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誰もが持っている道具
心というものは、自分と同じ存在ではないのだろうということが、少し分かってきたかもしれない。
これまでは、心が思うことは全部自分自身だとしていた。
心が心配を感じれば、自分が心配を感じている。
心が恐れれば、自分が恐れている。
と、これが当たり前だと思っていた。
僕は昔から、かなりの緊張しいで、何か突然のこと、思わぬこと、これまでにないことが起こるとすぐに焦って平常心を乱していた。
だから、緊張する度に、緊張を消そう消そうとしてきたが、なかなか上手くいくことは無かった。
だが、少し考え方を変えてみた。
そもそも、なぜ緊張するのかというと、未来を悲観するからだ。
どうなるか分からない先のことが怖くて仕方なかったからだ。
だから、
「緊張は恐怖とは違う。緊張は僕が良いパフォーマンスを出す上で必要なものだ。力が入り過ぎず、抜け過ぎない、ちょうどいい場所を保つのが緊張なのだ。だから緊張は恐怖とは違う」
こんな風に自分に言い聞かせてみたところ、心が軽くなった気がした。
それは、本当に僅かなものだったかもしれない。しかしこれまでにない何かを心に感じたのは確かだ。
心は自分ではない。
心は自分がしっかり扱わなければならない道具だ。
これまで僕は、心を使うどころか、心に使われていた。
もしくは、使い方を間違えていたのかもしれない。
ハサミで釘は打てないし、ハンマーで紙は切れない。
包丁で絵は描けないし、筆で料理は作れない。
大切なのは使い方だ。心の使い方なのだ。
ただ、人それぞれベストな心の使い方には違いがあるのかもしれない。
僕が持っているのがハサミだとしても、別の人が持っているのはカッターかもしれない。
同じ紙を切るでもやり方が違う。
ただ、道具として使うというのは同じだ。
誰も、ハサミやカッターが自分自身だ、なんて考える人はいないだろう。
心の使い方をしっかり見極めなければならない。
どんな道具も、ちゃんと理解し、ちゃんと使い込み、ちゃんとメンテナンスをしなければ、その本当の能力を発揮することはできない。
自分の心を使いこなすことができるのは自分だけだ。
自分はこういう人間だ、だからしょうがない。
なんて考えるのは自分の道具に対する責任を放棄しているようなものではないだろうか。
どうせ、一生付き合わなくてはいけない道具なのだから、しっかり使ってやろうではないか。
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