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凸凹と工夫

ちょうどコテンラジオで「障害の歴史」が配信されている所で、
同じコテンコミュニティーの ぞさん がこんな記事を書かれていた。

いろんな特性を持った子どもたちが一緒に学ぶ場を、私なりに考えてみたい。

保育士時代

私自身、保育士として働いていた時は、
発達障害と診断されている子どもたちのサポートをすることも多かった。

彼らはその時の同じ年齢の子どもたちの集団と比べると、
できることが少なかったり、またできるようになるのがゆっくりだったりする。
その一方で、彼らにしかできないこともあったのがとても印象的だった。

4-5歳という年齢の時に、2年間クラスでサポートしていた男の子、Rくんの話をしてみたい。
Rくんは電車が大好きで、私に毎日図鑑や絵本の中からお気に入りの電車を描いてくれるようにお願いしてきた。
一日何枚も描いた。
時には「自分で描いてみたら?」と促してみることもあったが、その時は嫌がって私が描いた。
時々、色塗りは自分でしてくれた。

同じ年齢集団で過ごすには少し体力も足りなくて、山に行く途中で私と二人で引き返したり、
お昼寝の時は寝るのを嫌がって園庭で一緒に遊んだりしていた。
もっぱら彼の運転する電車に乗って。

そんな日々を過ごしているうちに、
昼寝の時間にもう一人、寝たくないわんぱくな男の子、Tくんが参加することが増えてきた。

最初のうちは、Rくんは私と二人の(一人で自由にしている)時間が邪魔されるのを嫌がったが、お互いに交渉したりしているうちに、ちょくちょくTくんとも一緒に遊ぶ場面も出てきた。

その頃くらいから、Rくんは
電車の名前から派生して、カタカナ、平仮名に興味を持ち始めた。
国旗のパズルはあっという間に覚えてどれがどこの国か教えてくれて、
他のパズルも形をおそらく画像として覚えていて、パズルの枠がなくても正確に並べられたし、
それはパズルの枠が逆さまでも同じだった。

自分で書きたい、描きたい気持ちから鉛筆を持てるようになってからは
自分で電車を描くようになり、
難しい所だけ「描いて」とお願いするようになってきた。
さらに、電車だけでなく、びっくりするほど細かな線画を描くようになった。

そしてそのうちRくんは
同じ年齢の子どもたち、特に男の子の集団に混じって遊ぶことが増えてきて、
私が関わるのは何か自分の意見が通らなかった時とか、意見の衝突があった時くらいになった。

同じ年齢集団に入ることだけがいいとは思わないし、それが最終目的地ではないが、
Rくんはみんなと遊べるようになって、とても世界が広がったし、衝突もあるが、楽しそうだった。

私や担任の先生、親御さんの関わり方がどうだったから、なんてことはいろんな因子が多くて明確に言える話ではないけれど、Rくんにとって、
自分一人の世界を一緒に楽しんでくれる大人の存在と、
存分に楽しめるだけの時間がたっぷりとあって、
その欲求が充足したことは大きかった気がする。
彼の心身の発達もそれと同時並行であって、
その欲求の充足が次なる欲求、発達へのステップアップにつながったようにも見えた。

学生時代

もう一つインクルーシブという点で思い出したことがある。

私自身が小中高と通っていた学校、一燈園は
当時全校60人、一学年1クラスの5名前後だった。
西田天香という人物の生き方に共鳴した人々が集まって村となり、そこにできた学校だ。

少人数ということもあって、不登校になったりした子が転校してきたり、
東北の震災後に避難してきた子もいたりと、比較的転入生が多かった。
1クラス数名とはいえど、その中のレベルはバラバラで、先に終わった子が難しい課題を解いている中で、先生が個別で補足説明している姿は日常的だった。
だから、進路も本当にバラバラで、多種多様だった。

また、学校の時間割には
そろばん、リトミック、日本舞踊、剣道、器楽、中高生では能楽、
そして一燈園内に住んでいる方々と一緒にお掃除や庭仕事、食事の準備などお仕事(奉仕)させてもらう時間「作務(さむ)」。
季節ごとの行事も多くて、
小中高縦割りの運動会、学習発表会での音楽や劇、そして日本舞踊や剣道発表、一輪車大会、などなど。

日常の時間割の中でも、上に挙げたようなクラスや行事は、小学校低学年と高学年、小学生全体、中学生だけ、中高生みんな、などのようなくくりで活動することがほとんどで、
その中で自然とみんなの顔や特性がわかってくると「この人はここは苦手でこれが得意なんだな」を、いろんな角度でお互いに認識していた。

今思うと、現在「障害」と認定される子もいたかもしれないな、と思い出すけれど
それ以上にみんなそれぞれ個性豊かで、みんな全然違って、面白かった。

評価軸がひとつじゃない中で、
いろんな年齢や特性の子どもが混じり合う中で、
私たちは自然とお互いを尊重し、
それぞれが得意なことで輝ける時間を持っていた
ように思う。

おわりに

上に挙げた事例は、職員の専門性と、人員のゆとりあってのものだ。
そして何より、自由度の高さも私にとってとても心地よかったし、
子どもたちを見ていてもそのように感じた。

どちらも改善した方がいい点を挙げようと思えば挙げられるし、完璧だなんて思っていない。
そもそも完璧なんて存在はしないけれど、
その場に応じた、その一瞬の最善を尽くした上に、私の心地よさが成り立っていたように思う。

それぞれの人の凸と凹って、
余裕があれば
面白がれるし、尊重できる。
専門的なサポートは欠かせないけれども、
身近にいろんな凸凹を持った人がいるとわかる、
そして日常を過ごしていく中で
お互いにちょうど良い関わり方がわかってきたり、工夫が生まれたりするように思う。

子ども同士で遊んでいる時、同じ年齢だけで遊んでいるよりも、
年齢が混じると自然と遊びは発展し、大人の介入が少なくて済む。

大勢が同じように同じことをできる、
そのために効率を求めてできた教育・社会システムだった。
今の社会にとっての教育の目的、生きる目的、幸せってなんだろう?
変わりつつある今、そしてこれからも常に問い続けていたい。


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