糸井さんと羽生さん② ~実践哲学・実践科学~
ほぼ日さんでの糸井重里さんと羽生結弦選手の対談、
Day2である。
その間の変化というか、
羽生さんが「ありえるかも」っていうふうに
なりはじめたのって、
どういう感覚だったか覚えてます?(糸井さん)
まず、この質問には痺れた。
「夢が夢のままか?」
それとも
「夢が現実になるか?」
まさに、乗るか、反るか、の分岐点における「心」について問いだからだ。
さすが、糸井さんだと思った。
そして、この質問に対する羽生結弦選手こたえがこれだ。
ただ、ぼくの場合は、
できる、できないじゃなくて、そもそも
「なにかやったらなんでもできる」と思ってる。(羽生さん)
「なにかやったらなんでもできる」
これは本当に凄まじい。
この言葉は、決して才能への過信ではなく、自画自賛でも驕りでもない。「いまできることの全ては元々できていなかった」の証明である。
お姉さんができることを、やってみる。
トップ選手ができることを、やってみる。
4回転ができたから4回転半を、やってみる。
そう、これは「獲得してきた人の言葉」なのだ。サインをもらっていた少年が、羽生結弦になるための核の部分が、ソリッドな言葉になっている。
「なにかやったらなんでもできる」(羽生結弦)
つい「やらない理由」「やらなくていい理由」が天才的に浮かんできてしまう僕に必要な言葉だった。
同時に、こうも思った。
これは「憧れを憧れのままにしない呪文でもある」と。
そのようなことを糸井さんは、夢に手足をという言葉で教えてくれている。
これらの言葉は「現在進行形でありたい人」の心にきっと届くだろう。
そしてそれらを阻害する因子についても言及されている。
情報過多の現代社会。「無駄な脂肪を落とすために新しい健康食品を買う」みたいなことが当たり前になっているけど、
無駄な意味を削ぎ落とす(羽生結弦選手)という引き算の考え方は、僕たちの日常生活においても、十分に応用可能なものだろう。
そして飛び出した科学の言葉ミラーニューロン。
パフォーマンスの医学的背景を追求し、可能性の拡大をテーマとしている僕としては、思わずガッツポーズしてしまった。
どのジャンルでも、「世界の舞台に立つ」とは、「世界標準を知る」がセットになるわけだが、残念ながら国内では、科学や医学に背を向ける内向きな人たちもまだまだ少なくない。
世界を知る羽生結弦選手は、科学の言葉をつかってご自身を理解し、言葉にされていた。大袈裟でも何でもなく、
「あああ、これでまたイノベーションが起きる」
と確信した。
このラジオでも、パーソナリティの蒲田さんとも語り合ったのだが、
スポーツやパフォーマンス、アートの世界は特に
たったひとりの天才が、その後のパラダイムを変えていく
ということが起きうる。
モハメド・アリがフットワークとスピードのボクシングを、ザ・ビートルズが自分たちで作詞・作曲・演奏を、デヴィッド・ボウイやマイルス・デイヴィスがスタイルを変え続けるスタイルを示したように。
ミラーニューロンという言葉が羽生結弦選手から出たことによって、
それを受け取った人たちの意識が変わり、
人間理解に基づいたパフォーマンスの革新が加速するだろう。
それにしても、この対談は、
子どもたち、孫たち、その次にも伝えたい。
ひとりとひとりが、ひとりひとりに生きる叡智を配ってくれるから。