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新しいものに気付ける有り難さ

人間、生きていればミスをする。

注意を受けるだろう。叱られることもあるだろう。

その時に、反省することは大事だが、

強く自分を責めすぎてしまう人もいる。

逆に、周りの人や環境のせいにする人もいる。

どちらも間違いだ。

自分も他人も、環境も責める必要はどこにもない。

失敗をした。叱られた。誰かに否定された(ような気がする)

それはただ、自分が今まで見えなかったものが見えるようになったのだ。

そのことに少し混乱するから、まるで何かが悪かったかのように錯覚してしまうだけ。

今まで自分が気付いていなかったことに気付けた。
他人はそう考えているのだと気付いた。

全ては新しい気づきなのだ。

今まで見えなかったものが見えるようになると、大なり小なり混乱するものだ。

その時の心の混乱を落ち着けるための方法が、「原因」を探すこと。

そして、手軽に「原因」を特定する手段が「何か悪者がいる」とすること。

その悪者が、自分なのか他人なのか、それとも時代や社会なのかは人それぞれだ。

確かに何かを悪いとすることで、とりあえず混乱は収まり、安定することはできる。

だが、それを何回も続けると積もり積もって自信の喪失や、他人や社会への憎悪になる。

だから、何かミスをしたときに有効なのは、

「今まで自分に無かったものに気付けた感謝」なのだ。

これは積もったところで何の害もない。

まずは「感謝」から入り、それからどうしたいかを考えればいい。

自分がもっと勉強する。
他人との接し方を改める。
システムの改善をする。

何かに気付くということは、まさに「有り難い」、なかなか得難いものなのだ。

嬉しいことがあったときだけが、感謝するべき時なのではない。

ミスとは、得難いものに気付かせてくれるものである。

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