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Weekly自分_220905-220911_高知にいて更新が遅れました

はじめに

このnoteの無料部分では、僕が日々なんとなくやっている『糸井重里さんの「今日のダーリン」を読んだ感想文』が見れます。
また、有料部分は今週気になった情報のリンク集になっています。
特に気になったものは所見みたいなものも書いてあるので気になる人はぜひ購読してください。

今週の雑感

高知県に来ています。
およそ5年ぶりくらいの高知県な気がしていて、変化を楽しみつつ前回の記憶を回収したりして街をリサーチしています。
こういう風な行動ができるまで新型コロナウィルスの脅威は収まってきているのかな?と思った矢先に、身近なところでプチクラスターみたいなことが起こったりしていて、まだまだ油断はできないなぁと思ったりしています。

今週の「今日のダーリン」を読んで

9月5日

『「あいつ、どうしているかなぁ」という気持ちは、なんだかとてもいいものだ』
『ぼくらは、仕事でも人間関係でも、大事そうなことだとか、必然性のあることにばかりに気を取られている』
『「いまそこにないもの」のことを考えるというのは、とても人間的な、人間にしかできないことだと思う』
という言葉を拾いました。

「あいつ、何しているかなぁ」と考えた時に、すごく昔に自分が声を掛けた人を思い出しました。

その人はとても快活で普段から色々なことを考えていて、何かを質問するときちんと自分の中の言葉の中から彼なりの答えを伝えてくれるような人でした。

そんな彼が有名になってしまってもう1年くらい経っています。
ふと思い出して、当時彼と一緒に作業をしていた時の作品を見返したりしてみると、今をときめく(こういう表現は古いのかもしれませんが)あの人が参加したりしていて、やはりしっかり考えて行動している人のやることには何かしら意味があるのだなぁと思います。

9月6日

『前橋ブックフェスの考えの基本は「本を眠らせておくのはもうやめた」』
『本の「片付けの魔法」は、たぶん本の血の巡りをよくする』
という言葉を拾いました。

新型コロナウィルスが流行してから、家にいる時間が増えたので僕も本を読むようになりました。
その中で、たしかに「2回目は読まないかなぁ」という本があります。
そういった本を置いておくよりも、他の誰かに受け渡してあげることで何かが生まれるのかもしれないなぁと今回のエッセイを読みながら考えていました。

電子書籍の本も買うのですが、電書だと露骨に読まなくなるわりに積読も可視化できないので、どんどん自分のkindleの中に本が積まれていくように思います。

これからもっと技術が発展したりすると、電書も人に渡せるようになったりするのかなぁ?と思ったりしますが、たぶん著作権の関係でなかなか難しいのだろうなぁとか思います。

さて、今日は積読を消化します。

9月7日

『「おいしいものを、おいしく食べる。」ができている人は大変な幸せもの』
『「おいしいものを、おいしく食べる」にはおいしく感じられる健康とおいしく食べられる環境がある必要がある』
『やっぱり、人間がいちばんほしいのは「幸せ」』
という言葉を拾いました。

幸せと言ってしまうとなんとも大そうな感じになってしまいますが、おそらくありふれた日常のなかでじんわり感じるような感覚が幸せなんだろうなぁと思います。

そう考えると、幸せというものはある日いきなり湧いてくるということはなくて、日々の積み重ねの中の少しの差異の蓄積の末に湧出するものなのかもしれません。

ふとSNSを見てみると、多くの人が幸せを探しているような気がしています。
ただ、インターネットは実物を伴っていない世界なので、どうにも多くの人が探している幸せみたいなものは無いように思ってしまいます。

それにおそらく多くの人が気付いているのだと思うのですが、どうにもなかなか日常と流れの圧力みたいなものが強いようで、普段と同じ日常を過ごす流れでSNSに転がっていないはずの幸せを探してしまうのかもしれません。

わかっちゃいるけどやめられないってやつなんでしょうね

9月8日

『紙とペンがあることは、記憶の置き場があるということ』
『「記憶してあること」と「記録してあること」と、「いま自由に思いつくこと」を知的に編集してるから、ぼくやきみの「いい考え」が生まれているのである』
という言葉を拾いました。

