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紫本主義

自分で創った山を登りたがる。僕は結構、そういう傾向がある。

なぜだか分析したことはないけれど。もしかしたら若い頃に受験漬け、トーナメント漬けだったからかもしれない。人やシステムがつくった山であっても、自分なりの山に捉え直す。いつからかそんな習慣がついている気がする。

新刊がいよいよ発売前日となって、プロモーションの時期がやってきた。

ここからは著者・二重作ではなく、プロデューサー・二重作がその役割を引き受けることになる。

そこでいったん、自分の気配を消してみる。完全には無理だけど、半透明くらいにはなる、と期待して。

さぁ、いま、目の前に座っているこの紫の本。

どんな役割がほしいのだろう?
どんな風に部屋に置いて欲しいのだろう?
どんな人に届けて欲しいのだろう?

「私」ではなく「本」を主語に、いろいろと想像を巡らせる。

なんとなく、輪郭が見えてきたぞ。

この紫の物体がもたらすものは・・・おそらくは「新たな視点」だろう。

なぜならば「著者である二重作」が対峙し続けてきたのは、結局のところ「気づかなかった自分」だからだ。

何かを知るとは、知らなかった自分に出逢うことでもある。そこにはそれなりの格闘もあっただろう。

その過程で生まれた彼の気づきを「旅の紀行文」として時系列で並べるのではなく、「手に取った誰もが、どこから入っても必要なテーマにアクセスできる」スタイルが、紫本らしさだと思う。

1章から4章まで数字は振ってあるものの、最初から読んで全体の流れを感じてもらってもいいし、興味のありそうなところのドアだけノックしてもらってもいい。3カ月寝かせてから読み直す、とか、ちょこちょこ見返してみるとか、そういうブツ切りはむしろ大歓迎だ。

いうなればホテルのロビーみたいなもので、チェックインして部屋に直行するも、レストランを見て回るも、飲み物を買いにいくのも、繁華街に外出するも、そこは「自由」がある。ずっとその場にいるわけじゃないけど、ときどき気にしてもらって、必要時には取り出してもらえたらいいな。デザインとしては、書店ではたしかに紫は目立つけどが、部屋の中では、カバンの中では「ノート」に近い感じで景色に溶け込んで欲しいかな。そんな感じがなんかCHICりきそうだ。

プロモーションに関しても、「プロデューサー二重作」が考える「平等」を念頭に置くことにした。

10のパワーで向かってくる人と、200のパワーで向かってくる人。どちらにも100で応えたら、それは不平等だ。

200には200で応える。結果の平等ではなく、機会の平等がある。そんな感じのプロモーションを試みている。

現時点で、購入してTwitterで二重作までDMを送ると、プレゼントグループに招待され、全て無料でもらえることになっているんだけど、まだ発売日前日なのにすでにVol.1~Vol.5まである。

プレゼントに関しては、ここで終わるかも知れないし、どんどん増えるかも知れない。とにかくプレゼントをつくるもの、選ぶのも、渡すのも、全部の行程が楽しいから、後者になる予感はある。明日のことは明日の僕に聞いてみるとして、本書に対して200の気持ちで楽しんでくれてる皆さんの声は、やっぱり嬉しい。

自分で創った山を登りたがる。僕は結構、そういう傾向がある。

1冊購入するだけで、もの凄い数のプレゼントがもらえる書籍。
このトーナメントの頂点をまずは手中に収めるつもりだ。




















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