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修行とソロと共同作業

僕にとって書籍の執筆作業は苦行であり、修行でもある。

暇さえあればPCに向かい、ノートを見直し、手帳にメモる。本当は運動したいのだが、主に動いているのは肘から先である。

僕の言葉を指して、ある方が「肉体性の伴った言葉」と評してくださったことがあって。それにすがりつきたいくらいの僕も、肉体性から遊離し兼ねない「執筆作業」は、動けない苦しみを伴う。

それだけに、書き終わった後の解放感は文字通り、「筆舌に尽くし難い」ものがある。「うわー、自由だ!」と叫びたくなるくらい、退院される患者さんの気持ちがちょっとわかる気がする。

とはいえ、その快感もやはり「行」あってのものであり、もしゴールまで辿り着くことが無ければ、残るのは「あきらめてしまった私」だけだ。

そう書きながら「修行」とは「行いを修める」だけじゃなく、「行くを修める」でもあるなぁ、と実感するのだけど。

というわけで、今のところの僕の最新刊、『強さの磨き方』は、ほとんど完全に孤独な作業で書かれた。最終段階になって、友人に一部読んでもらって意見をもらったりしたこともあったが、それは確認作業に近いもので、製作段階は、基本的にはソロとしての作業だった。

これは「あえてそのようにした」部分がある。

強さとは何か?弱さとは何か?弱い自分をどうとり扱えばいいのか?どっちの方角に光を見つければいいのか?

これらの「自分なりの現時点でのこたえ」を探るには少なくとも「内省」が必要になると判断したからだ。

その結果が拙書なのだが、おかげさまで読んでくださった方々から、ありがたきコメントをいただいている。中には手術を受ける時に病室に持ち込んでくれた方もいて、「小さなセコンド」として、読者のライフを邪魔していないことに安心している。

この僕なりの「行」をひとまず終えた僕に対して、僕のほうから「ご褒美」を授けよう、と思った。

そのご褒美とは、「共同作業」の4文字だ。

「今度は、ソロではなく、バンドで、ユニットで、グループで、いろんなアイディアや化学反応を形にしていいぜ」

と、自分自身に「許可」を出してみる。

そうすることで、次の執筆作業は、孤独な執筆ではなくなる。

ミットをもってくれる人がいる。タイムを計ってくれる人がいる。BPMを調整してくれる人もいれば、斬新なアレンジを施してくれる人もいる。著者であり、表現上の責任者である以上、全体のディレクションは僕ではあるが。

場面によっては僕がミットをもつこともなるだろうし、手本を示さねばならいだろうし、ムードメーカーにならねばならないだろう。

でも、なんかそれが楽しい。

道中、いろいろあるにしても、いろいろあることを楽しめる作業になるだろうから。

チームでの作業、グループでの作業を心底楽しむ秘訣、それは「徹底してひとりの作業に没頭した時間」が教えてくれる。

・・・というわけで、今日もなんとかnoteの最後まで辿り着けた。
読んでくださりありがとうございます!

PS.拙書の本文を書き切った後は、当代きっての凄い人たちが「推薦の言葉」を寄せてくれました。有り難い限りです。




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