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人が生きている世界は一つではない

人は物語の中で生きている。
あらゆる価値観の根底には、それぞれが信じている物語があるからだ。

お金、仕事、恋愛などなど。

そして、物語には必要なものがある。

それは「世界」だ。

どんな時代?どんな場所?どんな文化や風習がある?

世界の設定に、登場人物は従わなくてはいけない。

ドラゴンボールの世界では修行すれば人は空を飛べるが、ドラえもんの世界では修行しても空は飛べない。

だから人は自分が属する、もしくは属していると思っている世界の法則を大事にし、それに従おうとしてしまう。

それは、いわゆる一般的な社会の法律よりも優先される時がある。

少し前、寿司屋の醤油を舐める事件があった。
最近でも、大学生が合宿の宿泊先で暴れて備品を壊す動画がニュースになった。

こういう類のものは、定期的にネットに挙がっては炎上する。

そういう動画に出てくる人たちは確かに思慮が浅かったというのもあるだろう。

だけど、ネット上には見ている人が大勢いることは知っているだろうし、何かをやったことで炎上している人がいることも知っているはずだ。

それなのに、こういう行動を取ってしまうのは、彼らの「世界」のルールが優先されてしまうからだと思う。

未成年や大学生だけではない。

ある時、朝の情報番組で芸人のリポーターが動物園のロケをしていた。
その芸人リポーターがペンギンの池を紹介していたところ、スタジオにいる先輩芸人が

「足元気を付けて!」
と叫ぶ。

その直後、芸人リポーターは池に落ちる。
押すな!は押せ!だからだ。

だが、これが大炎上して謝罪する羽目になった。

芸能人という立場の人が、テレビの番組がどれだけの人に見られているかが分からないわけがない。

だが、あの瞬間にあったのは、テレビの外の世界よりも、自分たち「芸人の世界」の方が上に来ていたということなんだと思う。

そういう意味では、迷惑動画の人たちも、芸能人も同じだ。

自分たちの世界のルールが勝るのだ。
迷惑動画の人たちも、あの場で醤油を舐めなかったり、障子を破けないと、下手すると世界から追い出される恐れがある。

数えきれないほどの大勢の人間に批判されるよりも、自分のいる世界のルールを破るほうが怖いのかもしれない。

ルールを破れば、何かしらの罰があるのが物語のお決まりだ。
正義の味方だろうと、悪の手先だろうとそこは平等である。

そう考えると、人生を少しは穏やかに生きていけるかもしれない。

世の中は常に誰かが、怒っていたり、不平不満をぶちまけていたりする。

テレビやネットでそういうのを見ると、こちらまで気分が悪くなってくるが、

そんな時、その人はどんな世界で、どんな物語で生きているのかと考えると、多少は落ち着けるかもしれない。

もちろん、自分がどんな世界で生きているかを考えることも大切だ。

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