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人は食べたものでできている

あなたは・・・

腐った物を食べるだろうか?

もちろん食べないだろう。見た目や匂いもひどいし、そんなもの食べたら腹を壊すに決まっていると分かっているからだ。

では、あなたが海外に行ったとしよう。

その現地の人たちは当たり前に食べているけれど、

日本では見たことも聞いたことも無いような物があったら、

ためらわずにすぐに口に入れることができるだろうか?

個人差はあるだろうが、たぶん少しは躊躇するはずだ。

現地の人たちが食べてるから、口に入れても死なないだろうけど、未知の味には二の足を踏むのは当然と言えば当然だ。

こんなふうに、人は自分の体に入れる物に関してはとても敏感だ。

だが、心に入れるものに関しても同じ様に考えているだろうか。

僕は、思考と心は密接な関係があるけれど、違うものだと思っている。

思考と心は互いに繋がっている。
それは、体で言えば、口と胃が繋がっているような感じだ。

口から入った食べ物が胃に入っていくように、

思考の中で生まれたものが、心の中に入っていくようなイメージ。

さっきも言ったように、人は胃に入れる物には敏感だけど、心にいれるものに関してはあまり考えていないのではないか?

つらいことがあったから落ち込んでんだ。
嫌なこと言われたから不機嫌になってんだ。
心配ごとがあるから、落ち着かないんだ。

思考に湧いてきたものを、それがどんなに不味かろうが、臭かろうが、どんどんどんどん心の中に流し込んでいることを当たり前のことだと思っていないだろうか。

体は人が生きていくために必要な道具だ。
これを使って人はいろいろなことをする。

そして心も同じく、人が生きていくための道具である。
どちらも道具で、その使い方やメンテナンスには同じくらい気を配らないといけないのに、

心の方に関しては、使いこなすことが疎かになっている人の方が多いのではないだろうか。

どんなに体の方は、塩分だとか油分だとかを気にしたとしても、

心の方が悪食では意味がない。

だから、心の方も吟味しないといけないのだ。

思考として湧いてきたものを、

これは心の中に入れていいものかどうかを判断するようにしなければならない。

思考に湧いてきた感情やら考えは、燃料である。それは思考を通して心というエンジンに入っていく。

ちゃんとした物を食べないと肉体が健康を維持できないように、

心の中に入れる燃料が悪質では、心は真の性能を発揮することなんてできない。

心にはいい燃料だけを入れたほうがいい。
そのためには、そのまま適当にしていてはダメだ。
ちゃんと取捨選択することが必要である。

人間は食べたものでできていると言うが、

それは肉体だけの話ではないのだ。

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