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週報自分_220620-220626_「思いっきり遊ぶ大人」をしました

はじめに

このnoteの無料部分では、僕が日々なんとなくやっている『糸井重里さんの「今日のダーリン」を読んだ感想文』が見れます。
また、有料部分は僕個人のWeeklyになっていて、普段から色々な場所に行ったりして感じたことが書いてあったりします。

今週の雑感

焚き火というものの効用みたいなものを感じてしまいました。
オンラインコミュニティのオフラインイベントのオフラインイベントみたいなプロセスを経て「友達」みたいな関係性になっていくのかもしれませんね。

今週の「今日のダーリン」を読んで

6月20日

『「畳の上の水練」という言葉は、泳げるようになるためにいくら教科書を暗記しても無理だという意味』
『練習のための練習じゃなくて、実際の「本番」の場がものすごく重要』
『糸井重里さんの仕事は「真剣」を使わなきゃならないような「水」のような場所を作ること』
という言葉を拾いました。

よく「現場たたき上げの人間」みたいな言葉を使うように感じます。
「現場たたき上げ」というのは、それこそ座学よりも現場での実習みたいなものを潜り抜けてきた人に付けられたりします。

ただ、大人になって会社組織へ所属している期間が長くなってくると、会社の上の人たちは一撃で叩き折れてしまわないような強度の課題が目の前に現れるような調整をたくさんしているのだろうなぁと思います。

あれこれ考えてみるより、やってみた方がだいたいのことは簡単だし、次にどうすればいいかもわかりやすいので僕はまずちょっと考えてみて実行できそうであれば一旦実行してみることにしています。

そうすると、僕の通ったルートが道みたいになって、後から続く人も同じような場所では躓きにくくなるように思います。

6月21日

『演奏がうまくなりたいなら、「ひとりでもふたりでもいいから、お客さんの前で、お金をとってやることだ」』
『「上達」とか「向上」をするためにどういうふうに「練習」ではなく「本番」をやってきたかを思い出してみる必要がある』
『小説家であろうが、俳優であろうが、みんな「本番」の舞台を繰り返しているだけ』
という言葉を拾いました。

僕も新卒で今の部署に配属されて、いきなり「本番」しかなかったように感じます。
わからないなりにわからないことを理解しようとしてどうにかしていくようなことが本当に多かったように感じます。

いきなり自分より若い人の人生を変えてしまうようなことをするようになって、大なり小なり怒られるようなことや迷惑をかけるようなことをしてきて、その度に「だってわかんないんだもん!」とか思いながら「いや、でも僕がわからない事なんて関係ないんだよな」と思ってナニクソと思って無我夢中だったりなんとなく楽しみながら今まで仕事をしてきました。

そういう経験が確実に今の自分を作ってると思うと、あっちこっちで転んだり打ったりしてきたことも自分を作る経験なのだろうなと思いました。

回り道も、道なんですね~

6月22日

『昔のトマトなんて、ほんとにほんとうにうまかったか?まずかったぞう、とか乱暴に言ってみたい気にもなる』
『土井善晴さんの言う「まずくないもの」をつくる尊さ』
という言葉を拾いました。

僕にも昔のものだったり古きよきものを鵜吞みにして「良い!」と思ったりしていた時期がありました。
正直なところ、たぶん今もその側面が強いように感じます。

しかし、今年の頭くらいからワイン蔵さんに手伝いに行ったりするようになってから、「いや、別にそんなことも無いぞ!?」と思うようになりました。
いわゆる年代物のワインにもピンキリがあるんですね。

つまり開栓したり本番を迎えたりしてみないと本当の価値であったり有用性みたいなものはわかりっこないのだろうなと思います。
だって価値や有用性みたいなものは主観的な感情が大きく作用しますもんね。

という訳で、「ネガティブな評価をいかに高確率で回避するか?」みたいなものが安定性というか安定感みたいなものに繋がっているのだろうなぁと思います。

あえてブレを楽しむのも「楽しさ」なんですけどね

6月23日

『カメラの数が増えれば自然と写真の数も増え「わざわざ写真にするまでもない」くらいに思われていた場面やら時間やらが、記録されて鑑賞されることにもなってくる』
『「ばえ(映え)」という価値観も写真で撮るようになったせいで生まれたものでしょう』
『しかし「鳥」の写真は「増えてない」』
という言葉を拾いました。

