わかってもらいたい
人は行動をする。
それは実際に外に出て何かをするということもあれば、
部屋の中で、こうしてキーボードを叩いて何かを入力するということも含まれる。
行動というのは自分の思いを実現するために行うものだ。
お腹が減れば冷蔵庫の所に行く。冷蔵庫の中に何もなければ、外に出て、スーパーに行くなりファミレスに行ったりする。
もし、お腹が減って、ファミレスに食べに行く途中、道を歩いていたら何かよく分からない人に声を掛けられる。
どうやら、アンケートを取ってるとか何とかのようだ。
そんな時、どうするだろう。
人によっては、イライラしてその人にキツくあたってしまうかもしれない。
でもそんな時、目的は怒ることではないのだ。
本当の目的は分かって欲しい、なのだ。
お腹が減っている。ひもじい。つらい。早くお腹を満たしたい。
そんな切羽詰まった気持ちを分かって欲しいのだが、内側のそういう気持ちは外に出ず、出てくるのは怒りだったりする。
人は行動を起こす。それは分かって欲しいという気持ちからの場合が多い。
今日も、SNSの中ではいろんな題材をネタに怒っている人がたくさんだ。
彼らは何を分かって欲しいのだろう?
そして自分は何を分かってほしいのだろうか?
行動を起こすときはもっと気楽にやればいいと思う。
誰かに分かってもらう。
今のSNS全盛の時代では、下手をするとネット上の全ての人に分かって欲しいという欲望が知らず知らずのうちに自分の中でうごめいている。
でも、全ての人に分かってもらうなんて不可能だから、もっと肩の力を抜いてやりたいことをやればいいと思う。
そうすれば、分かってくれる人がいたら嬉しいし、
分かってもらえなくても、こんなもんだと必要以上に傷つかずに済む。
でも、やっぱり大勢に分かってもらいたいという欲望は消えることはないだろう。
僕もそうだ。
多くのイイねが付いたら嬉しい。
だけど、多くの人に分かってもらおうとすると、
分かってもらえなかったらどうしようと、手足の動きが止まる。
結局、最初の一歩だけは自分で勇気を出すしかないのだけれど、その一歩を出せただけでも自分を認めていいではないか。
分かってもらえなくても、自分は踏み出したのだと。
大切なのは、踏み出すことをただ淡々とやっていくことだ。
結果という目的地よりも、踏み出しているその道のりを楽しもう。
きっと世界のどこかには分かってくれる人はいる。
その人は、イイねも押さないし、感想を送ってもくれないかもしれないけど。
それでも見てくれている人はどこかにいるのだと、自分だけは信じていればいいんじゃないかな。
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