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求められる学習者像が強すぎる・・・

英語科教育法IV『外国語学習者エンゲージメント』の第2章後半「学習者の促進的マインドセット」の教師の行動の検討。

学習者の促進的マインドセットを育むための教師の行動として以下の5つが挙げられている。

  1. コーチのように考え、行動する

  2. 学習の進歩を可視化する

  3. 信念について明示的に話し合う

  4. 選択や意見を取り入れる

  5. 学び方を考える

毎回、報告担当者を立てているが、それ以外の学生にも事前に文献を読んで感想や疑問点、議論したいことを送ってもらっている。今回はその事前コメントから特に印象的だったものを引用させてもらう。

今回の章の教師の行動を読んで第一に感じたことは、ここで求められている学習者が、日本人の性質に合っておらず、あまりリアリティを感じないということだ。というのも、本章(理論的根拠も含めて)では何度も、「学習者が自由に発言し、教師はそれを快く受け止める」ことが重要視されているが、そもそも日本人の誰しもが、発言するための「意見」を持っているわけではない。また、あるにしても、それを積極的に発言する姿勢が(程度によっては)あまりポジティブな印象を与えないことを暗黙のルールとして共有していることもまた、そのリアリティの欠如につながっていると考える。
そして、これは個人的な意見だが、ポートフォリオやイグジット・チケットは、外国語学習にポジティブな印象を持って初めて学習者に影響を与えるのではないかと考える。それは、ポートフォリオから足跡を確認するのも、イグジット・チケットに「正直な」内容を書くのも、自分の学びに興味がある学習者だけしか行わず、そもそも自分の学習に興味のない学習者はポートフォリオを更新するだけで確認をすることもしなければ、イグジット・チケットに記入することだけを重視して、その場逃れの内容を書くにとどめるのではないかと考える。つまり、それらを学習へのエンゲージの動機づけとして捉えるのは少し無理があると考える。

学生の事前コメント(一部修正)

「日本人」と括ることの危うさや、そもそも日本の意見を出しづらい空気を変える可能性があるのはこれからの学校教育なのでは、という点は気になるものの、この学生の言いたいことは私にもよく分かる。
上に挙げた5つの教師の行動の中には「それはそもそも英語学習に対して促進的マインドセットを持っている学習者に対して、それを更に伸長するには効果的かもしれないけど、そうでない学習者に対して逆に辛いんじゃない?」と思うような部分もある。
私が個人的にそれを特に強く感じたのは「行動2 学習の進歩を可視化する」だ。学習の進歩を可視化しようとする際、(相当うまくコントロールしない限り)進歩していない時には進歩していないことが可視化されてしまうかもしれないというのが私の最大の懸念である。
「そんな甘っちょろいことでは、言語の習得なんてできない」と言われればそれまでなのだが、これってそんなに「甘っちょろい」のだろうか。
コンスタントに「辛い」「しんどい」と感じてまで、義務教育で外国を学ばなければいけない理由はどこにあるのだろうか、とナイーブな私は思ってしまう。
結果だけ見て「あー、進歩してないな」と思うのが辛いだけでなく、何かをやらされるタイミングで「絶対進歩してないんだよな」と思わされることも辛い。大人だって「TOEIC今回の受けようと思ってたけど、勉強する時間全然取れなかったから今度にするわ」とか普通にするわけで、それは評価に晒されるのであれば自分にその準備が整った時がいいという思いからだろう。
逆に、評価されるタイミングを学習者が自律的に、あるいは教師との民主的な話し合いの末に決めることができるのであれば、「進歩を可視化する」こと自体はそんなに筋の悪い提案だとは思わない。

「外国語学習」の厳しさを考えれば確かにそれなりのストイックさは必要な時もあるだろうし、伸びない時期も耐えてやり続ける力も必要だろう。
そのために教師は「ティーチング」だけでなく「コーチング」のスキルを身につけることが必要だということにも現時点で私の中に異論はない。
しかし、「コーチング」が語られる時、そこには「強い」学習者像が想定されすぎている感は否めない。
本章ではコーチングの有名なモデルの一つとしてGROWモデルが紹介されている。
1.目標(Goal) は何か。
2.現状(Reality) はどうか。
3.選択肢(Options) は何か。
4.何をする(Will) か。

の4つのことに注目してコーチングをすることが重要だという。

目標を持ち、現状を見極め、学び方を決め、実際にそれを行う。
まさに「自律的学習者」と呼ばれる類の学習者像がそこにはある。
そんな学習者を育てたいという気持ちは私にも確かにあるし、学生らも「そんな生徒を育てられたらいいなぁ」と素朴には思うだろう。
しかしその一方で「そんな学習者そんなおらんやろ」という気持ちがあることを否定するのは難しい。
自分自身の教育観を揺さぶるようなジレンマに対して、彼女らがそれぞれどんな風に折り合いを付けていくかというのは、実際に学校現場に出て、モヤモヤしながらもがいた後でも遅くない。

最後に、学生の振り返りから、このGROWモデルに関連する部分を引用させてもらう。

議論ではティーチングよりもコーチングに焦点を置き換えることが大切とされている中でGROWの中でも特にGに注目させることも特徴的な事柄として挙げられていた。人生の枠組みに該当させた目標が役立ち効果があるのではないかと考えられているからである。またGを上手く考慮できない生徒に対しては聞く姿勢を怠らず視野を拡大させることや英語を幅広い範囲で利用させるような視点を獲得させるように試みることも大切ではないかと論じられていた。

学生の振り返りより一部抜粋

「目標」を外国語学習の目標に留めず「人生の目標」まで広げ、そこから外国語を学ぶ必然性が見出されることもあるだろう。そして、今回の授業の中では、目標を持たない生徒の中には外国語学習の目標としてどんなものが設定可能なのかが見えていないだけの生徒もいるのではないかという議論もあった。受験や検定試験の合格だけが外国語学習の目標でもないし、海外で働くことだけでもない。外国語学習の先にある様々な可能性に日々触れさせることの重要性を提示してくれた貴重な意見だった。

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