全ての人間は才能人である
人は誰一人外れることなく、才能を持っている。
ただ、才能というものをどう捉えているかによって、
自分には全く才能というものが無いと勘違いに陥ってしまう。
才能とは、他人より優れていることや、他人ができないことができる、
ということではない。
才能とは、自分にとってごく当たり前に、ごく普通にできることだ。
ずっと絵を描いていられる。
人の話を聞くのは全く苦ではない。
同じことを延々と繰り返し作業ができる。
自分にとって当たり前すぎて、
「え?こんなん普通でしょ。誰だってできることでしょ?」
と思ってしまうものを才能と言うのだ。
そして、才能というのは大きく、目立つものとは限らない。いや、目立たないことの方が多いだろう。
大谷翔平のように誰の目にも明らかなほうがレアケースなのだ。
先程例に挙げた、絵をずっと描いていられるという才能で言えば、
絵をずっと描くことはできるけど、別段他人と比べて特別な何かを持っているわけではない。
という人の方が圧倒的に多いだろう。
だが、ここで大切なのは、才能というのは一つではない。
ということを言っておきたい。
少年漫画の能力バトルもののように、一人一つの才能しか持っていないなんてことはない。
だれしも、「小さな才能」をいくつか持っているものだ。
絵をずっと描いていられる人は、同時に絵のことを語れば止まらない人かもしれない。
ここで、「絵」と「話す」という、それぞれは小さな才能かもしれないが、組み合わせることで別の何かを生み出すことができる。
人はそれぞれ、優れているところと劣っているところを持っている。
劣っているところは目に付きやすい。
それはある意味当たり前だ。
さっきも言ったように、優れているところは自分から見て当たり前で、気付きにくいからだ。
だから、改めて自分の才能とは何かを見つめなおすことが必要だ。
自分にとって当たり前で、息をするようにできることに自信を持とう。
それがこの世界であなたが持っている唯一無二の強みだからだ。
そして、これが最も重要なことだが、
才能とは決して、他人と自分を比べ、
自分の方が優れているとか、勝っているとか、
優越感を感じるためにあるものではない。
その考えは結局、終わりのない比較だけの生き方になってしまう。
才能とは、自分が楽しく、生きやすくなるためのものだ。
才能は、自分を楽しませ、そして可能であれば他人にも好影響を与えるために使うものだ。
誰しもが、自分にとっての「普通」「当たり前」という才能を生かして生きることが理想なのだ。
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