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「やり取り」の「発表」

英語科教育法IIIの振り返り。
遂に最終第15回を迎えたこの日は「話すこと(発表)」の模擬授業回。

授業の概要

今回の授業は「発表」に焦点を当てたものではあったが,少なくとも私には思いつかなかった非常にユニークなアイデアが見られた。

生徒はペアになり教室の前方に出て「3分間2人で話し続ける」ことがゴールだ。つまり,2人での「やり取り」を人前で「発表」する
先生からは「コントみたいな感じで」という言葉が添えられ,まず10分の準備時間が与えられた。
生徒らはペアで「コント」のテーマ・流れを考え,3分間話し続けるための戦略を立てる。10分ではとても足りず追加で5分,更に3分と準備時間が重ねられた。

コントの台本を作る

2つのペアのうち1つは,(生徒役割カード上)積極的に活動に参加する生徒が(リアルに)お笑い好きということで,「コントを作る」という課題に「ワクワクした」と言い,東京03のコントを思い浮かべながらペアの生徒と台本を作っていった。(彼女は「東京03」というワードは出さなかったが同じくお笑い大好きな川村は観察しながら「あー,あのネタね」となり,角田さん役で加わりたかった)

お笑い好きな生徒が引っ張りながらストーリーを組み立て,もう一人の生徒も少しずつアイデアを出していく。準備時間の短さからどうしても3分間のストーリーを作るには及ばなかったが,やり取りの中身を考える過程はなかなか面白かった。
ネタの中身としては,コンビニに強盗が入るが店員が極めて冷静に対応し,強盗と仲良くなろうとするというストーリー。
二人は強盗の最初のセリフを考えた後,どうしたら店員が「余裕さ」と「友達になりたい」という感情を出しているように伝わるかを考えながらセリフを考えていた。
やり取りは基本的に「即興性」と繋げられ,やり取りをベースとした言語活動であれば,即興的なやり取りをした後に自分の言語使用をメタに振り返ることになる。しかしこの活動の場合は,やり取りを特定のゴールに向かって作り上げるプロセスの中で,on-goingに言語使用の吟味を行う。

実際に彼女たちの言葉選びや発話時の雰囲気や声色の工夫により,教室の前で発表した時も,他のペアの生徒に概ね話は通じていた。ストーリーとしてはかなりトリッキーだっただけに,そこを一発でそれなりに伝えることに成功したのは,外国語の使用として高く評価されるべきだと思う。

台本作りを諦める

もう1つのペアではやり取りの話題や構造がなかなか決まらず,色々な話題を検討しながらどんどん時間だけが経っていき,最終的に「お互いの話が全く噛み合わないというネタにしよう」となった。片方が相方に何かを質問するのだが,それに対して全く関係ないことを答えたり,全く別の質問をしたりする。これを台本なしで,時間いっぱい演じる作戦に出た。
全くコンテクストのない中で,意味不明なやり取りを続けるだけの発話が出てくるところはさすがと言えたが,見ている側としては「何を見せられているのだろう?」となるものだった。
事実,観察者として話し合いの様子から見ていた私や先生役の学生はそのペアのやりたいことを理解できていたが,自分達の話し合いに集中していたもう1つのペアの2人は全くやり取りの中身を理解できていなかった(そもそも中身など無かったとも言えるのだが)。

また,このペアの生徒からは「新しい知識を得ることがなかった」という振り返りのコメントがあった。
これはストーリーを成立させるための言語使用を深く考えていた上のペアには全く当てはまらなかったことであり,本来想定されていた授業の構造上は起こり得ないことだった。しかしながら,台本を考えるという過程であまりに大きな行き詰まりを感じた結果,その過程を放棄してしまった2人は新しい知識を得ることができなかったという構図だ。

課題の難しさを自覚していた先生役の学生は「どんな内容でも良いよ」と繰り返していたが,生徒側のこの振り返りを聞いて,「内容を考えない」という判断だけは防ぐ必要があったと私は思った

やり取りの発表という活動の可能性

この授業で先生役の学生は,日本(語コミュニティ)の外に出ても通用する「トーク術の向上」を狙った。
この目標は彼女自身の英語使用の特徴とも大きく重なる。「完璧な英語じゃなくていいから,面白く話せるようになろう」という思いが彼女にはある。準備を伴う「発表」という活動に「やり取り」を埋め込むことで,やり取りの中のユーモアを生み出す工夫を促したと言える。

「やり取り」と「発表」について,これまで私は「話すことだけ「やり取り」と「発表」に分けて意味ある?」というぐらいのことしか考えて来なかった。私は現時点でそれぞれの領域をどう指導するかを体系的にまとめる必要がある,という段階にいる。
そんな中で今回の模擬授業を考えた学生は「やり取り」を「発表」するというアイデアを提示してきた。
「頭を殴られたよう」とはこの事かというある種の衝撃を受けた。

私はM-1グランプリやキングオブコントを,ネタに笑うと同時に感動の涙を流しながら観るぐらいには「お笑い」が大好きではあるが,舞台上で行われる「やり取り」を「発表」するという言語活動についてはろくにこれまで考えたことがなかった。
この構造のメリットとしては上で述べた通り,やり取りの中の言語使用をon-goingで振り返ることができる点にある。
やり取りをさせてみて,後から振り返るという言語活動では,どうしても「させてみた」時の「出来なさ」が学習者にとって辛さになることがあり得る。その「出来なさ」こそが学びの原動力になるとは言え,それ以外のオルタナティブとしてon-goingでの振り返りというのがあり得ることに気づけたのは私にとって大きな収穫だった。

ただ,ネタ作り及びネタ合わせに最低2週間は欲しい。

「話すこと(やり取りの発表)」という領域が生まれたら,そこのCan-Doの頂点は「Got Talentで一次オーディションを通過する」とかか?

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