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ホームの反対側の電車に飛び乗れ

今日はもうだめだ……という日がときどきある。

特に、雨が連日続いた日には、一歩も家から出たくなくなるし、仕事…ああ、仕事……となる。それでも踏ん張って行くのが大人なのだろうけど、どうしてもの急ぎ案件がない限りは、すこし勇気が出てくるまで布団の中にいる。そんな日もあるよな。

家からはスムーズに出られたのに、駅でこれ以上一歩も会社の方に進みたくなくなることもある。
このままホームの反対側の電車にのってしまいたい。という衝動。そう言うと、ぴー太(彼)はきまって、「エターナルサンシャインだね」と言う。わたしはまだその映画を観たことがない。

空気公団の『夕暮れ電車に飛び乗れ』という曲を思い出して、そして、吉田篤弘さんの『つむじ風食堂の夜』でタブラさんの息子が言った「もし、電車に乗り遅れて、ひとり駅に取り残されたとしても、まぁ、あわてるなと。黙って待っていれば、次の電車の一番乗りになれるから」という言葉を思い出す。

ぴー太にも、わたしにも、それぞれにとっての大切な物語が記憶されているのだ。

今日は朝から体が重くて動けなかったので、電車の反対側に飛び乗るまでもなく、家にずっといる。怒られないと分かっていても会社へ連絡をするまでがいちばんしんどい時間で、それさえしてしまえば後はゆるりとした自宅待機を満喫することになる。気持ちは、電車に飛び乗るくらいの高揚感。普段会社にいる時間を家で過ごすというのは、わたしにとっては現実からひとときだけ非現実へいける行為。

まずはリラックスできる音楽を流すところから。今日はマヒトゥー・ザ・ピーポーのレコードにして、元気を出すために家事をする。身体を動かすと、気持ちも晴れる不思議。ソファに座ってだらーりと音に耳を澄ます。壁にかけた植物標本をみて、絵を見て、本棚の本を眺めて、ああ、いい家だな、と何度も思う。自分にとって居心地のいい空間を作ることが、いちばんの慰め。

お腹がすいてきて、パスタをつくることにする。にんにくはたっぷり刻んで、だいすきな茄子もたっぷり入れて、昨日の残りのつくねを刻んで入れて、豆苗もすこし。ひとりのときは何でも放り込めるから良い。味はペペロンチーノ風に。
切る、茹でる、炒める。トントン、ぐつぐつ、ジュージュー。料理の行程は音も匂いも触感も身体に染み渡って心地よい。

ほかほかのパスタを食べながら、相変わらず音楽に耳を澄ませて、茄子ってなんでこんなに美味しいのだろうな、とか考えている。
最近は、情報量の多いテレビがあまり観れなくて(だいすきなバラエティとかはみるけど)、液晶がついていない方が落ち着く。

本棚から、夏に読む本を選ぶ至福の時間。なんとなく、涼しげだったり自然の描写が多いものをセレクトし、あとは今のわたしにはまだ早いかもしれないけど、ずっと挑戦したかった本を数冊混ぜて。以下。

この間、レオス・カラックスの『ポンヌフの恋人』を数年ぶりに観た。
初めて観た時は、なんだかすごい映画だったけどよくわからなかったな、まだ自分には早かったかな。と思ったのだけど、最近はまた映画をたくさん観ているので、見ようということになり再挑戦。
あの頃よくわからなかった感動の正体に少し近づいた気がした。歳を重ねて、良いと感じられるようになるってやっぱりあるのだ。
難読本も無理して読まずとも、いずれ自分がその本の感覚に追いつくときがくる。そう思うと、とても気楽に挑戦できるような気がして、今年の夏は高校生の頃に挫折した『罪と罰』と、ぴー太おすすめの三島由紀夫の『午後の曳航』を。

読みたい本が、観たい映画が、聴きたい音楽があることは、とてもたのしみなことだ。
こうやって、わたしは束の間の心地よい日々のために生きる。

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