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久しぶりに、深呼吸
いい本を読むといい人間になりたいと切実に思う、思うだけではなれないことなどもう骨身に沁みてわかっている、なんどでもこの気持ちを忘れる、だからいつでも読んで、思い出し続けていたい。
ープルーストを読む生活より
『プルーストを読む生活』を開いて、ふぅ、と久しぶりに深呼吸をしたような気持ちになる。
この間、ぴー太と喧嘩とまではいかないけど、いやな雰囲気になった。きっかけはいつも些細で、どちらかのすきな音楽や映画に共感しきれず、なにか余計なことを言ってしまい、お互いに悲しくなるというようなことだ。
ぴー太のすきな映画を一緒にみて、わたしがのべた感想があまり適切でなかったのかもしれない。「冬の匂いがするねと言って共感してもらえない時の悲しさに似ている」と言われ、わたしはそう言われたことがとても悲しく、「でもわたしはわたしの感覚に素直でありたい」と言ってしまい、お互いにただひたすらに悲しくなったのだった。
今それを思い出して、その夜よりは冷静に自分の感情に対峙することができ、次にその映画を見るときはちがう視点でも見てみたいと思える。これは、自分の感性を蔑ろにするのではなく、誰かに歩み寄ってみたいから。それによって見える世界に貪欲だから。だと思う。
誰かと一緒にいるとき、恋人でなくても、友達でも家族でも仕事仲間でも、影響されずに生きることほどつまらないものはない。と、そう思うから。わたしは、わたしであって、でもそのわたしは更新され続けるのだから、信頼できる人に影響され続けながら、より好ましいわたしになりたい。意固地にならずに、いられたらな。
そして、まだドストからぜんっぜん抜け出せていません。ずぶずぶと、深みへ潜り込むのにあらがえず、もうすきにしてくれ!と言いたい。
新潮社の『カラマーゾフの兄弟』上中下巻を読み終え、『新約聖書を知っていますか』を読み終え、解説読みたさに光文社古典新訳文庫の『カラマーゾフの兄弟』の5巻のみ読むという少々失礼なことをし、『旧約聖書を知っていますか』を読みながら、『死の家の記録』へ手を伸ばし、ひかえているのは『地下室の手記』という状態。そして、『名画で読む!旧約新約聖書の世界』を注文した。
そう、聖書の魅力にもあらがえなくなってきている。これは、信仰的な意味ではないのが失礼なのかどうなのだろうと思いながら、ただただ物語として考え方として興味深く、寓話を読むように楽しんでしまっている。
そんなタイミングで、仲良くさせてもらっているクライアントに漫画を借りてしまった。山下和美さん。知らずに借りて、開いて1ページ目から、カインとアベルの兄弟殺しの話から始まったので、うわわドストと聖書とつながっちゃったー!とびびりながら、すぐさま読みはじめた。これはもろに宗教の話です。
そんなわけで、秋のうちに読みたい本はたくさんあるのに、まだしばらくはドストと宗教関連本を行き来することになりそうなのだった。
11月も秋だよね?
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