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省察的実践の技術的熟達

英語科教育法で行う模擬授業の後には「対話型模擬授業検討会」を行うことが私の授業の恒例となっており,「8つの窓」(教師と生徒それぞれのDO/THINK/FEEL/WANT)をもとに授業を振り返る。

今回は授業の展開に合わせて2つの場面に分けて8つの窓を提示した。第1場面は生徒がペアでやり取りしている時間,第2場面は生徒が先生に(予め決められた)質問をし,それに先生が答える時間であった。
それぞれの場面に対する教師のFEELは,第1場面については「ひま」、第2場面については「楽しい」というものだった。

対話型模擬授業検討会は,学生の思いを出来るだけその人自身の言葉で率直に語ってもらうことが肝になる。そのため,「ひま」「楽しい」という言葉が出ること自体は検討会としては問題ない。
肝心なのは,ここからさらに省察を深めることである。
つまり,「あー,暇だったんだ」「そこは楽しかったんだね」という「受容」だけで終わらず,「なんで暇だと思ったんだろう?」「その暇っていうのは、生徒主体になっているっていうポジティブなこと?それとも先生の存在意義を感じない的なネガティブなこと?」「なんで後半は楽しかったんだろう?」など、FEELから深める問いかけをファシリテーターである私がするべきだった。

事実,今回の検討会では教師のTHINKの方についてもあまり授業内でのon-goingな思考が明らかにならなかった。授業中の思考をメタに振り返って言語化するのが難しかったのかもしれないし、あるいは実際に本当に何も考えていなかったかもしれない。
興味深いのは,模擬授業そのものの質について教師役の学生自身は「今までよりかは、できた手ごたえがあった」と振り返っていることだ。私も,授業の流れや事前に組まれた構成という観点で見れば,彼女の過去の模擬授業のどれよりも優れていたという感想を持っている。

このことからは,事前に構成した授業プランを問題なく遂行することを第一に考えて授業をしていると,学習者のやり取りから何かをキャッチして,その場で何かを考えたり感じたりすることにアンテナが向かなくなってしまう可能性が示唆される。

私が今の職場に来てから半年以上,(技術的熟達者)ではなく省察的実践家としての英語教師の育成を目指している。

省察的実践家として成長するために必要なことは(あえて,誤解を恐れずに言えば)「省察」の「技術的熟達」であると、今現在の私は考えている。つまり,授業の中の出来事から授業中に色々なことを考えたり(reflection in action),授業後に授業そのものや授業時の自分自身,そして学習者について考えたり(reflection on action)することが出来るようになることが重要である。

省察の技術的熟達とは,授業の振り返りを「深そうに書ける」ことでは勿論ない。では何なのかと問われると,実はまだ答えは用意できていないのだが,今現在の私自身の個人的な見解は,授業中のon-goingなリフレクション(reflection in action)をそれなりにできないことには,授業後のリフレクション(reflection on action)は十分に深められないということである。
つまり,授業中に生徒の表れを具に観察しそれによって生まれた自分の思考や感情に向き合えるかどうかが授業後のリフレクションの質を左右する。

そう言ってしまうと,「検討会をやる時点ではもう授業内でリフレクションをできていたかどうかが決まってしまっているじゃないか」と私の中のリトル拓也は言うのだが,検討会を継続的に行うことで授業中に教師そして生徒はどういうことを行い、考え、感じ、望んでいるのかを言語化できるようになり、それが模擬授業中のリフレクション(reflection in action)の力につながると信じている。
そこの乖離が今後の課題であることも同時に明らかである。

以上、今日は検討会を検討した。

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