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痛みを覚えたときだからこそ

心が落ち着いているときというのは、実に良いものであることは誰でも同じだろう。

仕事などが忙しくても、自分が今何をするべきなのかはっきりしているときは、

忙しくても、落ち着いている状態だ。

落ち着きを無くすというのは、忙しいときではない。
今の自分を見失ってしまったときだ。

何事も無いときは、自分を見失わないのは当たり前で、落ち着いていられる。

しかし、何かあったときに自分を見失わないでいられるかどうかが、本当に心を試されているときだ。

その、何かあったときとは、自分の中に波風を立たせるものだ。

テレビのニュースや討論、SNS上での誰かと誰かのやり取り、

その中に自分がいないのにも関わらず、まるで自分が刺されたかのように感じるときがある。

内容は様々だ。
お金、健康、人間関係、仕事、恋愛や結婚・・・

主に、その人の人生や価値観に触れることに対して、人は落ち着きを無くす。

その手の話をテレビやSNSで見たときに苛立ったり、つい強い言葉で反論したくなることもあるだろうが、

こういうときこそ、自分の心を成長させるチャンスでもある。

苛立ちや怒りというものは、
自分が否定されていると感じるから起こる感情だ。

否定されたと感じて怒りが湧くというのは、それが自分にとって、離れることが難しい問題だからだ。

でも、だからこそ、なぜ自分はそれに執着しているのか、自分の中にどんな物語があるからこんなに心がざわつくのか、

それを考えるきっかけにもなる。

刺されるのは痛いが、それは気付きでもある。
自分の中にある、自分を見失う原因を、どうするか考える機会だ。

捨てるのか、なだめるのか、形を変えてみるのか、

方法はいろいろあるだろうが、少なくともそのままにするのはよろしくない。

時間が経てば、刺された痛みは消えるだろうが、同じようなことが起これば、また繰り返すだけだ。

実は、その痛みから自分の心について考えるほうが手っ取り早く解決する可能性がある。

もし、お金が無いということが自分にとっての痛みならば、

お金をたくさん稼ぐことで、その痛みは消えるかもしれないが、それには時間が掛かるし、稼いだお金が減れば、また痛みが再発してくる。

一方、心の中の、お金が無いことに対する不安の物語について考えることは、今すぐにもできる。
そして、その物語の解釈を変えることで不安を元から消すことも可能なのだ。

不安だと思っていたことが、実はそう大したものではなかったと気付くこと。
問題を解決するというより、

勝手に自分が問題に仕立て上げていただけで、そもそも問題なんて無かったのだと、思い至ることが、本当の意味で心が落ち着くときなのだと思う。

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