全体量として増えたものの中でも増えてないものがあり、それにもしかすると可能性があるのかもしれない
と読みました。

公衆の蛇口だったり水飲み場みたいなものはたしかにどんどん減っていってるように感じます。
公園に行っても、砂場はあるのに手洗い場がなくて、どろんこで帰る子どもの姿をたまに見かけたりします。

もちろん、水は無料ではないので、出しっぱなしにされたりちょっとした以上の利用をされたりすると設置して管理している人は頭を悩ませてしまうと思うので、いっそ無くしてしまおうみたいな考え方は理解できるのですが、それで子どもたちが「汚れるし砂場で遊ぶの止めとこ」みたいになってしまうのもどこかさみしさがあるなと思います。

システムの管理とサービスのバランス、難しいと思いますが、僕はわりと寛容な感じでやっていきたいなと思います。

6月24日

『「人は忘れてしまう」ことを忘れないでいながら、どんな手伝いができるかを考えなきゃいけないと思った』
という言葉を拾いました。

忘れないぞ!とどれだけ心の中で決心をしたとしても、それを自発的に思い出したり、外発要因で思い出したりしないとやはり徐々に記憶の奥底に潜っていってしまうように思います。

それは良い記憶も悪い記憶もきっと同じなように思っていて、逆に言えば、良い記憶を思い出したいなら思い出すきっかけをたくさん作っておくようにすればいいし、悪い記憶を思い出したくないのであれば、なかなか思い出せないような複雑な部分だけを意図して覚えようとしてみたりすると良いように感じます。

こういう事を書いてみた結果、結局、自分の中で記憶をどのようにかみ砕いて解釈するかに大きく影響されるのだなと思いました。
記憶の解像度が上がればもしかしたらなかなか忘れにくいのかもしれません。

解像度を調整するためにはどういう操作をすればいいのでしょうね?

6月25日

『ジムのトレーナー曰く、硬いとか痛いとかいうのは、おおざっぱにいえば筋肉を使いすぎているか、使わなすぎてる状態』
『「思考のこりや痛み」も、あたまやこころのどこかを、使いすぎたり使わなすぎたりしているせいじゃないか』
『糸井重里さんは、自身の「情操の時間」が必要な気がしてならない、と思っているそうだ』
という言葉を拾いました。

僕は昨日、今日と東京で仕事があったのですが、ことごとく「情操の時間」だったように思います。
もちろん仕事はしっかりしたのですが。

考える行為と実際に身体を動かす行為というものは相補的な存在であるように感じます。
考えるという行為をした後に身体を使って検証して、そのデータを基に再度考える、みたいなことを繰り返すことが一番健康的なように思います。

僕のこの文章も、普段から割とたくさんの情報を頭の中に入れてはいるのですが、それのアウトプットをあまり意識してできていなかったなと思ったところから始めました。

いざ始めてみると、こういうTwitterよりも少し長いくらいの量の感想文みたいなものを書くコストは明確に下がったように感じます。

次は読書感想文や書籍レビューみたいなもう少し長い文章を書けるようになりたいなぁと考えています。

やることがいっぱいあって楽しい

6月26日

『糸井重里さんの興味は「真剣」の話ばかり』
『残しておきたい「思い」は「ちゃんと感じる」ことのほうが大事なのではないか』
『いいカメラがいいレンズを持ってるように、人間にも、明るくて感度のいいセンサーが欲しくなる。これは、「思い」の経験で磨かれていくのかもしれない』
という言葉を拾いました。

今月はそういえば「感情」みたいなものにフォーカスが当たった月だったように感じます。
たまたまそういう感じの本を読んだからな気がしたりするのですが、せっかくなので運命みたいな感じにしてみようと思ったりしています。

僕自身はわりと自分の感情に正直な人間だと思っています。
喜怒哀楽それぞれの感情のバランスは均等ではないかもしれませんが、だいたい楽しかったら笑って、ムカついたら怒ったりしています。

感情も「思い」みたいなものなので、それを感じた時にしっかりその感情を出し切れるようにしておくと良いのかなぁ?と思ったりしています。

まぁネガティブな感情は出しにくかったりすると思うんですけどね

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大阪で音楽関係の仕事をしています。 アニメや漫画、TVゲームからボードゲームまで広く遊びが好きです。