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わかりやすい、を拒絶してみる

デヴィッド・ボウイは若い頃、「すごいと言われる音楽家」の作品を、理解できるまで忍耐強く聴いたそうだ。

「忍耐強く聴く」とは、

約イコール「これは聴きたい!、と思っていない」ということで。

「今はわからない、でも何かがあるはずだ」

と洞窟に向かう探検隊のように、採掘現場で砂埃をかぶる考古学者のように、あるいは、厳しく悟りに向かう修行僧のように、

「よくわかっていないものに、自ら向かっていった」ということになる。
そしてそれを自らに課したとも言える。

そのときの経験が、彼に何をもたらし、どんな形で結実したのかは推測するしかないわけだけど、

耳障りが良い音楽、わかりやすい表現、趣味趣向に合致した作品、そういうものに触れてばかりでは「決して養えない何か」があったのではないだろうか?

重たい重りを挙げるのは、やっぱりキツイ。

もっと簡単に、もっと楽に、もっと効果的に。
そういったものを求めるのもまた、人間の性だと思う。

でも、その一方で、

イージーな接し方ばかりしていては、感じられない領域もある。
もったことのない重さをもってみると、開花する能力もある。
それまで背を向けていた何かに、飛躍的なトリガーが見つかることもある。

そんなことをなんとなく記憶の片隅に置いておくだけで、
新しい自分に出逢える可能性が上がるんじゃないか?

そんな期待をもって、今日も「自分にとって新しい」にちょっとだけ手を伸ばしてみようと思う。

We March.  未来に向けて、進軍を。

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