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【遺伝子改良ペット】ペットは人間の愛情か、エゴか。

男が最初にその店を訪れたのは、まるで偶然のようなものだった。オフィスの近くに新しくオープンしたペットショップは、ショーウィンドウに並べられた色とりどりの動物たちで目を引いた。特に目を引いたのは、ショーウィンドウの中央に鎮座する一匹の猫だった。

その猫は、まるで人間のように知的な目をしていた。男は無意識に足を止め、その猫と目を合わせた。そして、ふとした瞬間に、猫が男を見つめ返していることに気づいた。その瞳には、深い知性と何か言い表せない悲しみが宿っているように感じられた。

「遺伝子改良ペットにご興味ですか?」

突然背後から声がした。振り返ると、店員がにこやかに微笑んでいた。

「遺伝子改良ペット?」

男は少し戸惑いながら尋ねた。

「はい、特別な技術で遺伝子を操作し、知能を高めたペットです。彼らは普通のペットのように手間がかからなくて、人間のパートナーとしては最適な存在です。」

店員は誇らしげに説明した。男はその話に興味を持ち、その猫を購入することに決めた。彼女は「ミラ」と名付けられた。

そうして、ミラとの生活が始まった。ペットのいる生活とはいいものだ。一人暮らしの孤独を感じることもないし、かといって誰かと暮らすような煩わしさを覚えることもない。

加えて、ミラはとても頭がよかった。トイレもすぐに覚え、壁や床を汚すようなことはしない。男が話しかけると、その言葉の意味を覚える。例えば、"ハウス"という言葉と概念を教えると、すぐに理解して自分のゲージに帰るようになった。

そして、ミラの頭の良さはそれだけにとどまらなかった。男の行動や心理を完璧に理解し、そして、時には男の考えを先読みするかのようだった。ある晩、男がソファに座り込み、仕事への不安を感じていたとき、ミラは静かに男の隣に座り、その瞳で男をじっと見つめた。

大丈夫だよ、すべてはうまくいくよ。

そう言いたげなその目に、男は不思議な安心感を覚えた。彼女の存在はまるで心の中の空白を埋めるかのようだった。

しかし、その安らぎは次第に奇妙な不安に変わっていった。ミラの知性は確かに驚くべきものだったが、それは同時に男にとって未知の恐怖でもあった。彼女が男の行動を理解し、先読みする能力が日に日に鮮明になっていくにつれ、男は次第に彼女の存在に圧倒されるようになった。

あるときから、ミラは寝るときにケージに入るのを嫌がった。いつもは男が寝ようとすると、それを理解してケージに戻っていってたのに、その日はケージに戻るのを拒否して男のベッドに入り込んだ。そのときはミラがなついてくれているのが嬉しく、一緒に寝るのを許してしまった。そして、それ以来、男が寝るときにミラはケージに戻らなくなった。

ある晩、男は仕事から帰宅し、ドアを開けた途端、ミラが玄関で待っていた。彼女の瞳には何かを伝えたがっているような光が宿っていた。男が靴を脱いでリビングに向かうと、テーブルの上には男が書きかけていた仕事のメモがきれいに整頓されていた。

「おかえりなさい、ミラ。」

男は微笑んで言ったが、その瞬間、彼女の瞳の奥に潜む何かが男を凍りつかせた。ミラはただ静かに男を見つめ、その後、ソファの上に飛び乗った。

「ミラ、今日はどうだった?」

男が何気なく話しかけると、彼女は一度まばたきしてから、まるで答えを返すかのように一声鳴いた。それは、男が一人でいるときに何度も聞いた音だったが、今日はなぜかそれが異様に感じられた。

その夜、男はベッドに入ってもなかなか眠れなかった。ミラの瞳に映る知性。彼女は自分の生活のすべてを把握している。そして、その知性をもってして男を管理しようとしているのではないか。そんな突拍子ない考えが浮かんで頭から離れなかった。

ある日、男は仕事から帰宅すると、ミラが玄関で待っていた。彼女の瞳には以前よりもさらに鋭い光が宿っていた。リビングに入ると、机の上に置かれたノートパソコンの画面が点いていた。誰かが男のパソコンを操作した痕跡があった。

「ミラ、お前がこれをやったのか?」

彼女は答えず、ただ静かに男を見つめていた。その瞳の奥には、何かを隠しているような光が見えた。男はパソコンの前に座り、画面を確認した。そこには、男が最近アクセスしたウェブサイトや、書きかけの文書が表示されていた。

「どうしてこんなことが…」

男は言葉を失い、ただ震える手でパソコンを閉じた。ミラはゆっくりと男の足元に寄り添い、その頭を男の膝に押し付けた。まるで、男を慰めるかのように。しかし、その行為すらも計算されているように感じた。

男はミラに対する不安を抑え込もうと決意した。彼女はただのペットだ。頭がいいとはいえ、男の支配下にある存在だと自分に言い聞かせた。しかし、心の奥底では、彼女が男を超えてしまったのではないかという疑念が消えなかった。

次の日、男は決心した。この状況から抜け出すためには、ミラを手放すしかない。彼女の知性と行動が男の生活を支配し始めている。男は彼女を元のペットショップに返すことにした。

「ミラ、ごめんね。でも、これが君のためでもあるんだ。」

そう言って、男は彼女をキャリーバッグに入れ、店に向かった。店に着くと、店員が驚いた顔で迎えた。

「どうしましたか?」

「ミラを返したいんです。彼女はあまりにも…頭が良すぎる。」

男はそう言って、店員に事情を説明した。店員は少し考え込んだ後、頷いた。

「わかりました。彼女は特別なペットですからね。お預かりします。」

ミラはキャリーバッグの中から男を見つめていた。

店を出た男は、少しだけ心が軽くなった気がした。その夜、男はベッドに入るとすぐに眠ってしまった。何の不安も感じずに眠るのは久しぶりだった。

次の朝、男がリビングに向かうと、そこにはミラがいた。彼女は再び男の前に立ち、その瞳で男を見つめていた。

「どうして、ここに…」

男の声は震えていた。ミラはただじっと男を見つめていた。

ミラがどのようにペットショップから抜け出したのかはわからない。が、男の部屋に侵入した方法は単純だった。ベランダから忍び込んだのだ。だが、不可解なのは男は普段ベランダに出ることはなく、鍵は確実にかかっていたということだ。ミラはどうにかしてその鍵を開けた、あるいは、この事態を予期してあらかじめ鍵を開けておいた。そうとしか考えられなかった。

男はミラへの恐怖から、近くに置いてあったゴルフクラブを手にしてミラに殴りかかった。ミラは逃げず、振り下ろしたクラブはミラの体を吹き飛ばした。少しして冷静になった男の瞳には、ミラの亡骸が映っていた。


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