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Archi Future 2018

2018.10.26(Fri.)
Archi Future 2018
毎年行ってる気がするイベント.今年も面白いレクチャー目白押しでしたが,中でも圧倒的に面白かった(自分の最近の興味関心と近かった),池上高志さん×豊田啓介さんのレクチャー「Massive Data Flows」のまとめと雑感を織り交ぜたものを(長め,そして聞いてないと分からない気がする).

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「Massive Data Flows」池上高志×豊田啓介
"Human is a bottleneck"=人間がボトルネックになっているというのが今日イチのキーワード.人間が把握できないから可視化する.これは建築界でも往々にしてあり,慣習的に2D図面にダウングレードしているだけで,本来的にはもっと複雑なものを複雑なまま処理できるに越したことはない.どの程度のレベルで可視化するかは人間側の能力如何に左右されるのであって,もはや人間不在の方が効率が良いというケースが考え得る.

では,"我々はどうすれば世界のメンバーになれるのか”?今こそ哲学やアートを再考するべきではないか.複雑で膨大な情報を無理やり捨象するのではなく,そのまま提示すること.科学は膨大な背景が無いと信用が担保されないが,アートは1回だけの実証で良い.科学とアートの両立が求められる.
これは人間と機械の境界にそのまま架構されている.「オルタ」やテオ・ヤンセンの「ストランドビースト」は,明らかに人工物でありながら,まるで生命体のような印象を受ける.そこには人間と相互作用することによる伝染性(R.ドーキンスのミームのような)があり,人間が同調し感情移入することで合わせてしまう現象が生じる.その最たる例がアンドロイドが指揮者となった「アンドロイド・オペラ」だろう.<人工生命性>があるとしたら,そこには人間が介在する余地がある,ということが重要なのかもしれない.サイボーグのようなハイブリッド性.

「法隆寺五重塔」は現存する最古の木造建造物と言われながら,実際には数多の修復の手が入っている.実はそのことの方が重要で,固有性は残しながらも,ロバストネスやレジリエンスがあることで,経年変化を許容する構造となっている必要がある.千年,万年遺る建築は一体どんな構造なのだろうか?新素材(いわばスマートマテリアル)の開発が求められる.

それは建築のある種の<可動性>とも言える.建築自体がリテラルにウォーキング・シティの如く動くわけではなく,生き物のように伸長収縮・傷みが発生することを指す.あるいは,J.ギブソンはアフォーダンスを"人間の可能な行為の束が立ち上がって生まれるもの"としたが,建築においても如何に行い得る可能な行為の束を生成し得るか,その許容量が内包する<可動性>を指していると言えるかもしれない.
外的/内的入力に対して如何にレジリエンスをもっているか,それは人工生命でも建築でも共通している.

人間が介在してもレジリエンスがあるということは,すでに人間を超越した存在であると言える.その超越性を人間側に引き寄せることこそがボトルネックの正体で,そもそも建築は人間のためのものだけではないのではないか.そこに,哲学が潜んでいる気がする.
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最近は人間―機械,アート―デザイン,聖性―俗性が自分の中で興味関心があって,最高の組み合わせでした.
現代はノーバート・ウィーナーの『人間機械論』から遥か彼方にいます.でも建築界はとても遅れている.未だに非常に近代的な思考.デジタル領域やAI領域を見渡すことで,軽やかに超えて行きたい.

1991年神奈川県横浜市生まれ.建築家.ウミネコアーキ代表/ wataridori./つばめ舎建築設計パートナー/SIT赤堀忍研卒業→SIT西沢大良研修了