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お世話になった人へ。

近年、年賀状は減りつつあるのではないだろうか。
やれ「紙がもったいない」や、「毎年送るのが面倒だ」「年賀状が届いたら返信しなければいけない」などなど。

年賀状の必要性が問われている。

私は、そんな年賀状というものはとても大切な"感謝の形"だと思う。
つまり、必要性があるかないかで問われたら、迷わず「必要」と答えたい。

「年賀状の歴史は古く、平安時代までさかのぼります。現存する日本最古の年賀状といわれるのが、平安時代の学者である藤原明衡が作った手紙の文例集『庭訓往来』の中にある正月の文例。「春の始めの御悦び、貴方に向かってまず祝い申し候」(春始御悦向貴方先祝申候訖)とあります。

同時に平安時代頃からは年の初めにお世話になった人や親族の家をまわって挨拶をする「年始回り」の習慣も広まりました。

年賀状を出すことが一般に広がったのは、明治4年(1871年)の郵便制度開始がきっかけ。 明治6年(1873年)に郵便はがきの発行が始まり、明治20年(1887年)頃には年賀状も激増しました。」(富士フイルム公式 引用)

このように年賀状の歴史は古く、もともとは年の初めのあいさつ回りが簡略化されたものであるとわかる。

対面→書面へ
やはり人間というものは楽な方向に向かう生き物だということがわかる。

今では、「疎遠だからどうせ今後も会う予定ないし」という目先の面倒臭さを避けるように年賀状を出すことが減っている。

これはいけない。
なぜならば、年賀状の元祖は”お世話になっている人へのあいさつ”だからである。

私は人は決して一人では生きていけないと思っている。
こうして文章をかけているのも、便利なPCを作ってくれた人のおかげであり、なによりも健康に生み育ててくれた親や周辺の方々等数えきれないほどの人々のつながりで生きている。

そんな中でも身近な存在であるお世話になった人、なっている人に年賀状、つまり、「あいさつ回り」をすることはご縁に感謝する一つの方法なのではないだろうか。

ご縁に感謝する一つの方法である、
「年賀状を送る」行動はとても心が温まることを覚えている。

毎年、年末近くになると束になった年賀状を郵便ポストに出し、
正月にはたくさんの年賀状が届き、「誰から届いてる?」という言葉がお決まりのセリフだった。

そんな中で、自分宛の年賀状が届いているととても気分が高まったのを覚えている。そんな年賀状が私は好きだった。

また、中には差出人の現状がわかる写真付きの年賀状があった。
そんな年賀状はとても嬉しかった。元気でいるんだなとわかるからだ。

きっと、年賀状を受け取った方々も同じことを感じることだろう。
私は思いが届く年賀状が好きだ。

年賀状の必要性が問われている今日、私はもう一度言いたい。
迷わず「必要」であると。

そして、2022年最後に
私は年賀状を書くと公言しよう。お世話になった人へ。







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