見出し画像

Weekly自分_221017-221023_このnoteは600km旅をしてきました

はじめに

このnoteの無料部分では、僕が日々なんとなくやっている『糸井重里さんの「今日のダーリン」を読んだ感想文』が見れます。
また、有料部分は今週気になった情報のリンク集になっています。
特に気になったものは所見みたいなものも書いてあるので気になる人はぜひ購読してください。

今週の雑感

金曜日から地方都市のリサーチの仕事があって日本海側の都市を津々浦々してたのですが、やはりコロナで色々と街の雰囲気が変わっていたりしてなかなか刺激の多い週末を過ごしました。
びっくりする時間、電車に乗ったりして移動していたので、これもちゃんと日曜日に書き終えることができました。
スマホでの更新も、やろうと思えばできることがわかったので、どんどんインスタントに書き上げれるように身体が適応してきている気がします。
こういうのってじんわりと嬉しいですね。

今週の「今日のダーリン」を読んで

10月17日

『捨てるのも、売るのもうれしくないけど、あげるのはいい』
という言葉を拾いました。

唐突な話をするのですが、今年の僕のテーマは「ついで」という言葉です。

これには理由があって、小川さやかさんの『チョンキンマンションのボスは知っている』という本を読んでいて感心した言葉だったからです。

あいまいな関係性の中で何かをやろうとするにはちょっと結果が読みにくいな~というものでも何かの「ついで」であればまぁ許せてしまったり、いつも何かしらの「ついで」を持っておくと、自分でも思わぬリンクが生まれてしまったりするような気がしています。

いよいよ来週の中頃から僕は旅に出るのですが、付いていく人が本当に「ついで」を考えるのがとてもうまい人なので、どういう内容になっていくのか本当に楽しみです。

ちょっとプライベートもバタバタしちゃうんですが、頑張っていきましょう!

10月18日

『人のまちがいにもなるべくゆるい態度でいよう』
『許すとか許さないとか、そんな審判みたいなことをわざわざ言わなくてもいいじゃないかと思う』
『「わたしはそれをしないだけ」という反論は、わりと有効』
という言葉を拾いました。

「他人のミスには寛容でいよう」
いつどんなときもそう思えるといいなぁと思うのですが、自分に余裕がなかったりするとついつい語気が強くなってしまったりします。
基本的にだいたいのことはどうでもいいしどうにかなると思っているのですが、やはり余裕がないときにはどうでもよくないしどうにかならなかったりするのだなぁと思います。

余裕がないときでも日々やるべきことみたいなものは積もっていくような気もしていて、なんとかかんとかやっていかないとどうにもならないみたいな状況もあると思うのですが、僕はそういう時は簡単にできそうなことから処理してみることにしています。

そうするとなんとなく時間が経ってくれて、さっきまで固いと見えていたタスクが少し柔らかく感じれたりするように感じます。
要は受け手側のニュアンスだけなのかもしれませんね。

10月19日

『えっ、世の中の人は眠くないのに寝るのか?』
『だれもじぶんの謎が知りたくて、星座とかを気にするのかな』
という言葉を拾いました。

「じぶんの謎」という言葉を自分なりに受け止めて考えてみました。
僕は普段あんまり悩まないのですが、ちょっとめんどくさくなってしまったことをすごく長い時間放置してしまったりしてしまいます。
その理由を自分なりに考えてみたのですが、「興が乗らないから」な気がしています。

タイミングを逃してしまうとどんどん興が乗らなくなっていってしまうような感覚があって、それがどんどん時間が経つ原因になったりしているなぁと思います。

そんな感じでまだまだ自分のことがわからないまま歳を取っていってしまうのですが、これからどういう謎が明らかになっていくのか、とても楽しみだったりします。

10月20日

『「みんなおいでよ」というとき、じぶんはどこにいるか?』
『ドラマにすると悲劇ばかりが浮き彫りになりますが、』
『『休み休みにばかをやる方法』という本があったら』
という言葉を拾いました。

「いこうよ」と「おいでよ」のニュアンスの違いはおそらくその物事やイベントへの関与度が決めるように思います。

僕は「どうせなら中に入って楽しもう!」と思う人間なので、いつも何かしら運営側だったりコンテンツ提供側だったりで物事やイベントに参加しているように感じます。

「ばかも休み休み言え」と言われたことはないのですが、忙しさにすりつぶされそうな時に余計な思考をせずただ手を動かすことに特化してる時に脳みそを一切介さない会話を同僚たちとしたりするのですが、あの時のヒリヒリ感というか、おふざけ感がとても面白くて好きだったりします。

