたが、そのどんな類のものとも代えがたい、はじめての幸せだった。自分の人生にこんな喜びがあったんだなあ……としみじみそれを嚙みしめた。

こうして書いてみて思う。育児をしていて大変だったことはスラスラ書けるし、量もたくさん書ける。ねえ、聞いてよ聞いてよ、わたしこんなに大変だったのよ!という吐き出したい気持ちもあるが、これらは書けば書いただけ言いたいことや感情が的確に表現できるから、いくらでも書けてしまうんだと思う。このnoteを読んでいて「苦労自慢かよ」とか「愚痴が多いな」とか思われてもしょうがないな……と思う。
でも反対に、これが「嬉しかった」「可愛かった」「楽しかった」という感情は、どんなに書いても書いても全然伝わる気がしない。オーマイガー、なんてことだ。「好き」だとか「幸せ」だとか書いてきたけど、「本当はそんな簡単な言葉じゃなくてね……」と思いながら書いている。書いても書いてもなんかしっくりこないから、消してみるけど、他にいい表現が見つかるわけでもなく、この気持ちを的確に表せる言葉なんて存在しないんじゃないかと思う。だから、こんなにもスペシャルな感情なのに、それを説明しようとするとどうしたって凡庸な言葉に集約されてしまう――この表現さえすでに凡庸すぎて頭が痛くなりそうだ。

でも、それでいいんだろうなと思う。息子は現在進行形でとっても可愛くて、きっとこの先もずっと可愛い。でも、それはわたしが知っていればそれでいい。
保育園にお迎えに行ったとき、わたしを見つけた瞬間の「お、よっしゃ、来たわ!」みたいな顔も、そのまま全力疾走でこちらに向かってきてわたしの脚にしがみつくときの勢いと重みも、自分の好きなメニューを食べたときに、美味しさのあまり顔をくしゃっとさせて、その最高の笑顔をこちらに寄せてくることも、新しい車のおもちゃを開けるときや、電車が通ったときなど嬉しいときには、その中性的な顔面からは想像もつかないような雄々しくて図太い声をあげて興奮することも。全部ぜんぶ、わたしが知っていればいい、わたしだけの宝物だ。

きっとこの先も、大変でしんどいことと、嬉しくて幸せなことが目まぐるしく重なり合って、怒涛の日々の連続だろう。つらいときは言葉にして周りのみんなに聞いてもらいながら、「大好きだ」「幸せだ」の感情は、息子をめいいっぱいハグして息子に伝えながら、毎日をうまく乗りこなしていけたらいいな。

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