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二人で話せば「やり取り」か

英語科教育法IIIの授業ログ。
今回は「話すこと(やり取り)」の模擬授業回。

前回の講義回では「コミュニケーション活動」と「言語活動」の違いを、学生に実際に両者を体験してもらいながら整理した。

その中では「言語活動よりコミュニケーション活動の方が、学習者として好きだ」という意見も見られ、どちらが良い/悪いという話ではないというところに一応着地はしたのだが、でもやはりこれから英語の先生になる学生たちには言語活動をしっかりデザインできるようになってもらいたい。

その中で今回模擬授業を担当した学生は私のもとに相談に来ることもなく言語活動をきちんとデザインして展開してくれた。頼もしい。

模擬授業の概要

生徒は2人ペアになり、1人が画面に表示されたイラストを説明、もう1人がそれを聞いて絵を描くというもの。制限時間終了後に全ての絵を見せ合って、生徒間投票で一番イラストに近いとされたペアが勝ち。それを全ての生徒が説明側とお絵描き側を経験するように2ターン行う。

「振り返り」のタイミング

前回の講義では言語活動は「目的・場面・状況の理解」「コミュニケーションの方向性・見通し」「コミュニケーション」「振り返り」からなると整理した。
今回の模擬授業では上記の活動を2ターン行った後にそれぞれの絵に対して順番に振り返りを行った。ここでの振り返りは「どんな言葉で説明したか」という生徒の「言えたこと」を共有した後、先生が「こういう表現もあるよ」と準備したものを提示した。また実は授業の冒頭ではいわゆる「出川イングリッシュ」の映像を見せて「恐れずに単語だけでも良いから言ってみよう」という空気で始めたのだが、最終的に先生が提示したのは全て文での表現だった。

これに対して検討会では「1回目のことを忘れてた」「やっぱり文で言わなきゃダメだったのかな?」という意見が出た。先生としても「1問目のことみんな覚えてるかな?」という思いと「(1問目の後に振り返り入れたら)テンポが悪くならんかな?」という思いの間での葛藤があったという。
ここの迷いについて、「問題を覚えているか」「授業のテンポがどうか」以外に、より生徒の英語使用の質に関わる部分の視点が入ってくると面白いのだけど、そこは一旦学生の省察レポートを待ってみたい。いずれにせよ「正解」はないと私は思う。

「やり取り」の活動だったのか?

この授業の検討会では生徒役の学生から「単語でしか言えなかった」「実際に出川風のフレーズを使った」「知ってる単語を(頭の中から)引き出そうと思っていた」「文で言わなきゃダメなんかな?と思った」「言えなくて悔しかったので、文法をもっと学びたいと思った」と「話す/言う」という視点での振り返りが多く、それぞれみんな自分が絵を説明する側に回った時のことを回顧して発言していたようだった。
つまり、この活動は「やり取り」の活動であったはずなのだが、リスニングの側面だったり、相手の相互理解の確認だったり、そういった部分についての振り返りの言葉が出なかった。本来出てほしい話題が検討会で出ない時、大きく二つ要因があるようにこの半期で感じていて、一つは「検討会参加者の振り返りの技術」もう一つは「模擬授業そのもの」である。
模擬授業の中には話題に取り上げたいことが沢山散りばめられていても、学生がそこを重要なポイントだと感じていないと当然そこへの言及は少なくなる。半期の間、それなりの数の対話型模擬授業検討会を重ねてきたが、まだまだそういう場面もあるし、私自身も後から「あそこ突っ込むべきだったかなぁー」と思うこともある。
一方、今回はどちらかというと「模擬授業そのもの」が原因だったかなと考えている。つまり、模擬授業内で行われた「やり取り」の活動が実際には「やり取り」らしくなっていなかったことによって、「やり取り」らしい振り返りが生まれなかったということだ。

1人が絵を説明してもう1人がそれを描いている場面、2人は向かい合っているので確かに「やり取り」しているようにも見えるが、多くの場合、お絵描き担当の人の手元を見ながら説明担当の人がペースを調整して順に説明していた。そこには少なくとも言葉でのやり取りはあまり起きていなかった。

とは言え、「2問目の方が難しかった」という生徒役の共通見解を出発点に、あるペアは「全部伝えよう!」と説明側が意気込んだのに対して、別のペアではお絵描き側が「聞き返した」と振り返った。つまり、一部の生徒の間では「やり取り」になり得る活動として機能していたと言える。
この「聞き返す」といった行為を授業全体で、多くのペアの中に生み出すにはどういう配慮・指導が必要だったのか、ここを掘ることができると「やり取り」の言語活動の深みが出そうだ。

書くか迷ったけど、書いておきたいこと

この日は学内の教員研修等を担当している先生にも授業を観に来ていただき急遽生徒役までお願いしたのだが、あの模擬授業を学部3年生が教員への相談も無しに行ったことには驚いていた。私も観察者として授業を見ながら「自分が3年生の時にはこんな授業絶対出来なかったな〜」と思っていた。
展開にものすごい仕掛けがあるとか、抜群の指導技術があるとかではないのだけど、授業が明確に構造化されていて、指導に無駄がない。教えることに一生懸命だと、どうしてもその日のテーマや指導目標に関連する事柄をあれこれ言いたくなるのだけど、彼女の授業にはそれが無かった。意図的に授業の構造を組んだからこそ、余計なものが入る余地が生まれなかった。
だからこそ、どちらかと言うと課題として見えたのは、その構造の中身の連関をより豊かに生み出すための指導・活動の順番やフィードバックの質だろうか。

ちょっと私と学生の「評価する者-される者」という側面を出し過ぎている気もするが、良い部分は今後の学生にも積極的に受け継がれてほしい思いもあるし、決して彼女の職人芸ではなく、多くの学生にとって助けになると思うので、あえて書き残した。

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