そろばんをやってきた人は頭の中にイマジナリーなそろばんがあるそうです。
なので、急な計算をするときに頭の中のそろばんを使って計算することで計算を正確に行うことが可能になっている。
みたいな話を聞いたことがあります。

ファスト&スローはちょろっとしか読んだことないのですが、先月読んだ才能の科学という本にも似たようなことが書かれていたように感じます。

人間は普段からわりと高度な処理を無意識に行っているそうで、その処理範囲を拡げていけると、勉強やスポーツの成績が上がったりするそうです。

たしかに私たちは普段の呼吸のときに「どれくらい吸ってどれくらい吐くか」やお箸や器を「どれくらいの力で持つか」なんて気にしないように思います。
それもきっと小さいときから日常的にやってきたことが積み重なって無意識にできるようになったものなのかもしれないなぁと思います。

その本で「あがり」の原理も説明されていたことを思い出しました。
マシュー・サイドさんの『才能の科学』という本です。

9月9日

『「まちぼうけ」という歌が糸井重里さんは好き』
『なにかの偶然で「うまくいったこと(切り株)」を、じっと見つめたり、掃除したり、増やしたり、そんなことばかり、よくやってるではないか?』
『おそらく、切り株のほうは趣味にしてればいいんだろう』
という言葉を拾いました。

似たようなことわざに「柳の下のどじょう」ということわざがあります。
ついつい偶然うまくいった味が忘れられなくてもう一度繰り返してしまい、良い結果が得られなかったから「あのブドウは酸っぱい」と捨て台詞を吐いたりするのは世の中の常なのかもしれません。

どうしてことわざにもなっているようなことを我々は繰り返してしまうのか、その真相を探しにアマゾンの奥地へ飛んだ…なんて壮大な物語はないのですが、たぶん棚から出てきたぼたもちはひとしおに美味しく感じるからな気がしています。

そういえ、入ってくるものよりも出ていくものの方が理由を考えたり気持ちの整理がしやすかったりするような気がします。
そんなこともないか。

9月10日

『こんなに目を開けてなにか見ていることは必要なのか』
『目を閉じよ。そして、思え。なんなら眠れ。健やかに。』
『小さなふくろに象は入らない。もし入れても出られないし』
という言葉を拾いました。

高知でカレーを食べていたのですが、ものすごくよくできているカレーでして、スパイスカレーの本場である大阪でも絶対に通用する味でとても驚きました。

店長さんに話を聞くと、もともと大阪の箕面という場所で生まれ育ったが「ものが多すぎて考えが色々移ってしまう」という理由で高知に移住されたそうです。

なんだか今回の糸井重里さんの話と通じる何かを感じてしまったりしました。

高知にはまだ明日までいるので、色々と見て回ろうと思います。

9月11日

『日本人の会話というか情報交換の1%くらいは、「年齢」にまつわることではないだろうか』
『糸井重里さんがほぼ日をはじめたのは49歳のとき』
『40だとか50だとかは、スポーツ選手でもないかぎり、なにかすることにまったく差し障りはないし、60歳くらいからは徹夜はできなくなってくるが知恵でカバーでき、いよいよ65歳くらいから衰えが見えてくる』
『あたらしいことがやりたいうちは、大丈夫』
という言葉を拾いました。

僕もけっこうな流行り廃りがあるものを扱う仕事をしているので、「30歳くらいでもう引退でしょ!」とか思っていたりしていました。だって20歳くらいの人と30歳くらいの僕は干支がひと回りくらい違っていて、さすがにこれだけ離れていれば学校の休み時間の使い方や、よく見るテレビ番組、どこから情報を得ているかなんてものはことごとく変わってくると思っていて、いよいよ話が噛み合わなくなってきそうだぞと思ったりしていました。

しかし案外そんなこともなく、まだなんとか必死で世の中の流行り廃り、カッコいいカッコよくないに喰らいついていけているように感じます。
これはまさしく知恵や経験の力でカバーしているのだろうなぁと思います。

とは言え、さすがにそろそろライフステージ的にも時間の配分が難しい状況が出てきたりするので、やっぱりそろそろ若い人に現場を任せていくか、あんまり移動をしたり時間を使ったりしないことをしっかりやる方向にシフトしていくのもいいのかもしれないなぁと思ったりしています。

でも動きまわるの楽しいんですよね。

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