否定されたくないという気持ち
人は誰もが、幸せになりたいと願っている。
幸せとは何かについては、いろいろな考えがあるだろうが、
考え方の一つとして、「これまでの苦労が報われて欲しい」というのがある。
大なり小なり、人は何かしらの苦労はしてきている。
そして、苦労した人は報われるべきだという考えを多くの人が心のどこかで持っている。
だからか、自分よりも苦労していない(ように見える)人が、お金持ちになったり、有名になったりして成功している姿を見ると、
なんだ、あれでいいんだ。じゃあ自分ももっと肩の力を抜こう。
とはならず、
なんであんなやつがいい目を見るんだ、あんなことは間違っている、許せない。
と、なる。
その怒りの正体は、自分が今までやってきた苦労が否定されたように感じるからだ。
人は結局のところ、否定されたくないのだ。
何かに怒るのも、自分が否定されたと感じたからだし、
落ち込むのも、否定されたと感じたからだ。
ただ、ここで大切なのは、
否定されたと「感じた」というところだ。
そう感じたのは、そう心が受け止めたのは、
自分自身に他ならない。
自分が決めたのだ。
現実とは、全ての人間にとって共通の事柄だと思われているが、そうではない。
現実とは、目の前のことについて、どう「解釈」したかということだ。
だから、同じ場面に直面しても、人によってその受け取り方は変わる。
だから、現実とは人の数だけ存在する。
否定されたと、自分が解釈したから、現実がそう形作られていくのだ。
逆に言えば、解釈さえ変えれば、現実も変わる。
例え相手が、本当にあなたを否定していたとしても、相手のその言葉や行動をどう解釈するかは、あなた次第だ。
誰かがあなたを否定した。
それはその人の解釈であり、それをそのままあなたが受け入れる必要はどこにもない。
全ては考え方一つ、心の置き所一つで、現実を丸ごと変えることができる。
現実を変えるのに、特別なスキルや知識を身につけなければいけないということはない。
ただ、これまで自分がしていた解釈はどのようなものだったかを理解して、
そして、その方向を少し変えてやるだけでいい。
なるべく、おもしろがれる方向がいいだろう。
辛い現実、苦しい現実が自分の周りにあるのではない。
そういう景色の方ばかり見てしまっているから辛いのだ。
今まで見ていた方向の反対側を見るだけで、案外楽しい世界が広がっていることだってあるはずだ。
桃太郎のお供の犬や猿や雉が、なぜきび団子一つで危険な鬼退治に同行したのか。
単なるお人好し?だったのか、
それとも実は、自分たちの仲間もかつて鬼に・・・なんてサイドストーリーがあったのかもしれない。
物語だって、解釈次第でいろいろに展開していくことが可能なのだ。
ならば、人の人生だっていくらで解釈次第で良い方向にも、悪い方向にも行くに決まっている。
自分の人生、わざとバッドエンドに向かうような解釈をする必要はない。
多少都合はよくても、自分にとって良い解釈をしていこう。
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