真っ暗な未来を手探りで考える--家族/人間関係編【双極性Ⅱ型寛解の為にやったこと記録7】

こんにちは、ここんところポートフォリオの大詰めとTOEICが重なっててんやわんやだったのが大体終わって一休みのたまです。

この「真っ暗な未来を手探りで考える」シリーズ(?)では、自分が双極性障害を克服するうえでターニングポイントだったと思う決断について書いています。

なので他の記事とは違い、「誰でも試せる」というタイプの話ではないのですが、
近い境遇だったり取り入れられる部分がある人には一度考えてみてほしい選択肢の話をします。

そして今回は家族/人間関係編ということで、主に両親とのかかわりの話になります。

人生の大半を形作っていた家族関係と仕事

去年まで同居していたので、一日の半分を共に過ごすのが仕事、もう半分を過ごすのが両親という感じで、それらが私の人生の2大要素でした。

その二つと決着をつけて、ようやく私は自分の双極性障害とも上手く折り合いをつけることが出来るようになったと感じています。(結局のところ、障害は治る治らないではなく、上手く制御または共存できるかではないでしょうか)

なお前回の記事では「転職編」として、自分に合った仕事をすることで日常の疲労感と自己肯定感のゴリゴリ削られっぷりを軽減していこうという話を書きました。

では今回はというと、つまるところは前回と同じです。

苦手な物からは離れよう、というそれだけです。

前回も書いた図ですが、私の自己治癒の基本方針はこれです。

フェーズ1:自分が何をしたいのか(したくないのか)を見極める

フェーズ2:自分が不得意で苦痛なことを日常から減らしていく

ゴール:脳が回復のために使えるエネルギーが確保される
    =>勝手に良くなる

ただ現実がこのフローほど単純じゃないのは、

1つに、自分が何が苦手なのか、何をしたくて何をしたくないのかが自分で分からない

2つ目に、苦手だからと言って遠ざけるともっと苦しいことが起きそうだから離れられない

この2つの要素が合わさってくるからだと思います。

特に1つ目は、問題を自覚すること自体が難しい場合があります。
AC(アダルトチルドレン)気味の人に多いですが、周囲の求めることを内面化して、自分自身の希望を押し殺して育ってしまうと

「自分はやりたいことをやってるはずなのに、頑張るのが辛い、全く満たされない」

という自分では理由の分からない閉塞状態に陥ってしまうのです。

または必死に頑張った先に得られると信じていた報酬(愛情でも地位でもなんでも)が得られないと分かった時にポキっと折れてしまう。

私もこの両方の葛藤を抱えて29歳まで両親と住み続けていました。

でも今は一人暮らしを1年以上してみて、自分が想像していたほど大変ではなかった、というより、離れたからやっと向き合って解放されることが出来たと感じています。

自分の親の評価ほど難しいものはない

この後具体的に「それほどのもんでもなかった」と思った経緯をお話ししますが、その前にある程度私の両親との関係を書いておきたいと思います。

自分でいうのもなんですが、明らかに悪い親でもなく世間的に見たら良い方だと思います。

同じような病気を抱えてる人はもっと分かりやすく良くない家庭環境で育った人が多いと経験上感じています。

なので「この前提は全く自分と合わない」と思われたら読むのを止めた方が良いかもしれません。

ただこれはこの後話していくのですが、「分かりやすくなくヤバい家庭」というのがあって、うちも割とそれに当たると気付いたのが20代も後半になってでした。

そこに気付いて改めて思うんですが、「分かりやすいヤバさ」で格付けして、病気の深刻さを測るのは無意味です。

例えば大家族で居心地のいい寂しがりやの子もいれば、聴覚過敏で家にいると常にストレスに晒されてしまう子もいます。

両親の築いた家庭と本人の相性というものがあるので、一概にマシな環境にいるから恵まれてるとは言えないのです。

これはただ「私は辛かった」とだけ言いたいのではなく、「あなたも自分の辛さを他のもっと過酷な環境にいた人と比較して過小評価しなくて良い」という話です。

というわけで、家庭環境に対する自分語りスタートです。

***

私が育った家庭の大きな特徴として、私が小さい頃から両親は2人ともバリバリ働いていました。(一人っ子)

保育園の頃は忙しいすきを縫って交互に迎えに来てくれるのを毎日ほとんど最後の1人か2人になるまで待って帰り、
小学校低学年はもちろん学童保育に通っていましたが、学童が終わって帰っても誰もいないので一人で近所のスーパーのお菓子材料コーナーに入り浸っていたのを記憶しています。

本当に両親どちらも早く帰れない時は、一緒に学童に行っていた友達の家で夕飯を食べさせてもらったりしてました。

学童が三年生で終わった後は、近所の友達の家に毎日行って、夕飯の前までRPGを一緒にやっていました。こういう風に遊べる友達が出来なかったら何をしてたのか、今考えるとゾッとしますね。

