正義の話
正義の話は盛り上がる。
どんな物語でも、手っ取り早く起伏のあるストーリーを作ろうと思ったら、
分かりやすい敵を出すのが一番だ。
できるなら、悪逆非道で、非の打ち所がない
悪役がいい。
正義の力を振るう時ほど気持ちのいいものはない。
なぜなら自分は正義だから、理由はそれだけで十分だ。
でも、本来正義とはそうではないという。
https://gendai.media/articles/-/128094?page=3
正義とは、本来それを使う時に苦しいものなのだ。
それを使うとある意味、周りの全員から非難される可能性のあるもの。
トロッコ問題に代表されるような思考実験のように、「葛藤」こそが正義の本質らしい。
確かに、今世界はどこを見ても正義の味方で溢れている。
分かりやすいのはSNSだ。
政治の話から、日常のちょっとした話まで、常に正義の味方が目を光らせて監視し、どこかに悪はいないかと探している。
誰もが一度は正義の味方に憧れを持ったことがあるだろうが、
このところの正義の味方には正直憧れない。
なぜなら、彼らはいつも怒っているからだ。
常にに何かを不平不満をいい。常にイライラしている。
悪を見つけて、それを叩きのめしたときに少しだけ症状がやわらぐようだが、すぐにまた正義の心に火がついて暴れ出す。
たぶん、今の正義の味方は、正しさに呪われていると言ってもいいのかもしれない。
正しければ自分が傷つくことは無い。
正しい自分が傷つけられるなんてありえない。
正しい自分を傷つけるやつは悪に違いない。
正しくなければ自分に価値がないと苦しんでいるのだ。
でも、物語の世界と違って、
大抵のことは100%正しいこともなければ、100%間違っていることもない。
殺人だって場合によっては間違っているとは言えないときもある。
正義というのはたぶん、あくまで自分の生き方に関してのみ使うのが丁度いい使い方なのかもしれない。
他人に向かって押し付けるようなものではない。
どんなことでもそうだが、自分の価値観は自分の価値観でしかないのだ。
自分の価値観と他人の価値観を比べ始めたときに苦しみは始まるのだと思う。
正義は用法用量を守って正しくお使いください。
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