気軽な葛藤
恐くて立ち止まってしまうということが人にはよくある。
一歩を踏み出す勇気がない。
そんな過去を思い出しては、どうしようもない情けなさを感じてしまう。
自分は何てダメなんだろうと、世界で一番勇気のない、臆病な人間なのでは、なんて思いたくもなる。
だが、そこで自分を責める必要はない。
行動できなかったことに対して、勇気がでなかった、というのは事実だろう。
恐かったから動けなかった、というのも事実だろう。
だけど、動けなかったことにあなたは苦しんでいるではないか。
もし、断崖絶壁のあと少しで下に落ちそうなギリギリの場所、もしくは高速で車が途切れることなく行き交っている道路などに向かって、あなたは一歩を踏み出すだろうか?
おそらく踏み出さないはずだ。なぜなら恐いから。
だけど、恐いからといって崖や道路に向かって一歩踏み出さないことに、果たして苦しみを覚えるだろうか。
そんなことで苦しむはずがない。
なぜなら、そんな危険なところに踏み出したいなんて思っていないからだ。
苦しみを覚えるということは、「
恐くて動けない」という思いと同時に、
「先に進みたい」という気持ちもあるから、その板挟みになって苦しむのだ。
それは確かに小さな気持ちかもしれないが、
それでも、あなたは先に進もうという意志を持っているのだ。
わずかでも自分は勇気を持っているのだということを、まず認めてもいいと思う。
自分をただ責めるよりも、遥かに希望はある。
その苦しみは葛藤とも呼べる。
人は葛藤することで成長できる唯一の生き物だ。
物語の中でも、キャラクターたちは葛藤することで成長する。
そのような成長の方が、観る者の共感も呼びやすい。
葛藤した末に出した答えなら、どんな答えでもそれは誇るべきだと思う。
たとえ、一歩を踏み出さなかったとしても、
恐くて動けなかったと、
考えた末、踏み出さないことを選んだ、
では全く違う。
だから、もっと気軽に葛藤しよう。
葛藤していることに、後ろめたい気持ちを持つ必要はない。
そして、どんな答えが出ようとそれはそれだ。
どんな道を選ぼうと、先に進もうとした自分、とりあえず一つの答えを出した自分を
しっかりと認めてあげよう。
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