子供は育った環境しか知らないので、そういうもんだと思ってたし、2人とも働いてくれたおかげで若干平均より裕福だったので、特に本気で困ったことは無い、と思ってました。

もう一つの我が家の特徴として、両親ともに多少発達障害の傾向がみられる点が挙げられます。

父親…技術職で、微妙に一般常識がないけどギリギリ許されて生きてきたタイプ。あとあまり共感性がない、というより共感した振りが一切できない。ただ私に対してイエスマンの気があるので怖くはない。

母親…事務畑でガンガンやってきたバリキャリ。常識はかなりあるが、自分の決めたルールに対するこだわりが強く、小さい頃の私が泣き喚いても論破して譲らないなどの徹底ぶりを敷いてきた。(一応ルールに筋は通っていて理不尽ではなかった、なのでなおさら泣き喚くしかなかったのだが…)
今思うと正直凄く怖かった

こんな感じの二人なので、特に常識に対する意識の差でたびたび言い争いをしていました。(ただ二人はビジネスパートナーでもあるのでそこは補い合う利点があった。)

でもまぁ、常に喧嘩してるわけでもないし、私には何もなければ普通に優しいし家にいさせてくれるし、世間的に見て良い方の親だろうと思ってました。

友人関係を通してやっと親の評価が出来た

その一方で、親元で何不自由なく療養してるのに、病気は良くならない、もうこれは一生こういうものなのかな~と思いながら20代も後半に差し掛かった時、

大学卒業したあたりから、要するに大人になってから仲良くなった人たちを見てみんな家庭環境が滅茶苦茶なことに気付いたんですよね…

インターネットは地域関係なくワイドに類友を見つけられます。

色んな繫がりで私と関係が長く続いてる人たちを見ると、もう普通に虐待だったり、良くて機能不全家庭で育った女が多すぎる。

最初はそういう話を聞いて「うちってやっぱりマシな方だな」などと思ってたのですが、そのうち「こういう人たちと話が合うってことはウチも割と相当なのでは?」という疑念が自分の中で生まれました

なぜかというと、そういうセンシティブなものを抱えて育った人たちって、根っから良い環境で育った人の無神経さ(それは罪ではないのですが)に耐えられないことが多いんですよね。

経験上ある程度共感しあえるファクターが無いと、まず心を開いてもらえない、という感じがします。

さて、そこにフォーカスして過去を思い出したり昔の話を聞いたりすると凄く嫌なものが浮かび上がってきました。

具体的には

小学校の間ずっと嫌々やっていた習い事を中学で辞めたいと泣き喚いて母親にお願いしたら、「続けたら上げるつもりだった」欲しがってた時計をくれた上で辞めさせてくれたことを、『いちばん優しくされた思い出』として記憶していた、とか
保育園卒業を控えて、「小学校に上がると登校時間に融通が利かなくなるから朝起きるのがしんどい」と零した母親に、「一人で勝手に起きて着替えていくから大丈夫だよ」と言った、とか

うーん・・・

世の中の不幸な家庭の話と比べたらパンチは薄いですが、これ純粋に他人の子供の話だと思って考えるとまぁまぁ終わってると思います。特に2個目はACすぎて健全な子供でないのは明らかです。(自分では覚えてないのですが、母親は聞いた時ビックリして覚えていた)

そうか・・・自分の親は良い親ではなかったのか・・・と認識できたのが多分4年位前です。

時期的には一回目の転職の前に半年ほど無職で、自分を振り返る時間が有り余ってた時期ですが、その話はまた別でしたいと思います。

とにかく話は本題に戻って、その時ようやく「自分はこの人たちと一緒に暮らさない方が良い」という結論を下すことが出来たんです。

子供って、小さい頃は特に親が世界のすべてだから、それが「上手く付き合えない相手」であるということは致命的なんですよね。

だから自分の方を捻じ曲げて「上手く付き合おう」としてしまう。

この現象は子供本人も自覚できるくらい明らかに「悪い親」だったり、本人が成長して他と比較できるようになった後ですら、その罪の過小評価として観測できることが多いです。

本当に親の評価ほど難しいものはないです。

なので皆さんも親ないし同居している身内がいる方は、その相手といて本当に元気になれるのか少しだけ考えてみて欲しいと思います。

自分は一人で生きて行けるのか

行けない、とずっと思ってきました。

普通に考えて生きていくだけで疲労困憊なのに、家事から手続きから全部自分でやる生活と仕事を両立できるわけないと思ってました。

だけど上のように、自分と向き合って「この人たちと一緒にいると消耗するエネルギー」について考え始めると、今までのように「いれる限りは居たほうが良いだろう」とはもう思えなくなっていました。

この辺は以前も書いたように「何もしてなくても休めてない状態がある」という話で、

家事をあまりしなくて済んで楽が出来たり、一人暮らしよりお金をかけて自分のケアが出来る以上に「環境によって疲れている」なら、それらはもう病気に対してメリットではないんですよね。

