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国籍よりも思考

僕はラオスという国にいて、これまでカンボジアやタイ、ネパール、モンゴルなどアジアの発展途上にある国々でサッカーをプレーしてきました。

そして、サッカーを通じた社会貢献活動に取り組んでいます。

そうすると、こんな言葉をよく聞きます。

「ラオス人だから僕たちにはできない。」
「日本人だからお前にはできるかもしれないけれど…」

果たしてこれは真実なのだろうか。

僕はその思考自体がそれを不可能にも可能にもすると思う。

つまり、「ラオス人だから僕たちにはできない。」という思考を持っているからこそできないのであって、

ラオス人であることが「できない」という原因ではないと思う。

しかしながら、真実として先進国である我々日本と途上国の国々を比べれば環境や機会というものは大きく差があると思う。

だから、僕はその部分での支援は必要だと思う。
機会の均等化と言えるのかもしれない。

しかし、いくら機会を与えたとしてもやらない人はやらないと思う。

例えば、「痩せたい!」と思ってもなかなか痩せられない人は環境を求めてジムに通うことがある。

様々なトレーニングマシーンや充実したトレーニングプログラム、トレーナー陣に囲まれたところで結局やるかどうかは本人の意思であり、思考に紐付かれていると思う。

もっと言えばその意志が強いものであればジムに行かずともいくらでもやれることがあることを知っているし、知りにいく。

だから、僕は結局のところ本人の思考が変わらなければ環境が変わったところでそれは一つの要因に過ぎないと思う。

国や学校、チームや組織…さまざまなものがその思考を形成している要因であることは間違いないけれど。

「ラオス人だから」とか「日本人だから」というのは本質としては関係ないと思う。

その思考が可能性を潰している最も最たる理由かもしれない。

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