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心が動くとき、そこにあるのは

表現の自由はとても大切なものだ。
人が生きるというのは表現することとも言える。

だが、表現とはいい影響を与えるときもあれば、悪い影響を与えるときもある。

殺人などの犯罪を描いたものを見て、気分が悪くなったりするのは分かる。
でも世の中には、サザエさんを見て落ち込む人だっているのだ。

とにかく、犯罪を描いた作品だろうが、アットホームな作品だろうが、表現自体には何も問題はない。

興味深いのは、一つの表現を見て傷ついた気持ちになる時だ。

先程挙げた、サザエさんを見て憂鬱な気持ちになる場合がいい例だ。

その表現自体はただ、幸せな家庭だったり、普通の夫婦や家族、恋人などを描いているだけ。

その他にも、
弱い人たちを助けるヒーロー、逆境に立ち向かう少年、好きな人のために努力する少女。

さらに極端な例になると、
一枚のポスターに描かれた、美少女の絵に反応してしまう人もいる。

これらの表現を見て、何だか傷ついてしまう。
だが、よく見てみれば、それらの表現はあなたを攻撃しているわけではない。

ただそこにあるのは、絵として描かれた線であり、色であり、セリフ等として書かれたただの言葉である。

あなたのことを攻撃しているどころか、あなたのことに触れてすらいない。

なのに、何だか傷つけられ気がして、イライラしたり、ひどくなるとその表現を攻撃したりしてしまう。

でも、こういう時こそ、自分を知るチャンスの一つだと思う。

傷ついた気持ちがするのは、自分の中の何かがえぐられたように感じるからだ。

それは、自分が「否定された」ように思うからだ。

改めて言うが、目の前の表現があなたを否定したのではない。
「勝手に」否定されたように判断しただけだ。

否定されたと感じた自分の感情を上手く処理できなかった時、それは怒りに変わる。

最初に現れるのが怒りではない。最初に現れるのは否定されたと感じたことによる、悲しみや悔しさ、罪悪感などである。

では、何に自分の心は揺さぶられるのか、

部活や恋愛に全力な学生の表現に動揺してしまうのは、自分が学生時代にそういうことができなかった後悔からかもしれない。

暖かな家庭を描いた表現に動揺してしまうのは、そういうものを築くことができなかった罪悪感からかもしれない。

だから、時々SNSなどで、マンガやアニメの表現が炎上したりすると、怒っている人は一体何が否定されたのかなと思ってしまう。

何かの表現に心が動かされた時こそ、自分をもう一段階知るいいチャンスなのだ。

ああ、自分の中にこんなものがあったんだな。
こんなことに縛られてたんだなと、気付くことがあるかもしれない。

傷つくことは気付くことにつながるのだ。

今、僕は心が動かされた時と言った。
それを「感動」と呼ぶこともある。

感動とは、物語を見て泣くことだけを言うのではないのだ。

感動と聞くと、良いものと捉えがちだが、怒りや悲しみもまた、感情が動くという意味では感動なのだ。

そして、心が動く原因として、罪悪感を挙げた。

もしかしたら、僕たちが物語に感動して泣くのは罪悪感からなのかもしれない。

ヒーローがどれだけボロボロになっても、諦めることなく敵に立ち向かう姿に感動して涙を流すのは、自分にはそれができないという申し訳なさみたいなものもあるのかもしれない。

喜びだろうが、怒りだろうが、悲しみだろうが、感情が動いた時、そこに今まで気付きもしなかった自分がいることがある。

何かに感動したとき、ただ振り回されるだけではなく、今この瞬間に少し心を置いて、自分自身に思いを巡らせてみるのもいいのではないだろうか。

その他の物語
https://note.com/tale_laboratory/m/mc460187eedb5

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