良いと悪いの間で:答えを保留し、探求する
「ナチスは良いこともした」という言説は日本(のネット空間)で特に多いという話を聞いた。そして朝日新聞の【差別意図しない「不安」にどう応える トランスジェンダーの日常とは】の記事を読んだ。この記事内ではトランスジェンダーへの<女性の不安>を煽っているのが自民党内の保守系議員・保守的論者であることが指摘されていて良い。
記事内の松岡宗嗣さんのコメントにあるように、問題は「不安や対立をあおっている人たち」であることは間違いない。ありもしない問題をことさら問題だといって不安を煽ってどんな見返りをほしがっているのかを考えるべきだと思う。
さて、冒頭で2つを並べたのは、どちらも「見たいところだけ見る」ということの結果だと考えたから。「見たいところだけ見る」という行為が危ういのは、それが事実誤認、事実からの誤った解釈、論理の飛躍をもたらすからだ。
そして「見たいものだけ見る」ことと、良い/悪いという単純な二項対立が結びついてしまっているのが最近の特徴だと思う。
粗い解像度で理解したような情報だけをもとに、良い/悪いを判断し、断罪したり、激しく賛美したり、あるいは問題の悪しき側面や検討すべき点を無視したりする、そんな態度が溢れているように感じるのだ。
良い/悪いという価値観の解釈
そもそも、良い/悪いというのはとても扱いにくい価値観だと思うし、ましてやすぐに判断するようなものでもないと思う。
事実や文脈、背景を学び、理解し、解釈し、検討してやっと、自分は良い/悪いと思うといえるようなものなのではないか。そして特に強調したいのは、良い/悪いというのが適さない場面の方が多いのではないかということだ。
「私はこう思う」ということと、良い/悪いを分けることは可能だし、むしろ分けたほうが、「私はこう思う」を訂正しながら学ぶことで、その課題に対して深く探求していけるはずだ。
その過程で、例えば冒頭のナチスの話で言えば、「専門家の中で意見が確定して、そのような解釈は否定されていること」とか、例えば「アウトバーンの建設で失業を解消した」というのは、事実としてはアウトバーン建設で減った失業者はごく一部で、むしろ軍需産業が雇用を担ったのだ・・・みたいなことがわかる。このように探求していくという行為は、一見「意外な事実」として伝えられて思わず「知っている」ことを誇りたくなるようなことに対しての事実や、専門家の意見を知っていく過程になるはずだ。
探求し、考え続ける中で、自分の信じたいものと事実をすり合わせていくこと、専門家の見方を取り入れて訂正し続けていくこと、このような態度こそ、学ぶという行為に求められることなのではないだろうか。
そして、良い/悪いの判断の前に、ためらうことも大事なんじゃないかと思う。良い/悪いを決めるという行為って、すごく重い価値判断だと思うのだけど、その前に生じる、迷う、ためらうみたいな気持ちを大事にしたい。
実際、誰の意見も参照できないような環境で、「お前はどう思うんだ、良いか悪いかお前の価値観を示せ」って尋ねられたら、ひるむ人も多いと思う。だけど、ネットだと誰かの意見にすぐ乗れちゃうから、簡単に言えてしまうんだよね。この、実際面と向かって「お前はどう思うんだ」を尋ねられたらひるむっていう感覚を忘れずに、いろいろな情報と向き合えば、もう少し考えようと思うかもしれないし、保留しようと思えるんじゃないかと思う。
意見形成に向けての慎重さ
もっとちゃんと考えようよって思うことが多すぎる気がする。意見を言うとか、考えることって、もっとびびりながら慎重にやるもので、もっと自分一人の中にいろいろなモヤモヤがある状態を大事に取り扱っていって、どんな場面でも、「仮留めである」ということを注釈しながら、かろうじて言葉にする、そういうふうに、自分の中にある言葉を外に出していくのが良いんじゃないかと思う。
この文章を書くきっかけになったもの
今回のnoteは、もともとTwitter(・・・もといX)に書いた文章を、若干修正して掲載しました。この文章を書くきっかけになったのは、ラジオと新聞記事でした。
「ナチスは良いこともした」という話題については、TBSラジオ「荻上チキ Session」のこちらの特集をぜひ。
甲南大学教授の田野大輔さん、東京外国語大学大学院准教授の小野寺拓也さんと考える『検証・ナチスは「良いこと」もしたのか?』
岩波書店から刊行されている『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』は、7月末に重版され、在庫が十分にあるようです。岩波ブックレットという、うすい冊子シリーズの1冊なので買いましょう。
冒頭に引いた新聞記事はこちらです。
朝日新聞の記事【差別意図しない「不安」にどう応える トランスジェンダーの日常とは】
合わせてこちらも記事も広く読まれると良いと思う。
トランスジェンダーへの「素朴な疑問」 背景にある権力の勾配:朝日新聞
おしまい。