見出し画像

上っ面なラベリングが起こす弊害

 中学生と何気ない話をしている最中に、女子中学生から、「先生は彼女っていないんですか?」と聞かれ、彼女も奥さんもいない身ではあるものの、「彼女いません!!」としょうもない言葉遊びをしてしまった、コミュニケーションが苦手なカウンセラーのタカタです。年配の先生から、「先生はイイね。私ぐらいになるとそれも聞かれなくなるから。」とよくわからないフォローをしてくれました。

 さて今回は、最近話題?の、HSP(Highly Sensitive Person)という概念を、ある支援者から聞き、自分なりに調べて思ったことを書いてみようと思います。「上っ面なラベリングって危ないよね」という話。

 この話は、HSPという言葉を否定しているわけではなく、支援者がその言葉を使うことで”支援に役に立っているのか?”という視点で考えないといけない、ということです。

参考にした記事は↓です。

 HSPの概念は上記の記事を見ていただいた方が分かりやすと思います。少し記事内のコトバをお借りして説明すると・・・(すみませんが、勝手につぎはぎしているので、詳しくは上記の記事にて。)

 私たちは、ある性質の環境に置かれたとき、その受け取り方や反応の仕方(感受性)に個人差がみられます。HSPとは「環境感受性が非常に高い人たち」のことを表すラベルあるいはカテゴリです。環境感受性とは「ポジティブ・ネガティブ両方の環境刺激に対する処理や登録の仕方の個人差」を表す概念です。環境感受性は誰もがもつ普遍的な性質であり、高い人から低い人までグラデーションがあります。
 環境感受性が高い人たちですので、HSPは「生きづらい人」「弱い人」ではなく、「良くも悪くも環境から影響を受けやすい人」として説明されます。

 つまり、HSPは、環境との相互作用で生じる様々な感受性で、誰もが持っている特性のなかで、非常に高い人たちであり、弱い人ということではないということです。
 研究者の中には、カテゴライズすること自体、本質をとらえていないとする人もいます。つまり、HSPは、障害(disorder)ではない、また、生きづらい人、弱い人というカテゴライズではないことを注意しなければならないと、私は考えました。

 HSPという概念が出てきた背景として、①生きづらいという漠然とした不安が解消される、②発達障害というインパクトが強い言葉ではなく、生きづらさを表現できる・・・など根本としては、「生きづらさ」に起因するのではないかと思います。私もそうですが、自分の良さを分かっているものの、環境との相互作用によって、弱さが際立ってしまい、それが生きづらさにつながっていると思っています。

 HSPしかり、発達障害しかり、自分の生きづらさを表し、適切に分析して支援すの材料にする。それからより良い生活、活躍できる人材にすることが重要であって、ラベリングすることが目的ではないと考えます。

 世に出回る、HSPチェックリスト、発達障害チェックリストを安易に支援者や当事者が使用し、安易にカテゴライズし、本質を見失うことが一番危険ではないでしょうか。

 HSPチェックリストに出てくる特性は、他の生物心理社会的要因で説明できるものばかりではないかと考えられます。重要なのは、その人の「生きづらさ」に焦点を当てて、適切にアセスメントし、支援につなげることが重要ではないかと考えられます。

ps.参考記事内にも書かれていますが、HSPあるあるは妥当性に欠けることが多いので、使用される際は慎重に。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?