Emerging Trajectories: アンドリュー・コバック、ヒメネス・ライ、ジョアンナ・グラント来日講演会

過去のトークイベントの感想まとめ。

*****

17.05.12(Fri.)
Emerging Trajectories: アンドリュー・コバック、ヒメネス・ライ、ジョアンナ・グラント来日講演会
-米国若手建築家が生み出す新しい建築の空気感

Japanese Junctionのレクチャー企画として、今月の『a+u』でも特集されているOffice KovacsとBureau Spectacularの講演会へ。
最近の米国建築界の作品の潮流は、アンビルトな、あるいはアートや展覧会として提示されることが多いですが、その浮遊感は1980年代の建築家たちがドローイング先行だったのと類似している。どちらの建築家も夥しい数のオブジェクトを等価に集積・漂流させているイメージは、Daniel Libeskind [micromegas]やもっと遡ればEl Lissitzky [proun]に通ずるものがある。そこを現実に落とし込み、本来の文脈を剥奪して新たな意味/機能を付加しようとしているあたりが少し違う様子。
1970.80年代のポストモダニズムにおけるコラージュと類似するところもありますが、そのあたりは今月号の『a+u』で、平野さんが小論で言及されてる「新コラージュ主義」を参照いただき。どちらかというと、ダダイズムやシュールレアリスムの方が近いかも、アート文脈。
もはや建築と呼んでよいのか、どう解釈すれば良いのかと悩ませる。Hans Hollein的に”すべては建築である”と言ってしまえば早いが、それでは消化不良気味。
ただ、建築をレトリックで突き進んだ結果、どこか愛らしい、やもすればキッチュな表現に辿り着いたのは面白いところで、実はここに建築外の世界と接続する可能性があるのではないか(それを意図的に仕組んでいるのではないか)と考えてみたり。
『a+u』のp.35でCovacsのインタビュー最後で語っている内容、またp.63でLaiが道化師とユーモアについて語っている内容から、建築を介してその外側の人たち見ているような気がしてならない。建築はあくまで手段でしかなく、しかし手段として最も面白いものだと思っている、そんな感じ。
建築的には「思弁的実在論」あるいは「オブジェクト指向実在論」の文脈に位置づけられるのが時流かと思いますが、そっちは自閉的になりそうなのでシフト。

1991年神奈川県横浜市生まれ.建築家.ウミネコアーキ代表/ wataridori./つばめ舎建築設計パートナー/SIT赤堀忍研卒業→SIT西沢大良研修了