白とかオレンジ。

午後、散歩に出掛けた。
偏頭痛が続いていたので、スマホは持たずゆっくり歩いた。
スマホを置いてくるだけで、ずいぶん世界の見方が変わる。
世界の見方が変わるということは、実はそれだけ自分というものが刻一刻と変化しているということではないだろうか。
スマホを持つと、あらゆる世界や他者と繋がっているように感じる。
そして、そのことによって今度は自分自身を規定して、今日も変わらず私はかくかくしかじかの私である、と、喜んだりうなだれたりする。
喜怒哀楽のいずれにせよ、何か「自分」というものが、絶えることのない連続性の中に見出だされ、安心しているという点は、スマホを持つすべての人に同じことが言えるのではないか。

昨日見たニュースが今日も言われている。
一昨日のあの人の発言、やっぱり叩かれた。
あ、同じ趣味の人が、私も行きたかった場所に行ってきたみたいだ、うらやましい等々。
ソーシャル・ネットワークを通して、そこには何か、世界中のみんなが共通の一つの世界に生きているという意識が、非常な強度で現れている。
そして、その中でなんとか探し当てた自分の立ち位置は、今日も揺らいでいない、と。
あるいは、他者によって揺らぐのは、私が確かに変わらずに存在するからだと。
でも、本当にあなたは昨日のあなたなのか、世界は共通の世界なのか。
かといって今さら手離せるものでもない。
文明すべては、仕方ない、仕方ないって積み上げてきた今である。
抵抗したくなるけれど、しっかり恩恵を享受して、非難する資格なんて最初からない。

最近私は良い場所を見つけた。
街の山手側、ある高台に30mほどの藤棚の小道がある。
晴れた日に歩くと、木洩れ日がきれいで、他に誰もいないので気分がいい。
一番奥には、展望台などで見かける休憩所がある。
木製のベンチと屋根。
そこにふかふかの薄茶と白の猫がいる。
その猫の可愛らしさも相まって、とても素敵な場所に思える。
けれど、ある看板がそういう気持ちを台無しにする。
看板には、以前ここで誰かが犬に噛まれた。野犬が出るので気を付けてください。あと、エサは絶対やらないで。というようなことが書いてある。
せっかくの場所を見つけたのに、私は犬が怖いから、急に風景に翳りが差す。
いるかいないかも分からない犬を怖がりはじめて、あまり長居はできないな、と考え始める。

今日も、恐る恐る奥まで歩いた。
途中でまた別の猫を一匹見つけた。
丸々太った、黒茶の猫。
草の上に座ってのんびりしている。
奥のベンチで白いほうに会った。
こっちを見ながらお腹を見せて寝転ぶので、てっきり心を開いたのだと近寄ると、逃げていく。
ベンチの裏に隠れてそのまま森のなかに走っていってしまった。
寂しくなったので、帰ろうと思った。

でも、さっきの黒茶の猫は何かするかもしれないと思って、戻る途中、目の前にしゃがみこんでみた。
すると、ニャアと鳴いて、近くのベンチに歩いていく。
ベンチの上で座ってくつろぐと、私の方を振り返って、ニャアと鳴く。
『ベンチ、おいでよ。』と、言っているようにしか聴こえなかったので猫の隣に座ってみる。
身体は正面を向いて顔だけで猫を見ていると、猫もこちらを見る。
大きな黄色い目玉にオレンジ色の極細の配線みたいな波線模様が一周していた。
動物に話しかけられたのは、はじめてだったので、ドキドキした。
私がじっと見ていると、たまに見つめ返してくる。
(そうか、打ち解けたのか、いいね)と思って、顔を正面に向けた途端、猫はぴょんっとベンチをあとにして茂みの隙間のコンクリートの水路を登っていってしまった。

なんだ、やっぱり喋れてなかった。
まったく全然通じてなかった。
結局、あの猫と私は、なにも同じ事を意味していなかった。
ただベンチに数十秒一緒に座っただけだ。

それから私は少し坂道を下って、ある保育園の上の遊歩道に出た。
この道は保育園の二階より少し高く、園の建物や遊具の様子が見渡せる。
私の立っている場所からは砂場が見える。
男の子が一人で遊んでいる。
黄色い列車が二つと青が一つ。
電車の形のおもちゃを繋げて、手で走らせたりしている。
彼を観察していると、見下ろす視界の左手、坂の下の路地から数人の子どもたちの叫び声が聴こえる。
大声を上げながら家々のあいだの狭い道を走り回って遊んでいるようだ。
砂場の男の子に視線を戻す。
青い列車は地面に叩きつけられてしまった。
男の子はそれをまた走らせるけれど、少しすると、おもちゃを持って園の中に戻っていった。
保育園には、他に子どもたちは来ていないのだろうか。

帰り道、商店街の中を歩いた。
店先で風鈴を売るところが増えた。
風鈴は一度にたくさん鳴ってもうるさくない。
ちょうど大きな木が風でサワサワ言うのと同じで、人じゃなくて風が演奏しているので、迷惑と思わない。
路上ライブの人も両手に風鈴をいっぱい持って立っとけばいいのに。
海外沿いの花壇はどれもビビッドなピンクの花が中心になってしまった。
もっと白とか、オレンジとかがよかった。