「今」はどこにでもある
なぜ心は疲れるのか。
それは、意識している、していないに関わらず、あまりに多くのことに心が囚われてしまっているからだ。
そのほとんどは、過去か未来に関することである。
過去に関しては、失敗の記憶の方が鮮明で心に残りやすいが、
成功の記憶もまた、囚われという意味では同じである。
そして、まだ来ない未来に対する不安や心配。
取り越し苦労と呼ばれるこれは心に大きな負担を課す。
これらの過去や未来から離れるためには、ただ「今」に意識を持って来るしかない。
そしてそれは案外いつでもどこでもできる。
今の自分の体に意識を集中することだ。
立っている時の足の裏の地面の感覚。
座っている時の椅子の感覚。
肌に触れる風の感覚。
目に映る物の形や色。
聞こえてくる音や、漂ってくる匂い。
それらに意識を向ける。
その時、その感覚に判断を付けないこと。
良いとか悪いとか、これは好きとかこれは嫌いとか。
そういうことは抜きにしてただ感覚だけに集中する。
これは色々なところでできる。
信号待ちの時間。
電子レンジで料理を温めている時間。
お店のレジの行列で待っている時間。
昨今で言うところのスキマ時間でできる心の休め方である。
心を休ませる場所と時間は、案外いろいろなところに落ちているのだ。
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