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正しい考察などない

人の思考に、あれは正しい、これは間違っているというのは無いのかもしれない。

一見、間違っているような思考でも、大切なのは、なぜそんなふうに自分は考えるのか、を深く追い求めることだ。

それは物語に似ている。

物語の楽しみ方はいくつもある。

一人で観る。それを話題に誰かと盛り上がる。
自分で作る。

世界には、正しい物語など無いし、間違った物語も無い。

全ては受け手がどう感じるかであり、その感じ方も様々だ。

そして、物語の楽しみ方の一つに「考察」がある。

物語の中の、キャラクターのセリフや、描写などを元に、描かれていないことを想像する。

それは、キャラクターの心理だったり、それを飛び越えて作り手の心情や信条を読み解く作業でもある。

考察の中で、大切なのは自分の考えを自由に遊ばせることだ。

そこに正解はない。

海外はどうかはよく知らないが、日本では漫画にしろアニメにしろ、作者や監督と言った、作り手の意見を尊重し過ぎているような気もする。

作者がこう言っているのだから、それが正解だと思っているような節がある。

だが、考察とは、人の考えとはもっと自由なものだ。

例え、スタジオジブリの宮崎駿が、
「このシーンはAという意味で作りました」

と言ったとしても、自分がBと感じたなら、
それでいいのだ。

では、なぜBだと思ったのか、それを深掘りし、言語化することが考察の醍醐味だ。

自分が何をどう受け止め、どう感じるか、
それは自由だ。

自分自身を大切に扱うとは、自分の考えたことを、正しいとも断ぜず、間違っているとも断ぜず、ただそのままに受け止め、なぜそう思うのかを考えること。

そして、その考えによって出てきたものもまた、そのまま受け止めることなのではないだろうか。

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