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なりたい像は行ったり来たり

今回は生物学の話じゃなくて、あり方の話を。
コーチングはクライアントが自身に向き合うことを手伝う仕事になるわけですが、その以前にコーチの方が自分と徹底的に向き合っていることが重要です。
そんな文脈で、ありたい自分というのも模索するわけですが、本当に時とともに変わっていってしまうものなのですね。

昔は人と話すのが苦手で、心を閉ざしていたし、人を信用してなかったし、究極一人の力で生きていけるように最短ルートを突っ走ろうと焦っていました。
でも孤独でいる自分は楽だけど嫌で生きづらくて、コミュニケーションを取れるようになろうと奮闘していました。話ができない自分には存在感はないし、存在感がないならその場にいる価値がないと思っていたので、自分から話しかけることを前提にしていました。
まじめで優等生なイメージも嫌で、どんどん砕けた表現、話し方、仕草を取り入れるようになりました。

そんな努力も何とか実って「人と話すのが好き!」と笑顔で言えるようになった今頃になって、少しだけ引き算がしたくなりました。
社会に出ることも意識し始めた最近になって、大人の優美さを身に付けたいと思うようになったのです。

垢抜けるにしても方向性はいくつもあって、今求めている姿に必要なのは服装や髪型の一段階奥にある、所作とかマナーとか言葉遣いの領域。
マナーとか言うとまじめな印象があって、昔のイメージに戻ってないかな?とも思いますが、同じ場所に戻るつもりはないです。

今までは言葉の内容、紡ぎ方で楽しくお話する方向を模索してきました。意思疎通がうまくできなかった過去があるので、言葉数は多いしそれを受け取った相手がどう受け取ったか過剰に考えこむことも多いです。
そんな流れで最近はメッセージアプリでの送信取消も増えていて、自分でも無理が生じているな、ということに徐々に気づき始めています。
そこでここからの自分は、言葉以外で雄弁に語る人になっていきたい。

後になって思ったのですが、この転換って結構勇気と自信がいるんです。
なぜなら、自分は話しかけられる価値のある人間だ、たとえ喋らなくてもその場にいていい人間だ、という自己肯定が必要になるからです。
なのでこの変容はまだ怖いですが、未知ゆえの怖さなので進んでいってみようと思います。

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