さてそんな去年の年始、

年末年始は皆疲れて喧嘩が多くなって毎年私はゲッソリしてたのですが、

その年もそうで、これはもうマジで家出たい、本当にもう出るしかないという気持ちの高まりに乗じて、

出ました。

ただ4月までは引っ越し代が高いと聞いたので、とりあえず家具付きの安シェアハウスで2か月ほど過ごしてから物件を探して住み始めたのが6月、29歳の初一人暮らしスタートでした。

ちなみにシェアハウスでの主に外国人たちとのキッチンを共有した生活は割と自分には合ってなく、それやコロナのアレや色々あってシェアハウス生活の最後は滅茶苦茶に体調を崩して2週間ほど実家に戻ったりもしたのですが、

崩れ切る前になんとか物件の契約などは済ませていたので、そこは親に介護してもらいつつ引っ越しを完了させることができました…😅

こんなんで大丈夫かよとは自分でも思いましたが、2か月のシェアハウス生活でもやはり1人でいる方がずっと気分が良いと感じていたので、もうあきらめて実家に戻りたいとは少しも思いませんでした。

薬で人生初の不眠になるわめまいが酷いわ精神の不安定さからくる孤独感が凄いわ、物凄い一人暮らしの幕開けになってしまったのですが、

その一方で、

適当な料理を作って適当に食べて良いこと、

自分の好きな物を買って置いていいこと、

人目を気にせず泣いても良いこと、

瞑想中他人の生活音を気にしなくていいこと、

日常の色んな時に「はぁー1人暮らしって本当に素晴らしい」としみじみ感じました。

職場の近くに引っ越したので自由時間も増えたし、しんどい時間は瞑想やピアノの練習に充てて、ゆっくりですが未だかつてなく着実に良くなってる実感が得られました。

自分のペースを守って生きられるとこんなに楽になるのかと、転職の時と同じように、居づらい環境から抜け出して初めて気づけました。

今考えると「1人暮らしは自分には無理」と思ってた時の、その理由ってなんだったのかよく分かりません。

手続きとか部屋を決めるとかが面倒なのは間違いないですが…

でも最低限の家事は激烈体調が悪い時期を抜けたらだいたい出来てましたし。

料理は自立を考え出した数年前から週に何回かはやってたのと、金銭面・栄養面で微妙に強迫観念があるので私は基本自炊ですが、同時に別に栄養の偏りに気を遣えばほぼ外食でもそこまで問題ないと今は思っています。

あっでも持続化給付金で思い切ってドラム式洗濯機を買ったのが大きかったな→人間のていを成していられた。

発達障害向けの本でとにかく「生活の維持を努力するな、初期投資しろ!」とあったのですが、それは精神病にも有効な方向性でした。

今度その辺も記事にしてみようかな。

あとそれと!すごーーくどうでもいい話なんですが、精神が少しづつ安定しだしてからお化けが怖くなくなってきたんです!!!!

は?…👻

って思うじゃないですか、でもバカな話なんですけど、自分は結構長年「一人暮らしは幽霊が出たら怖いから無理」って思ってたくらい怖がりなんです笑

ホラー映画とか人と一緒でも見たくないくらい

でもそれが、1人暮らし始めてからどんどん平気になって来て、今では「怖くない」と言われるレベルのホラーなら一人でも見られるようになってきて本当に自分でビックリしているんです。

今思うと自分が小さい頃から怖がりだったのは「誰かと一緒にいたい、一人は不安」という気持ちがあって、その理由付けにお化けを使ってたんじゃないかという気がします。

なので、もう一人でいることが不安より安心をもたらすと分かって、お化けを怖がる必要が無くなった感じです。

なんだそりゃって感じかもしれないですけど、精神病を抱えてる人たちは自覚のあるレベルで「ありえない不運な未来」を想像して不安になってる人が多いですよね。

これも私のお化けと同じで、メンタルが安定したら心配しなくて済むようになるんじゃないかという気がします。

だから、そういう不安はとりあえず自分の中に認めつつ、「そのうちいなくなるもの」として扱っても良いんじゃないでしょうか。

終わりに

自分語りが大好きなのでまた長い文章になってしまいましたが、、

自分でも書いてて、これ他人が読んでも何の役にも立たないだろという声が脳内から聞こえてくるんですが、記録を付けておくことが自分の為になるし、なにしろ体験談で有名になる人って普通の人があっと驚くような家庭環境だったり、こういう「悪いと言い切れるか微妙な家庭」の体験談はあんまりないんじゃないかなと思って、少ない需要に賭けて書いてみました笑

あとは「何が嫌で何がしたいのか見極める方法」とかも結構色々考えたので、それもそのうち書きたいなと思います。

お読みいただきありがとうございました😊



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