一度は言われてみたい「ばかも休み休み言え」

10月21日

『どういう問題に、どう答えるのか。それを解いて考えているうちに、できることが増える。』
『新人のうちは、問題が見える場所に立たせてもらえない。そういうことがけっこう多いらしい』
『「ほぼ日」の場合は、新人でもベテランでも、
同じ場にいて問題を探したり、解決したり、
それを発展させたりしていて、とんちんかんだったら恥ずかしいとか、場をわきまえて静かにしてようとかのほうが反則』
『実践が練習問題で。難問が開発で。行き止まりが飛躍』
という言葉を拾いました。

最近、「どうやって若い人を打席に立たせる回数を増やそう?」ということに悩んでいます。

もちろん会社的な課題でもありつつ、差し迫っては僕の体力の低下だったり「人生における家庭の比率の増大」みたいなものがあるからです。

そりゃいつまでも自分が出ていってこれまで通りの関係性でこれまで以上のセッションというかコラボレーションみたいなことができるといいんでしょうけど、それは「仕事」の側面であって僕には「家庭」という側面もあるんだよなぁ…ともどかしい感じになったりしています。

今はまだ「デジタルツイン」と呼ばれてるような概念も、いつか実態を伴って本当に僕が二人いるみたいなことができたら「仕事」に「家庭」に100%力を注げたりするんでしょうかね?

僕が二人いると食費掛かりすぎて妻に怒られてしまいそうですけど…w

10月22日

『必死で生きよう戦おうとしている人は、「なんにもできない」ところでも、「なにかができる」。をしている。』
『目の前にある条件から「いまできること」を考えて、「実行する」というのは、ほんとにかっこいい。』
『いつも「なにかがたりない」と言ってると、はじまらないよ。』
という言葉を拾いました。

ひとまずできることから始めてみる
ということを僕は大事にしています。

必要(だと自分が思っているよう)なものが全部揃うのを待っているとだいたい時期を逃すような気がしているからです。

高校生の時に通っていた塾の先生が「チャンスの神様は裸で前髪が3本しか生えてないから見つけた瞬間に手を伸ばさないとダメだぞ」と言っていたことが本当に心に残っていて、それ以来多少図々しいと思われようとも自分がやりたいことがあったらまずは手を挙げてみたりしています。

日本の組織は失敗が許されないような感じもありますが、それ以上に身内に甘い組織な気もしていて、そこに大いに甘えて行動しているように思います。

ケガで済むなら行けるとこまで行ってみようよ
みたいな感じです。

10月23日

『サイコロの出目で偶数が何回も続いた状況で「もうそろそろ奇数がでるんじゃない?」とか、「これは偶数に勢いがあるから、また偶数だよ」とか、本気で考えちゃうのが人間ってもの』
『事実にしっかりと足をつけて、そのうえで、「不思議だけどホントなんだよ」的なおもしろい話を、たのしめばいいんだと思う』
『「知り合いの友人の実話」などが、重きを置かれすぎです。』
という言葉を拾いました。
今回の糸井重里さんのエッセイは「余白の楽しみ方」みたいな話なのかな?と思いました。
何かの本で読んだのですが、人間は事実をありのままに記憶することが少し苦手なので、あえて物語にすることで記憶しやすくしているのかもしれないそうです。
ただ、最近はどうもその「物語」みたいなものが軽く見られているような気がしています。
医療などは物語のように一人一人解釈が変わってくるものを前提にされてしまうとおそらくとんでもないことになるのだと思うのですが、それ以外の別に誰も不幸にならなさそうなことにまで事実というか証拠のようなものを求める人が増えてきているように感じます。
自然を見にいくのも、都会に遊びにいくのも余白であり、その余白を自分や誰かが活用することでそれぞれのものごとの間で横断みたいなものが生まれるのかもしれないなぁと思います。
見事にまとまんなかったね!

以下有料部分

さて、ここから下は購入者限定になります。

内容は今週の気になるトピックに関してだったり、ネットサーフィンしてて有用だなと思ったリンク集になります。
気になる人は100円で僕が飽きて更新を止めるまでは新しいものも見放題なので買ってみてね!

ここから先は

972字
日記の下部にその日に見つけた良さそうな記事のURLを貼っています。 だいたいゲーム関係のURLですが、たまにTechから雑学までよろず載せます。

備忘録代わりに日記を書いています。

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

大阪で音楽関係の仕事をしています。 アニメや漫画、TVゲームからボードゲームまで広く遊びが好きです。