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#167 日本は幼少期から選択、限定的

いま僕はラオスという国にいて、新型コロナウィルスの影響により国はロックダウンをしています。

少しずついろんな制限が緩和されてきていますが、これまで2週間のロックダウンを複数回延長してきています。かれこれ2ヶ月以上経ってしまいました。


厄介なのはロックダウンとした当初からその管理があまり徹底できていないということかなと思います。

僕はロックダウンが始まる日には外に出たら警察か何かにその場で捕まるくらいのイメージを持っていました。


初日は朝6時からロックダウンがスタートするということで、朝4時半に自主練をスタートして、5時半に慌てて家に帰るということをしていました。

しかし、食料の買い出しに出かけると人が普通に外に溢れていたのを見て唖然としました。


そんなこんなですが、いまだに市中感染はおさまらず(人が外に出ている以上ワクチン接種が全員終わって現状のウィルスが人に感染しなくなるまで終わらないだろう)というところです。


都市の移動も空路ならワクチン接種が2回終えていれば可能だったりしますが、ラオスという国は国レベルよりも村や県、州単位のルールがまた別にあって気をつけなけないと外に出たら自分の都市に戻って来れないなんてこともあるかもしれないです。


日本のように事前準備があって、例えば来週からこうあう政策をスタートするというのではなくて、明日とか明後日からスタートをしてしまうので、帰宅難民というのもたくさん生まれていました。


さて、今日は日本は幼少期から選択的でかつ限定的だなと思ったことを書きます。


いまインターナショナルなスポーツキャンプというのにコーチとして参加しています。

4歳から12歳までの子供たちが通っています。

国籍も様々で、日本はもちろん、タイやフランス、イギリスやアメリカといういろんな国の子供達が参加しています。

そして、サッカーや野球、バスケットボールや水泳、ときには音楽や文化に触れたりと様々な行事を行います。


ここで思ったのが、日本ではこうした機会が少ないなと言うことです。


例えばサッカーをやるなら、サッカーだけ。

野球なら野球だけという感じ。僕自身も小さい頃に野球とサッカーとバスケとバレーボール、ピアノなどなど…を同時にやっていたのですが、


そんな選択に迫られたことがありました。

サッカーが野球どちらかにしろ、と。


そうではなくて、いろんなスポーツ、文化に触れながら、出来るとかできないは置いておいて試してみることができる環境というのは素晴らしいと思いました。


その中で自分が選ぶ。

いろんなことをやった中でサッカーが一番好きならサッカーを選ぶかもしれない。

とにかくいろんなものに触れる機会を提供する環境というのが、海外では当たり前のような感覚なのだろうと思いました。

そして、いろんなことをやる中で仲間やときに自分と違って言語を話す、髪の色が違う、肌の色が違う人たちと触れ合う。

そういった経験を幼いうちからすることで、必要のないフィルターが作られていかないのだろうと思いました。


良い意味で、とてもオープンな子供が育つ環境だなと思いました。

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