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紫本2-6 ストレス上等

 世の中には「どうやってストレスを減らすか」「いかにしてストレスから自由になるか」「ストレスフリーな生活」といった情報が溢れています。私もどうすればストレスを減じられるかをずっと考えてきました。ここでは物理的、機械的ストレスではなく、心理的ストレスについて記していきます。

数年前「ストレスに対しての考え方」自体を一変させてくれる書物に出逢いました。健康心理学者、ケリー・マクゴニガル博士の『スタンフォードのストレスを力に変える教科書』(神崎朗子訳、大和書房、2015年)です。

前著『スタンフォードの自分を変える教室』(神崎朗子訳、大和書房、2012年)をすでに読んでいたのですが、ケリー博士が共有してくださる叡智の数々の中でも、特に印象的だったのは「ストレスにはプラスの面がある」という科学的事実です。

ケリー・マクゴニガル博士

それまで広く信じられていた「ストレスは害悪である」という考え方は、人間のストレス反応のごく一面しか捉えていなかった時代の研究結果が広まったものであること。

強度のストレスがある人々の中で死亡リスクが高まったのは「ストレスは健康に悪いと考えていた人たち」だけだったこと。

人間のストレス反応にもいくつかのパターンがあること。

などが平易な言葉で記されていたのです。その内容の一部、3つのストレス反応を軸に述べさせていただきます。

「闘争・逃走反応」は有名なストレス反応として知られてきました。英語でFight&Flight(戦うか、飛び立つか)と表現される反応です。人間には自律神経系と呼ばれる、身体の恒常性を維持する機能があって、体温、血圧、呼吸、心拍、消化管の運動などを潜在意識下で自動的に律しています。自律神経系は、交感神経系、副交感神経系という2つの神経系統がまるで綱引きをしているかのようにバランスをとっていて、覚醒中や運動中は交感神経系が優位に、睡眠中や休憩中は副交感神経系が優位になります。


「闘争・逃走反応」は、は身の危険を感じた時に身体に起きる反応で「交感神経系」が優位となり、心拍数が上がり、呼吸は速まり、筋肉には血液がドッと流れ込んで、闘争モードあるいは逃走モードになります。過度なストレスに直面した時、心臓がバクバクするのも、呼吸が激しくなるのも、お腹がすかないのも、トイレに行きたくならないのも、視野狭窄に陥ってしまうのも、身体的に「戦う、逃げる」の準備を整えていく証拠なのです。

「闘争・逃走反応」では、人間の身体は超人的なパワーを発揮することがあります。私たちの脳は普段、筋肉にブレーキをかけています。

 いくら自意識で「本気を出してる」と思っていても、実際のポテンシャルの7割前後にセーブされています。筋肉が思いっきり収縮すると筋肉自体、そして筋肉に連なる腱や腱の付着部、骨膜などが機械的なダメージを受ける可能性が高くなるので、普段は抑制しているわけです。いわばカラダを守るための機能なのですが、「闘争・逃走反応」ではこのブレーキが外れ、思いもよらぬパワーが発揮されるモードに突入します。

「多少身体を壊したとしても、命を守るべき状況である」と脳が判断しているのでしょう。

 いわゆる「無我夢中」「火事場のバカ力」と呼ばれる状態になり、脳内でもエンドルフィン、アドレナリン、ドーパミンなどの神経伝達物質が出まくり、やる気と集中力が異常に高まります。とくにβエンドルフィンはモルヒネの数倍もの鎮痛作用がありますので、闘争・逃走反応モードの最中はあまり痛みを感じません。

「試合中は何ともなかったのに、終わってから急に受傷部が痛み出した」「無我夢中で火事場で子供を助け、後から足を怪我したことに気がついた」

といった話がよく聞かれるのも、危険を目の前にして脳と身体がこのモードになったからなのです。


「チャレンジ反応」は、ストレスはあるものの危険ではない場合に出現する反応です。

心拍数の増加ややる気アップなどは「闘争・逃走反応」と同様ですが、チャレンジ反応では脳と身体は「集中力は高まっているけれど、恐怖は感じていない」状態となります。

 喩えるならば、闘争・逃走反応の時は、危険から脱出する脳と身体のスーパーターボシステムが発動しているようなものです。短時間ならいいのですが、これが長期間続いて慢性化するとダメージが降りかかってきます。

 血圧は上がりますし、心臓血管系への負担は過度なままです。さらに心臓を栄養する血管(冠動脈)も収縮する可能性もあるということで、老化や病気を促進してしまうリスクがあるのです。ずっと戦い続けねばならない状況、ずっと逃げ続けねばならない状況は、健康や寿命を大いに犠牲にしているというわけです。

 これに対し、チャレンジ反応のモードでは、心臓血管系にはそのような変化が見られず、身体もリラックスしていて、健康を犠牲にしない状態になります。ケリー博士によればチャレンジ反応は「喜びや勇気を感じる時の状態にかなり似ている」とのことで、ストレスにさらされても、チャレンジ反応を起こしやすい人たちは年齢を重ねても脳の容積は大きかったという報告もあります。チャレンジ反応は脳の神経回路のつなぎ代えを促進させて、ストレスに対する適応能力を強化してくれるのです。

もうひとつ重要なストレス反応は、「思いやり・絆反応」と呼ばれるものです。

ストレスを感じるとオキシトシンが脳内、および末梢組織に対して放出されるのですが、周囲の考えや感情に気づき、理解する能力が高まり、「人と繋がりたい」「誰かの役に立ちたい」「大切な人やコミュニティを守りたい」という気持ちになります。

またオキシトシンの作用で恐怖が小さくなり、勇敢になれます。さらに驚きなのは、心臓を守る作用があることです。心臓にもオキシトシン専用の受容体が存在し、心筋細胞の再生や微小損傷の修復に関与しています。

いままでストレスに対して闘争・逃走反応が広く伝わっていたため、「ストレスは避けるべきもの、害になるもの」という認識が一般的だったわけですが、他のストレス反応を知ることで、「ストレスと戦う」、あるいは「ストレスから逃げる」の以外の選択ができるわけです。しかも科学的裏付けと共に。

「チャレンジ反応」によってストレスを乗り越える工夫を楽しんだり、安全をいち早く確保して「闘争・逃走反応」を「チャレンジ反応」に変化させたり、「思いやり・絆反応」によって「人と繋がりを強化しながら対応する」となどの方向性も見えてくるでしょう。

 さらに、チャレンジ反応を強化するギアとしてのスポーツの意義、災害やパンデミック時の協調と結束の重要性、「情けは人の為ならず」の言葉に代表される利他的マインドの健康への実質的なフィードバックなど、ストレスの新しい科学から、強さのヒントがたくさん見つかります。


ケリー・マクゴニカル博士の研究は、強くなる学びの宝庫であり、知は力なりを実感させてくれるものです。
(強さの磨き方 ~弱さの見つけ方~より)

WEBにて無料公開中。


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