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中部地区英語教育学会で発表しました。

6月26-27の週末,中部地区英語教育学会に参加しました。
学部4年の時,信州大学で発表した時から(中止になった昨年以外)毎年参加・発表してきた大変お世話になっている場所です。

今回を含めて4回の参加で発表してきたのは,
「高等学校英語授業における生徒の英語使用の特徴 ―ディベート特有の対話構造の視点から―」
「英語教育におけるメタファー使用の役割」
「英語教員養成課程の学生による対話的な英文法の学び: 単純現在形の認知文法的分析を足がかりとして」
「高校英語授業における翻訳行為とそのメタ的意味付けの実践報告」


なんだか色々やってきましたが,「あなたは一体何の人ですか?」と自分でも思わざるを得ません。
基本的には学習者にとって意味のある英語教育に向かう道を模索し続けていて,一個の学術的な分野にこだわって何かをやるという感じでは今のところないということだろうと思います。
また認知文法っぽい実践をやるかもしれないし,最近は機能文法的な視点をもっと授業に取り入れたいなと思っていたりするし,学校で実際に教えている以上,その時々の目の前の生徒たち次第で今後も如何様にも研究は発散されていくんだろうなと。
「意味のある英語教育」以外には飽き性の自分を一箇所に繋ぎ止めておくほどのものには出会っていないとも言えるかなと思います。

今回の発表「高校英語授業における翻訳行為とそのメタ的意味付けの実践報告」の実践

なんかタイトルがやたらカッコつけていて,自分も事務局から当日に向けての連絡を頂いた時に「そんなタイトルだっけ?」ってなりました。

実践の中身としては,昨年度末あたりに高校2年生の特進クラス(7名)の授業で行った英日翻訳とその翻訳文の生成過程についての生徒からの振り返りです。
まず1時間目にスタンフォード大学卒業式でのスティーブ・ジョブズのスピーチの一部を日本語母語話者のために翻訳するという活動をし,その翻訳文を次の授業までに僕が全部読んで,次の授業でいくつかの気になる訳文について「ここはどういう意図でこの訳を選んだの?」という風に生徒に問いかけました。
その問いかけに対する生徒の応答を紹介した実践報告になります。

少しだけ実際の生徒の訳文とそれに対する説明をここにも載せておきます。

(原文) Right now, the new is you. 
(訳文) 今から,新しいものはあなただ。

この訳文に対して「なぜ"Right now"を『今から』と訳したの?」と問うと,以下のような答えが返ってきました。
えっとですね,Right now自体が「今すぐに」みたいな意味だと思って,「今すぐにあなたは新しいものだ」ってなんか嫌だなって思って,じゃあSteve Jobs今話してるし,これを話を聞いたから,聞いたら,あなたたちは今から,みたいな考えが生まれるから「今から」にしました。

これは原文の話者の伝えたかったことを想像して,そして聞き手の受け取り方も考察して生み出した訳文と言えます。

学校英語教育におけるコミュニケーション観の問題

学校英語教育で行われる「コミュニケーション活動」では,効率良く・効果的に目的を達成できる力を育てることを意図され,言語中心的な伝達モデルのコミュニケーション観に基づいており,コミュニケーションは発信側の力量次第と考えられており,これを仲(2017)は批判しています。

こういった状況に対する仲の提案としては,(1)調和的なコミュニケーションが成立しない空間
と(2)「コミュニケーションとは何か」を考える機会を授業で生み出すことです。さらに具体的にいうと,

① コミュニケーションの不成立に目を向ける
② 受信側に目を向ける
③ 居場所を与える

の3点が重要となります。

今回報告した実践は①と②を重視したものになります。
上で紹介した生徒の訳文とその説明から,生徒は"Right now"の訳を工夫する必要性を,工夫しなかった場合のコミュニケーションの不成立(あるいはより不完全な成立)を想定した上で,見出しました。
そしてそこには常に受信者側に対する意識があると言えるのではないでしょうか。

質疑応答・反省

今回は発表後に2点質問を頂きました。

一つは「英文の構成や語彙選択に関する教師側の知識や,それを基にした指導についてはどう考えるか」(一字一句覚えているわけではないですが,多分こんな感じ)でした。

もう一つは「今回とは逆に日英翻訳を通して英語のより深い理解に繋げる実践については何か考えているか」と。

一つ目に対して,
「今回の実践は生徒が自分の言語選択に対してメタに振り返ることを求めたものであるため,生徒の訳に対して『正しい』とか『こっちの方が良い』といったような価値付けをしなかった。」
とのみ答え,翻訳文や原文についての英語教師の知識の必要性や(英語力育成という面での)適切なフィードバックについては応答しなかったところ,「答えになっていますでしょうか」という「はい」を言わせるためだけの自分の質問にも「うーん,あ,まぁ,じゃあ,はい」みたいな感じでした。
後から質問の意図を振り返ってこの記事を書いている今ならそのあたりへの返答も何かできるかもしれませんが,この質問に答えている時にはそこへの言及は頭の中に浮かんできませんでした。

二つ目に対しての答えは具体的に何と言ったかあまり覚えてないのですが,答えたかった意図としては,
「原文の日本語を言語外情報も含めた文脈も汲み取りながら英語に翻訳するのであれば,例えば法助動詞の使用等は意味の暗記を乗り越えらえる」的なことです。
最近は法助動詞を,その主観を表すという機能に注目し,「確信度」の高さを数値化や図式化して表す教材も増えてきたと思いますが,その主観を表す機能を意識的・選択的に生徒が使う機会を設けることも併せて必要だと考えています。これは別に悪い回答ではなかったかなと自負していますが,どうだったんでしょう。。。

この二つの質問への答えが求められていたような答えであったかどうかは自分では判断しかねますが,今振り返って思うのは,当たり前ではあるけど「英語力を伸ばす」という観点からの質問が来たなぁ,ということです。

自分としては,「英語力を伸ばす」みたいなことを考えて行った実践ではありません。(とりあえず「英語力」を4技能に代表される運用能力とした場合)

まさに一つ目の質問の意図とそれへの答えが噛み合っていないことはこれに起因しています。
仲(2017)を引いたことや,序盤に英語科教育法関連の書籍で「訳」に対して否定的な見解が書かれていることを紹介したことも含めて,いわゆる英語力(4技能・運用能力)の育成とかとは別のパラダイムで授業を考えていますよというメッセージだったつもりなんですが,そういう観点での質問・コメントを引き出せなかったことで今回は自分の力不足を感じさせられました。

8月末の論文提出に向けて,また頑張ります。

文献情報

仲 潔 (2017). 「<コミュニケーション能力の育成>の前提を問う—強いられる<積極性/自発性>」かどや・ひでのり, ましこ・ひでのり(編著)『行動する社会言語学—言葉/権力/差別 II』 (125-151 頁). 東京: 三元社.

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